情報格差から考えるテクノロジーのあり方

「デジタル・ディバイド」という言葉はご存知でしょうか。
またの名を「情報格差」とも言います。

インターネットが普及し、スマホを所有することが当たり前となった今、インターネットを使って皆が平等にあらゆる情報へアクセスすることができます。インターネット普及前は、どうしても人が集まる都心に情報が集まり、都市と地方との間で情報格差が生じていました。現に私も田舎出身ですが、小さい頃は都心の情報が少なく、テレビで情報収拾する程度でタイムリーな情報を取得することは難しいことでした。そんな中でのインターネットの登場でした。

インターネットが普及することにより、その格差がなくなるのではないかと思われていました。しかし現在、情報格差は広がるばかりです。そして、その情報格差を実際に体験してきました。

先日、地方のとある街に行ってきました。人口約5000人の小さな街です。
そこでは、ある夫婦のお宅に泊まらせていただくことになりました。その夫婦は共にスマホを所有し、娘さんとLINEをしているとのことでした。LINEが使えるという点から、スマホを使い慣れているように感じました。しかしその後、なぜか違和感を感じるようになりました。

お母さんはスマホを使う中で疑問に感じていることをいくつか教えてくれたのですが、その全てがググればわかるような事柄でした。「検索してみましたか?」と尋ねると「していない」と返答。検索の仕方がわからないとのことでしたので、検索方法を教えました。

お母さんは検索方法を覚えたので、これからは検索することができます。その後、「○○ってなに?」というお母さんの質問に対し、「検索してみるとわかりますよ」と私は伝え続けました。しかし、お母さんは一度も検索することはありませんでした。

一体何故でしょうか?

テクニカルスキル面での障壁はなくなったはずなのに。。。

ここで一つの仮説が頭に浮かびました。

「ひょっとしたら検索の方法を知らないから調べられないのではなく、調べようという意思が希薄なのではないか」

そう考えた理由は、その街には書店がなかったためです。本を買うには車で1時間程度離れた隣街まで行かねばなりませんでした。

身近で買える本はコンビニで売られている本だけです。確かに、その夫婦の家の中を見渡しても、本棚らしきものは見当たりませんでした。

こうした背景を踏まえ、この街ではインターネット普及以前から、情報収拾する手段がテレビや雑誌などに限られており、何かを調べたいと思っても調べるための手段が限られているため、自分で調べようという意思が希薄になってしまったのではないかと思いました(あくまで推測であり、事実とは限りません)。

エンジニアの自分がこの経験を通じて大事だと感じたことは、テクノロジーの発展により、皆が必ずしも恩恵を受けられるというわけではなく、恩恵を受けるためには個々に対してテクノロジーをアレンジしてあげる必要があるということです。そして、アレンジするのはエンジニアである私の仕事だと実感しました。

都会に住んでいる人にとっては画期的なテクノロジーであったとしても、田舎に住んでいる人にとっては、全く不要であるかもしれません。それは田舎の人にとって本当に不要なのかというと、そうではないかもしれません。その時、どうしたら田舎の人にとっても画期的であると思ってもらえるかを考え、アレンジし、田舎の人にも画期的であると思ってもらえるかがエンジニアの使命であると思いました。

テクノロジーの進化に人間が置いていかれないように、人間がテクノロジーに適合できるような手助けができるエンジニアを目指し、これからも学び続けていきます。

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