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自分が生み出すモノの価値

「自分の価値を他人に委ねるな」

ずっとそう考えながら生きてきた。

仕事を回している組織社会では他人からの評価や評判とは切っても切れない世界で、せめて趣味の世界では他人からの評価なんて無縁の世界で生きていたい。

だから、私はいつも、自分の価値、自分が生み出すモノの価値は、自分で見出すことを信念にしている。

自分が生み出すモノの価値は自分で決めるものであって、他人が良いとか悪いとか判断したり、数値を出したりするようなものではない。自分が「こうしたい」という意志のもとに生み出されたという、その事実だけでも価値があることだと。

今でもそう信じているし、だからこそ、文章を書いたり絵を描いたりすることをそれなりの期間続けていられるのだと思う。二次創作がメインだったから、もともとのコンテンツに対する熱量もあったとは思うけど。


それでも、時々ふと、私が生み出したモノには、本当に私しか価値を感じないのではないか、と不安を感じることがある。

この世界中の誰も、私が生み出したモノには見向きもせず、何も変わらないままいつも通り生きていく。私が生み出したモノは、自己満足に似た孤独を抱えたまま、地球のどこかに埋もれるか、電子の海に消えていく。

お金になるわけでもない(するつもりもない)し、何万、何億の人の心を動かすわけでもない。流行りに乗っているわけでもない。そもそもそんな野望が無い。

自分の価値は自分で決めるもの。
頭ではそう考えていても、じゃあ人に見てもらわなくてもいいのでは?という質問に対して、ハッキリとYESと言えるだろうか。

もしYESと言い切れるのであれば、たぶん私はここに居ないし、作品をネットに投稿せずに一人で黙々と作り続けているだろう。


たぶん、そこにハッキリとしたYes or Noの答えを出すことはできなくて、曖昧なままでバランスを取って向き合うしかないのだと思う。

流行りに乗らなくてもいいと思ってるし、自分の生み出すモノの価値を誰かに決められるつもりはない。

だけど、もしかしたら、本当に仮にの話だけど、私の生み出すモノとまだ出会ってない人が世界のどこかに居て、その人たちが私の生み出すモノに何かしらの価値を感じてくれるかもしれない。

実際、今でも私が生み出すモノを見てくれる人がいる。
何万人もいなくても、ほんの数人でも、いつも必ず見てくれる人がいる。

私が生み出したものを受け取って、すごいとか、素敵とか、可愛いとか、そう思ってくれる人がいる。いつも優しいコメントをくれたり、RTした後に嬉しい言葉をくれる人がいる。

それはきっと、私が生み出したモノに対して、その人なりの価値を見出してくれたのだと思う。

たくさんフォロワーが欲しいとか、何万いいねされたいとか、バズりたいとか、そんなことは思わない(そりゃそうなれば嬉しいけど)

ただ、少しでも多くの誰かの心をほんのちょっぴり動かしたり、日常に喜びとか幸せのような彩りを添えるお手伝いができるのであれば、それは本当に幸せなことだと感じる。


twitterが本格的に不調(?)になるよりも前に、私はinstagramやここやtumblrのアカウントを開設していた。

それはtwitter一本足でSNSを運用していることへのリスク管理がメインではあるけれども、同時に、まだ出会ったことがない人に出会うための手段を増やしたいという気持ちもあった。

世界のすべての人に価値を感じて欲しいわけじゃない。けれども、もしまだ出会ったことがない人がいるのなら、出会いたい。そうやって、少しずつ、私の生み出すモノの価値を共有できる人が増えていけば、楽しいだろうなと感じる。

そのために、私の生み出したモノに触れられうる機会を増やして、少しずつでもいいから、私の生み出すモノを見てくれて、価値を感じる人が増えてくれればいいな、と願う。


なんとなく、今私は何をしているんだろう、とふと思い、絵がうまくなりたいとか、漫画が描きたいとか、その根源は何? 自分のやりたいことをやりたいだけ? 自己満足? 本当に?という考えを整理するために書き下しました。

あまり上手に整理できなかった気もするけど……。

いつも見てくださっている皆さん、そして、こんな乱文を最後まで読んでくださった方、いつもありがとうございます。

何か感じたことや応援の言葉、あるいは今日あった嬉しい出来事とか、美味しいご飯の話とか、コメントなりマシュマロなり投げつけてくれると嬉しいです。

これからもよろしくお願いします。


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