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インドネシアとマナドと宗教と

前回のポストで少し触れましたが、
ここ、マナドにはたくさんのクリスチャンがいます。
割合にして約7割と言われています。

そして、クリスチャンの中でも多くがプロテスタントです。
また、私が通う学校の1つは、セブンスデー・アドベンチスト、
という宗派とのことです。

ちなみに、プロテスタントは聖書を、カトリックは教会の存在を第二の権力としているところが、ふたつの宗派の違いだそうです。他にも色々と違いがあるそうなので、私もこれを機に調べてみようかな・・。

普通、プロテスタントの礼拝は日曜日ですが、
この宗派は毎週土曜日に礼拝が行われます。

また、月に1週間”week of prayer(お祈りの週)”という週があり、
毎日朝2時間ほど、説教や賛美歌の発表があります。
それに伴い、授業も普通は40分授業なのが30分に短縮されるなど、
変則的な時間割になります。
その結果、最終授業終了時刻が通常よりも少し早いのには
おもわず笑ってしまいました。笑

前置きが長くなりましたが、このweek of prayerの最終日、
土曜日には、多くの生徒や教職員、その家族が参加する
特別な礼拝があります。

非キリスト教徒である私も招待していただき、
他の日本語パートナーズの仲間とともに参加してきました。

スタートは9時だけど、初めからじゃなくていいよ、
というお言葉に甘え10時頃到着。
遠くに住む先生はまだ来ていませんでした笑

学校のチャペルに到着してしばらくすると、みんながぞろぞろ外へ。
何かと思うと、足を同性の友人同士、または夫婦同士で洗い始めました。
この情景は、聖書にある一説だそうです。


そのあとはたくさんの賛美歌と説教を2時間ほど聞きました。
(インドネシア語だから内容は全然わかりませんでしたが、、!)

この週は、毎日たくさんの賛美歌を聞きましたが、
賛美歌ってポップスのような歌もたくさんあるんですね・・
そしてそのあとは先生たちが各自持ち寄ったご飯をいただきました。
(この一連のことをholy communionというらしい!)

正直宗教のことは、私にはよく分かりません。
でも、宗教的なイベントがあるから家族同士が集まって、
お互い知り合いになるし、例えクリスチャンではなくても歓迎してくれて、他のNPも呼んでくれる、そして家族のように扱ってくれるマナドの人たち、そしてこの宗派の人たちの温かさを感じています。


こんなに大切な週なのに、実は金曜日の集会では、なんと全校生徒の前でインドネシア語で聖書の一節を読む機会をいただきました😮

代表スピーチの先生は、私がローマ字に直した日本語聖書にチャレンジ(写真にあるのはそのカンペ)!3日間くらい?発音等もいろんな先生に直してもらって練習して、とても貴重な経験でした。

読み終わって壇上から降りると、非キリスト教徒が聖書を読んだ事に対して、先生や生徒、みんなが"ありがとう"と言ってくれたこと、とても感慨深かったです。

宗教に触れることは、信仰者にとって、相手を理解することの一歩なんだろうなと、無主教の私はここで改めて気づかされました。

学校でもいつも”agama(インドネシア語で宗教の意)”について尋ねられます。

日本人は特別な宗教を持っている人がいません、という言葉は
本当に理解されがたいのですが、まずそれを一声目に伝えます。
ぽかんとされるのですが、それも文化としてきちんと伝えたい相手にはじっくり説明しています。

先日こちらに長く住む日本人の方から、
”生まれた時は神道、死ぬ時は仏教、でもクリスマスもチャペルでの結婚式をする人もいる”

という伝え方をしている、というお話を聞きました。

もちろんこれが100%日本人を形容する訳ではないけれど、
説明としてはシンプルで伝えやすい・・。これから使おうかな。

また、先日宗教学の先生と話していて知ったことは、

”We have religion in Indonesia and it must be one religion, in addition we must have one religion.”

つまり、インドネシアでは宗教をみんなが持っているし、それは1つだけ。
そして、それは必ず持たなくてはいけない、ということです。

無宗教、って多分インドネシアのみならず国際的に不思議な概念だと思うのですが、それは国が定めているか否か、ということも関係するのかもしれません・・。



食べる前、授業の前後のお祈り、そしてクリスチャンが多数とはいえ、家のすぐ裏はモスク。毎日アザーンも聞こえます。

マナドでムスリムの友達もできました。彼女たちの中には、日本人でも履かないような短いスカートを履く子もいます。だから、宗教の話をするまで、彼女たちがムスリムだとは全く気付きませんでした。

ムスリムである以前に、この自由なマナドの文化を生きているから、非ジャブも巻かないし、露出も躊躇わないそうです。


宗教って、センシティブな話題だと思っていて、あまり聞くこともなかったけれど、こちらは本当にオープン。

前々から思っていたけれど、絶対的に信じられるものがあるということは、ものすごく素敵なことだなと感じています。

そして、インドネシアに来て強く感じているのは、日本でいくらインドネシアの文化について学んでも、それは多くがムスリムの文脈で語られることが多いということです。

マナドではいわゆる、”インドネシアの常識”とは異なることが多々あります。

そもそもインドネシアは、多数の民族・言語が存在していた地域をぎゅっとひとつにして独立した国。インドネシア語も、とても新しい言語です。今でもマナドではみんなマナドの言葉を話します。

そういう意味で、型に当てはめるのはものすごく難しいのが、ここインドネシア。マナドもそのうちのひとつです。

私がお伝えしていくのも、”私が見たマナド”以上でも以下でもありませんが、私が切り取る一コマ一コマをぜひ読んでいただければ嬉しいです:)


以上長くなりましたが、2つ目のマナド便りでした。

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