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パートナーに求めることは?

近頃, ブログの更新が疎かになっていたので, 久々の投稿になる.


あなたが恋人に求めるものは?

今回は次の問いから出発してみたいと思う.
 " 理想の異性はどんなひと? "
よく話題になる質問であり, 古典的な質問のひとつだ.
あなたはどうだろうか?

人によって回答が様々でおもしろい.
見た目の好みを答えるひともいれば, ファッションの好みを答えるひともいる.
生活スタイルをあげるひとがいるかと思えば, 性格などを答えるひともいる.
あなたは重視するだろうか.

現在の私は次の3つをあげることが多い.
『話し合いができるひと』, 『自身と教養や言語レベルに大きな乖離がないひと』, 『1人でできる趣味を持っているひと』 (「こんなひとがタイプだ」と述べることには批判されることもあるが, 言論の自由というのもあっていいだろう.)

『話し合いができるひと』

まず, 『話し合いができるひと』だが, 私は最初から互いに理解し合える関係を追い求めてはいない. 極端だが, 「自分のことも完全に理解しきれないし, ましてや自分以外の他者の考えを完全に理解することはできない. 阿吽の呼吸のごとく, パートナーの考えが全てわかるというのは理想論だ.」と考えている. しかし, 共感はできなくても理解をすることができる, 相手の言葉や行動を理解できるというのは重要だと考えている. 互いを認め, 話し合って理解し合うためには, 「対話ができること」が必要不可欠となる. 「言い合うストレスが少ない, 自分と似たひとがいい」という意見もあるが, どんなに似たような特性をもっていたとしても, 差異というのは生じてしまう. それなら, 差異があることをハンデと考えたり, ストレスと考えるのではなく, 差異があるのは前提として認め合える, 共感はできなくても理解できる関係が重要ではないか.

『教養や言語レベルに大きなギャップがないひと』

続いて, 『自信と教養や言語レベルに関して, 大きな乖離がないひと』だが, これは私の過去の恋愛や人間関係での経験が大きい. 私は以前, 付き合っていた彼女と結婚を前提に同棲をしていたことがある. 所謂, 彼女は話し合いができるひとで,  ともに生活をしていてストレスが少ない組み合わせではあったと思う. けれど, 深い話し合いや議論になると物足りなさのようなものを感じることが多々あった. 彼女とできない分, たまに友人とお茶をしたり, 電話などで議論をしたりして埋めていた. それでも「パートナーと深い話ができるといいな」と考えることはあったし, 相手の「なにか難しい話をしているな」と思っているのが透けたときは寂しさを感じた. 精神的な余裕がなくて, 相手に噛み砕いて伝えるさえストレスに感じたとき, 言語レベルの差というのは彼女と壁があるような気がした. 「自分のなかの翻訳機を通してじゃないと会話ができないのか…」と落胆することもあった. そんな実体験から「
教養の差」というのは, 長く一緒にいる上で「大きな壁」になると考えるようになった.  (これはあくまで私の主観で考えた時に, 差があるとか, ストレスに感じるというだけだ. 教養至上主義や特定の人々を批判したいわけでもない. ネットが当たり前の現代社会では言葉の一部に過剰反応したり, 発言者の意図や背景を汲まずに脊髄反射的に(表現ではなく)反応することが多いように感じる. 宮台真司氏がよく口にする「感情の劣化」というものを感じてしまう.)

『1人の趣味があるひと』

最後の『1人でできる趣味を持っているひと』だが, これは前述した2つと比較すると非常に単純だ. 私は1人の時間がないと死んでしまう生き物なので, それを許容できるひとではないと長続きがしない. それを許容できるひとは1人でできるような趣味(ゲームや読書, 美術館巡りなど)を持っていることが多いので, 理想の条件としてあげている. 正直, 1人の時間を確保できるのであればマストな条件ではない. けれども厄介なことに私は, 熱中してしまうと寝食さえ忘れて作業や思索を続けることが多々ある. (ワーカーホリックな的な気質はこの過集中傾向から来ていると思われる.) そうなってしまうと, パートナーを放置することになってしまう. 所謂, フロー状態になってしまったときに作業を中断することは難しく, 何度も矯正を試みたがその度に挫折している. 今では, 開き直って, それを許容してもらえるかというのを相手に尋ねたり, 事前に伝えるようにしたりするようになった.

経験と歳の蓄積による価値観変化

これまで私自身の恋人に求めるものについて語ってきた. 過去を振り返ると, 数年前の自分とはだいぶ変わっている. 10代後半から20歳過ぎの頃は「理想のタイプは?」と聞かれたら, 髪型や好きなファッションとかを答えていたと思う. 色々なひとと関わって, 経験を積むうちに内面や付き合い方のようなものへ関心が向くようになった. 加えて, 歳を重ねて自分自身と向き合うことが増え, そのうえで心地のいいことや逆に無理をしてしまうことを理解するようになったのもあるのかもしれない. 『かぐや様は告らせたい』で恋愛を戦に例えられるけれど, 「己を知り相手を知った上で戦いに臨む」ということをするようになったのかもしれない. 

本稿の〆

長々と述べてきたが好きなタイプやパートナーに求めるものは人それぞれであるし, 人の数だけあっていいと思っている. 情報が増えて, 比較対象が増えて, 理想像や相手の欠点にばかり目がいく傾向はあると思うし, 容姿の美醜にフォーカスされることも多いが, 私自身は私が心地いいと思える相手であり, 相手が心地いいと思える関係が理想だ. それでいうと, 現在のパートナーは理想的なだなと日々感じている. 重なる部分はあるが, 志向が大きく異なってると感じることも多い. だからこそ学べている, 自分の視野を拡げてもらっている感覚がある. 彼女が言って言葉を引用するなら, 「色んな花を試行錯誤しながら共同作業で育てている感覚」に近い. 大事に末長く育てていきたいと思える今日この頃. 最後にもう一度だけ問いを....

 " あなたが恋人(パートナー)に求めるものはなんですか? "


初作成日: 2023/05/11 (「メイドの日」の翌日)

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