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動物園デート

飯島源一の趣味は、動物園を巡回することだ。みなさんは動物園に行かれたことはあるだろうか。そして、飼育員よろしく「おや、今日はご機嫌ナナメだねぇ」「メイちゃん、五月にこっちの園に来てからもう半年だねぇ」などと動物たちに声をかける一般客を見たことはあるだろうか。飯島もそのように動物園をまわる類である。


「アンリちゃん、ちょっとこっちを向いてくれないかい。いいねえ、その感じ。」

ペンギンにカメラを向けながら飯島は語りかける。ペンギンが反応しているように見えるのが不思議だ。

「シルクくん、今日もキレのある泳ぎをありがとう!」

十数羽のペンギンを名前で呼び分けられる飯島は只者ではない。ペンギンとの撮影会を終えた飯島は、つぎのエリアへ移動する。


「シロさんの横顔はいつも綺麗だね。」「おや、ローマ。少し目が虚ろじゃないかい?大丈夫か?」「ボンくん、ぐったりしてるじゃないか!今日は暑いもんなあ、ははは。」

一匹一匹声をかけてはシャッターを押す。気づくと写真は三十枚になっていた。

「もう少しだけ、撮ろうか。」

三十五枚になったところで飯島は動物園を出て、バスで五十分程離れた病院へ向かった。


もともと飯島は特段動物が好きというわけではなかった。だが、写真は昔から趣味としていたため、孫にせがまれて動物園に行った時に動物の写真をたくさん撮った。それを入院中の妻に見せたところ大層喜んだのをきっかけに、見舞いの前に動物園へ寄って写真を撮るのが飯島の日課となっていた。


「飯島さんね、どうぞ。」受付を通過し、妻のいる部屋へ行く。

「洋子、きたよ。」

妻に声をかける。いまの洋子は話したり聞いたりすることがほとんどできない。昔のことはほとんど忘れているように思われるし、かといって現在に関心があるようにも見えない。ただそこにいて、じっとしている、そんな感じなのだ。だが洋子は、動物の写真には毎回反応する。間違いなく動物の写真は認識している。飯島にとって動物の写真は、洋子と意思疎通する手段なのだ。

飯島はカメラを洋子に見せながら話し始める。洋子が少し体を起こす。

「今日はなぁ、シルクくんがかっこよかったんだよ。」

洋子は何も言えない。ただニコニコしている。

「ほら、このボンくん愉快だろう?」「さっちゃんこんなに大きくなっていたぞ。」「ラッキーとハッピーが喧嘩していたんだ。」「ミツキは今日も迫力がすごかったぞ!」飯島が一枚づつ解説をしていると、あるとき洋子はすぅっと体を戻しベッドに横たわった。

「あり、が、とう。」

口の動きでそう言ったとわかるほどの音を洋子は口から発した。そして美しい笑顔を見せた。

「うん、また撮ってくるよ。」

飯島は微笑み返す。


二十八枚か…。洋子がだいたい三十枚程で疲れてしまうのはこれまでの経験でわかっていた。もしかしたら今日はたくさん見てくれるかもしれない、と祈るように少し多めに撮ってしまうのだが、最近では三十枚に届かないことの方が多い。まだまだ元気な頃は四十枚程は見てくれていた。飯島にとってはそれが、なんだか嫌なカウントダウンのように思われ、飯島は一枚でも多く洋子に見てもらいたかった。


しばらく隣にいた後、洋子が寝たのを確認し、飯島は病室をあとにした。洋子に見せられなかった最後の七枚を見返しながら、明日は何枚撮るべきかと悩んでいた。

翌日も、また翌日も、どうかこの一枚を洋子が見てくれますようにと、飯島はシャッターを押し続けた。

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