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とある文学部生の独白

「文学部に行ってどうするのか」
「行ったところで役に立つのか」
今までたくさん言われてきたし、私もどう答えたものかたくさん悩んできた。多分、文学部に属す、属していた方々で言われたことあるよという方も多いのではないだろうか。

これまでの私の回答としては、
「好きでやっているのだから放っておいてくれ」
である。
本当は、三浦しをん氏の『きみはポラリス』より「骨片」という作品を引っ張ってきて、これを読んでくれと差し出したいところ。

ずいぶんぼろぼろになってしまった

文学を通して人間の心や思考に向き合っていける素晴らしさが、目に見える形で表されている。確か初めて読んだのは高校生の時だったと思うけれど、まさに私が言いたかったことだと当時はとても嬉しかった。
この話を引き合いに出したりして、問いへの回答を練ったりしてきた。熱意をわかってほしかった。しかし、役に立つのか否かを問う人々に物語の本を差し出してもうまく話にならないかもしれないと思った時から、「好きでやっているのだから放っておいてくれ」と答えるようになってしまった。


投げやりに答える期間が続き、もう大学4年になってしまった。たまに説得力のある答えを考えたりすることもあったけれど、うまくいかない。

そんな時、たまたま腑に落ちる回答と出会った。
私が漢文の授業を受けていた時、教授が「実生活で役に立つかわからないのに、中国文学を何故やっているのですか」という問いに出くわした時の話を始めたのだ。
彼はその時、「あなたのように、役に立つか立たないかの二元論でものを考えたくないからです」と答えた。
確かにそうだなと、ストンと心に落ちた。

役に立つか立たないかで全てを判断するのであれば、本に限らずアニメや漫画、音楽、ファッション、芸術や娯楽は基本の実生活上では役に立たないだろう。暴論かもしれないが、そこまで役に立つかどうかを気にするのであれば、いっそ人間だって全部誰か天才のクローンにしてしまえと言いたくなってしまう。

文学部で学ぶのは文学や語学だけでなく、歴史かもしれないし、宗教かもしれない。はたまた遺跡や文化財かもしれないし、誰かの思想かもしれない。
文学部で学ぶそれらは、学んだ人間の人生に確実に影響を与える。文学部は卒業後の就職で不利とか言われる。就職も大事だとわかっているけれど、それは目の前の状況に過ぎない。そもそも大学は職業訓練学校ではないはずなのだ。
私達はYES、NOの二元論の世界には生きていない。自分にとって役に立ったか立たなかったか、死ぬ間際まで答え合わせはできない。YESでもNOでも答えられないその隙間に、人間の生きる醍醐味があるんじゃないのか。

すっかり殴り書きのような内容になってしまった。
なぜ私がこんなことを書いたのかというと、つい昨日、彼氏とこの話をしたからである。
実は、彼は教育制度として組み込まれる文学部には反対の人間。わざわざ学校教育の中に組み込む必要はなく、もっと学ぶのに必要なことが他にあるだろうと考えている。
けれど、彼はこの考えを変えることはなくても、文学部生である私、そして私の考えには理解を示してくれ、それを無理に変えさせることもなかった。自分にはない技術や思想があることを大事にしてくれた。
そういう姿勢が嬉しかった。反対に、私はどうだったか、人に私の考えを押し付けてはいなかったかを考え、少し反省した。


私も、YESかNOか、激情を理解して受け入れてくれるか否かを迫っていなかったか。人間全員が同意するわけではないところ、人と人の隙間に生きる醍醐味、文学が芽生えること、それを忘れていなかったか。
「文学部に入って何の役に立つのか」
今ならこの問題に対しても、自分の中に激情は抱えつつ、少しだけ話しつつも
「好きでやっているのだから放っておいてくれ」
と、前より気楽に言える気がする。

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