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やっぱり『主体性を発揮する』

やっぱり『主体性を発揮する』って大事だなと思う出来事が、先日またありました。
私の息子は、スポーツ少年団でサッカーをやっているのですが、チームメイトの一人がコーチに叱られる場面がありました。
その時、コーチは少し厳しいワードを使ってしまいました。
少しではなく、かなり厳しいワードかもしれませんね。

『今後も、サッカーを続けていくか、よく考えるように』
と、言われてしまいました。
大好きなサッカー『もう来なくても良い』と言われてしまったのです。
その子は、落ち込みました。そして、感情的になってしまい、それならば、もうサッカーには行かなくても良い、という気持ちになっているようです。

その子は、自分のしたことが、間違いだったという事は理解しています。
でも、それ以上に、心ない言葉を使ってしまったコーチを責める気持ちがあるようです。
こんな時、親ならどうしたら良いと思いますか?

こんな時こそ『7つの習慣』の第一の習慣『主体性を発揮する』がとっても役立ちます。

まずは、主体性を発揮するの反意語『反応的になる』場合はどうなのか、例を挙げますね。

≪反応的になる≫
・コーチはひどい言い方をした、だから自分はサッカーをやめる!
・コーチがひどい言い方をしたから、気分が落ち込んだ。立ち直れない。
・コーチはひどい言い方をしたから、絶対にこちらからは謝らないぞ!

このように、反応的になる、というのは、自分の行動を外部環境にゆだねる、という事です。対して『主体性を発揮する』場合はどうなのか、例を挙げますね。

≪主体性を発揮する≫
・コーチはひどい言い方をしたけど、サッカーを続けるか決めるのは自分。
・コーチはひどい言い方をしたけど、自分は傷つけられる必要はない。
・コーチはひどい言い方をしたけど、間違った事をしたのは自分だから、きちんと謝ろう。同じ間違いはしないようにしよう。
・コーチはひどい言い方をした。自分が何か伝える時は言葉選びに気を付けよう。

自分の行動を、自分で選択しています。
さて、反応的と主体的、どちらの行動をとりたいですか?
どちらの行動を取れば、未来の自分を幸せにしてあげられるでしょうか?

反応的な人は、自分の行動を外部環境に左右させてしまうので、自分のやりたい事、望む結果を得ることはできないのではないでしょうか?
例えば「大好きなサッカーを辞めること」これは、未来の自分が喜ぶ行動でしょうか?
嫌な事があるたびに、選択を他人任せにする人生は、本当に自分がおくりたい人生と言えるでしょうか?

ただ、『言うは易く行うは難し』ですよね。(笑)
私も、先日の記事のように、主体性を発揮することができない事、あります。でも、反応的になって良い事は何一つない、という事は理解しています。主体的な人になるために、日々、努力をしています。人生修行です。

『7つの習慣JⓇ』では、このような反応的な行動と、主体的な行動の違いを理解し、より良い選択(主体的になる、ですね!)をすることができるようになるために、『ネガポジ変換』というワークをします。
未来の自分の為に、未来の自分を幸せにしてあげられる行動を選択しませんか?

※「7つの習慣®」および「7つの習慣J®」は、フランクリン・コヴィー・ジャパン社の登録商標です。

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