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女優

本日はお越しいただきありがとうございます。早速ですが、役を演じる際に大切にされていることはなんでしょうか。

そうですね、眉毛でしょうか。

眉毛?

はい、もちろんメイク担当の方がいらっしゃいますけれど、いつも自分で眉毛を描くんです。長いときには2時間ほどかけて、丹念に、自分がいつも使っているアイブロウは誰にも譲れません。

じゃあ聞きますけれど、あなたの眉毛はどうして悲しげな角度なんですかね

悲しげを演出することで少なからず、徳、得、とくとく、と流れる風のような、人からの恩恵みたいものを信じたいのです。つまりこれはずるい考え方、儚い考え方。ええ分かっております。しかしあなたも私も、人間だれしも、悲しさの続いていった先にはなにか喜びや変化があると、そう信じたいでしょう。人生は周っていくものだと、地球や月やその他の惑星と同じように、常に回り続けてそうしていくものだと。つまりわたしが悲しげを演出することで、その先の幸せのようなものを人々はわたしに期待します。違いますかね、私だけの考え方でしょうか。まぁその考え方が違ったとしても、わたしはそういった先人をたくさん見てきました。悲しげをあえて演出し、徳を得ていく人間たち。ないような話で、キザな話が、一理あります。

たしかに人のことを見るとき、喜ばしい人よりも悲しげの人の方がなんだか寄り添いやすく、そうして自分に身近なような気がしていてですね、わたしにとって悲しみと喜びは同じ重さでもって、そうしてそれらはどちらも長続きはしないものなのでね。

私たちが思うほど、人とは幸福でもなければ不幸でもないのです。そのことを演出するための、悲しげな眉毛なのでございます。

私は確かに私だけであってそれ以外のものでは決してありません。しかしどこからが私であってどこまでが私なのでしょうか。この眉毛はもちろん私ですが、あなたのような素敵な紳士に出会うときには私の意思とは関係なくこの眉毛、ピクッと動いてしまうものです。えぇ、そのときの眉毛は私ではなく、あなたに吸い寄せられているのです。この眉毛はあなたに取り込まれて、つまり私よりもあなたに近い存在に取って代わっているというような、心地がいたします、そのことも後々になって認知するというわけでございます。

夢をみる少年のような輝かしい目の煌めきや、

自由ということを考えた際に、私はいつもそれについて考えてしまいます。

そうして、私がこの話をするということはあなたを取り込みたいという一心でもあるので、あなたの眉毛が今ピクリとしたところを見逃しません。

ちょうど、悲しいときに蝶が近くを舞うように、ひまわりはこちらを見ないように、孤独は孤独を嗅ぎ分けるのでございます。

つまり、私たちは孤独なもの同士なのでございます。

それはある意味自由でもあるということでしょうか。

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