「男性なのに」は褒め言葉ではない
突然ですが、私の戸籍上の性別は男です。
性自認としてもほとんど男性なのですが、身体的ではなく社会的な性別に違和感を覚えるタイプで、そういう観点からは男性寄りの中性(無性にも近い)の意識を心の中に持っています。
※参考:日本思春期学会「自分の性に違和感を覚えます」
ですが、容姿も声も完全に男性なので、自分からこの話をしない限りは100%男性として認識されます。
なぜこんな話を始めたかというと、今年初頭のイベントで、少しもやっとする出来事があったのです。
私のブースに来てくださり、小説を読んでくださった方が、こうおっしゃいました。
「男性なのに、こんな優しい雰囲気のお話を書かれるんですね」
わかるんです。
絶対に悪気は無くて、私の文章やを褒めたくて言ってくださった発言だということは。
それはポジティブに考えれば、自分の性に囚われずに作品を発信できていると捉えることもできます。
でも、どうしても「男性なのに」という言葉が、私の心の中に残り続けているのです。
私は男らしくなりたいとも、女らしくなりたいとも思っていませんし、私の作品も、特定の性別を軸にして書いたつもりもありません。
逆に、読者の想定も「男性向け」「女性向け」のような性別による区別ではなく、どんな性別であろうと、私の作品として届く人に届いてほしいと思いながら書いています。
私の作品は、すべて「七雪凛音」として世に出したものであって、それ以外の何物でもないのです。
「男性なのに」という言葉は、私の作品に「男性作家が書いたもの」というレッテルを貼ることにに等しい発言です。
そして、私の社会的な性自認に対して、「お前は男だ」と決めつけられているように感じてしまいます。
その認識を持たれるのは仕方が無いとは思います。ちょっと話して接しただけだと、どう見ても男性なので。
でも、やはりそこで「お前は男だ」と決めつけられることは、非常に大きな違和感を覚えるのです。
実はずっと前から、このような違和感を覚える場面はありました。
気に入ったものに「女性に人気!」と書かれていると、「私はこれを好きになってはいけないのだろうか」と感じます。
ライブのコーレスで「男のひとー!女のひとー!」と呼びかけられた時、どうすればいいのか迷います。
(Perfumeは「どっちでもないひとー!」「その時の気分でどっちにもなればいいのよー!」と言ってくれるから優しいですよね)
生活の中で、ふと、そうやって性別を意識させられる瞬間、自分はどっちなんだろう、という気持ちになります。
だからこそ、せめて創作活動においては、性別を意識せずに「七雪凛音」という、ひとりの人間として在り続けたいのです。
性自認と戸籍上の性、身体の性との差異や差別に苦しんでいらっしゃる方に比べれば、私が抱える違和感や悩みはきっと些細なものです。
それでも、やはり、日々心にちくりと刺さるものがあるのです。
なので、どうか、男とか女とかを口にするときは、本当に性別を話題に出さなければいけない場面なのかどうか、今一度、考えていただければと思っています。
このお話をするかどうか、ずっと迷っていました。
こうやって性別の話をすることで、かえって「これは男の人が書いたお話だったんだ」と私の作品に性を意識されるのが嫌でした。
それに、私が男性であることをはじめて知って、警戒したり、距離を置きたいと感じる方も、きっといると思います。
だけど、この出来事はずっと私の中にわだかまりとして残り続けていて、次のイベントが近くなり、また同じことがあったら嫌だな、と思い発信することにしました。
それに、次のイベントで初めてお会いする方もいらっしゃいますし、今後ボイチャなどでお話をする時に、男声でビックリする人がいるかもしれない(案外いなかったらそれはそれで安心ですが)という気持ちもありました(自分の声にちょっとコンプレックスがあるというのもあります)。
あらかじめ、こうやってオープンにしておけば、少なくとも、まだお会いしたことないけど交流がある人には驚かれずに済むかな……と。
もし、このお話を読んでも、私のことを快く受け入れてくださる方は、「七雪凛音の性別観ってこんな感じなんだな」程度に心に留めておいていただけますと、大変嬉しいです。
不慣れなことを書いたので、もしこの文章を読んで不快に思われた方がいたら申し訳ありません。
「こう書いたほうがいいよ」などご指摘あれば、コメントをいただけますと幸いです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
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