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世界はあなたに期待する


少女はまたここへきた。
わけはなかった。暑い日差しが突き刺して、汗が滝のようにながれる、天気予報でも今日はとても暑い日だと言っていたのにハンカチすら持ってきていない。だって鼻をきかせたら、今日は雨なんて降らないと思ったんだもの、と伝えたところで伝わるはずもない。

何年経っても変わらない傷。どこへいても誰といても、埋まるのことのない傷、食べられやしない体。減ることのない寿命。

人生は短いようで長い。同じところに居続ける佐代子にとって、時間は止まっているもので、なんや流れを変えてくれない。

彼女は夕立が降り込めた昨日、
儚い記憶のようだった。あの日、

朝が憎かった。どうしてまた毎日がやってくるのか、彼女には分からなかった。もう、必要なものなんてないのに、もう、見たい景色なんてわからないのに。夕立が立ち込んで、いつか知りたかったあの魔法について、母が教えてくれた大魚を釣って、そんな気分だった。

無いものにすがるなんて馬鹿馬鹿しいと友達は言うけれど、わたしはわたしの方法で人生と自分を愛している。はずだ。

まだ見たことのない景色を見たかった。光を知りたかった!どこにあるのだろうか美しい景色は。わたしの求めている光とは、どこにあるのだろうか!

今日一日、もしかしたらどこかで誰かに出会うのかもしれない。特になにもないわたしを、そのままでいいんだよ、と言ってくれる誰かに。私の笑顔を考えてくれる誰かや、素敵な服をプレゼントしてくれる誰かとか。

もしくは、その逆も。私がこの人の力になりたい、愛したいと思える誰かに出会うのかもしれない。

少女が世界を愛しているとき、世界は思い通りだった。この空気も、土地も、まだ話したことのないすれ違う誰かも、あらゆるものが味方して、風を吹かせ、行きたいところへ連れていってくれていた。

それが見知らぬ土地であったとしても、私には喜ばしいことだった。

少女は世界に諦めを持ちはじめたとき、世界はどこへも彼女を駆り立てなかった。夢は希望を与えない、同じ毎日の繰り返し、もしくは誰とも出会うことのない日々、

あなたが何者だろうとかまわない、だけれど、世界や人を愛する気持ち、風や任務を恐れない気持ちがいつからだろうか、失われてしまったのは。

世界はいつだってあなたを待っていた。
あなたが世界に声を出す瞬間を、言葉を紡ぐ瞬間を、音を奏でる瞬間を、生まれた土地を愛する時を、どこか遠くでなくていい、近くの誰かを愛する時を、世界はあなたを見ていた。どんなふうに生きていくのか、誰をどんなふうに愛していくのか。自然をどんな風に慈しむのか。

世界はあなたに期待していた。
一人で生きているわけではないけれど、今、一人でいるあなたに。
あなたの笑顔は誰かの生きる夢になることを、伝えたかった。
あなたが今日いなくなっても、明日もこの世界ずっと回っていくけれど、あなたがいるから、あなたが響かせた誰かは、また誰かを響かせるだろう。

電車がまたひとつ、通り過ぎていく。
照り返す太陽はきっと私だけが見ているのだろう。

あの時、素晴らしい景色を見たこと。疑いなく、あなたからの愛を食べていたこと。

そしてふと、自然にかえりたくなること。
音楽が思い起こすあの情景。

うさぎ型の雲が流れていく。いつか昔、父とテーマパークに行ったとき、父の運転する車で。
耳がちょん切れるわよ、と注意する母を放って、車窓から顔いっぱいにだして、風を感じていた。父の運転する車は、いかにも男の人の運転という具合に、シートに腰が引っ張られるように勢いに起伏のあるパワー系の運転だった。

近くのコンビニエンスストアの店員もなんら変わりない。14:49ごろになると卵屋もテンテンテレンという音楽を鳴らしてやってくる。そのことがどうも嬉しくて、移ろいやすい私に、変化のない動かないものとしての落ち着きを与えてくれる。変わらないものにとても安心する。

変わらないものっていうものは、たとえばずっとある老舗のお団子屋とか、おばあちゃんの煮物の味とか、そういったようなもの。あそこに行けばあの人がいるから、あの味があるから、あの生活があるから、と。

自由な旅を求めていた。あのクロワッサンの匂いと毎日のエスプレッソは、私を幸福に見舞って、そして毎日のラフな生き方、ラフな会話、出会って、もう今後の人生で二度と交わることのないんだろうなという人々との会話、笑顔、別れ際のセリフ、いい夢をと言ってくれるひと、うさんくさい笑顔、すべてわかる。

喫煙所で話しかけられたのはそのとき。火を貸していいかね?とすがってきたのも束の間。

西の雲の様子が怪しい。急いで帰って洗濯物をしまおう。

西から吹く風が私を連れていってくれるみたい。私の身体の汚れを洗ってくれるみたいなやさしくて気持ちのよい風。

また朝がやってきて、私は誰とも出会わずに図書館へやってきた。読みたいのはチャトウィンのソングライン。旅に出たい。見たことのない景色を。

あの人のいない毎日はとても退屈だ。

図書館の空気は、いろいろな匂いが混じっている。少しん古びた本と何年も

彼の微笑みと生きているのよ

ご用意させていただきました、こちらのエプロンをどうぞお掴みください。

彼は大層喜んで、そのエプロンを掴むのだが、まあ初めから立て続けに怖いものを見たかのような、そんなエモーショナルな気持ちはどこからか湧き出てくるのであった。

また、次の日になると、エリコはやってきた。日傘を斜めに差しながら、やってきた。
「こんにちは、き、きょうも、い、いい天気ね」
拙い日本語でどもりながら喋る。また。ほら。

わたしは時間というものに飽きていた。なにもしないには長すぎるのだ。

彼を失ってからというもの、

その日から、長い年月をかけてしまった。
決して面白くはない題材が今日も彼女を襲って。

孤独というのは、呼吸を拒んで、食道のあたりを複数の濁った手が掴みにかかってくる気分であった。
胸を開き、なんとか息をすることで正気を保っていた。あのとき、胸を合わせて感じて、聞こえていた鼓動は、もう聞こえるはずもなく、そして一人きりの胸では呼吸すらままならない。

あなたの胸に耳をくっつけて鼓動を聞く瞬間だけが生きているあたしであったの。強い鼓動が、もう聞けないなんて
心臓がくろくなっていくようだった。


かわいくて、なにもできないひと

手に取るものよりも、そこから感じられる何かの方が大切、お金はツールにしかならないからね。

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