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【#5】サラバ記念日

好かれたい というより 許されたかったの お蕎麦屋さんの カレーみたいに
櫻井朋子『ねむりたりない』

家族へ

まずは成田まで見送ってもらいました。どうもありがとうございます。

たくさんの本を積み残したまま旅立つ不孝をお許しください。どの本も本当に読みたかったのです。読む時間が足りなかっただけで、決して買いすぎたわけではないのです。100冊近くの本が1階の本棚を埋め尽くしていますね。古本屋に出さないでいてくれると嬉しいです。

心残りなことといえば、2階の使わなくなったタンスを片付けなかったことです。正確に言えば、片付けようと思ったのだけれど、階段のサイズの問題で下に運べなかったあのタンスです。降ろそうとした日に、養生もせずに運んだものだから廊下の壁紙をぼろぼろにしてしまったあのタンスです。地震があったら、倒れてしまわないか心配です。多少高く付いても、業者を呼んで処分してもらってください。

それから食事も少し心配です。晩御飯は私が作ることも多かったので、負担が増えることになります。無理して作らずに、ご飯だけ炊いて出来合いの惣菜を買うとか、お弁当を買ってくるとかして、食べることで疲れないようにしてください。2人だけですから自炊してもさほどは食費は浮かないでしょうから、無理をなさらないでください。職場の異動があったり、大学受験を控えてたりと忙しいでしょうから、外でそれぞれに食べてきても良いと思います。とにかくストレスにならない方法を選んでください。

元々4人で住むにも十分広すぎる家でしたが、父がでて行き、私もいない今、持て余してしまうのではないかと思います。ただ父が出て行ってから、あなたたちが歪み合う光景がなくなり風通しが良くなったと私が感じたように、私が出て行くことで家の中の風通しが良くなるのかもしれません。少なくとも猫にとってはそうでしょう。私と猫は、最近はより一層不仲でしたから。猫さんへ。私という家族がいたことを1年後も覚えておいてください。

友人へ

あまりドイツへ行くと言いふらさなかったり、出立するというのに煮え切らない態度であったことを申し訳なく思います。こうしてフランクフルトへ飛んでいる機内ですらも実感が湧かないものですから、見送られる人間としての振る舞い方もよくわからなかったのです。

それからもし書類の不備やなにがしかのアクシデントで渡航できなかったとしたら、恥ずかしいだろうなと思いあまり自信を持って旅立つことを言えませんでした。パスポートを忘れたらどうしようかと思ってしまうのです。

なにしろ昨年も女性と交際関係になったときも、やはりすぐフラれてしまうのではないかと思い、そうなったら恥ずかしいと思い周りに打ち明けませんでした。そうしたら懸念通り、すぐに破局してしまいましたから、同様のパターンに陥ったら嫌だななどと心の隅で思ってしまっていました。無論そういうマインドセットだからフラれたのだという批判は、否定のしようがありません。私の本質は基本的にはネガティブなのかもしれません。

そんなどうしようもない私を見送ってくれる人たちが、数こそ少ないけれどいることを知ることができて嬉しかったです。連絡をくれたり、食事に誘ってくれたり、餞別をくれたりしました。この記事の後半はドイツについてから書いていますが、まだ本当に1年間の留学が始まるのだという実感もわかないものですから、より一層こうして声を掛けてくれた人たちがいたということのありがたみを感じています。

それから成田まで見送りに来てくれた酔狂な友人もいました。あなたたちはどうしようもないほどに救いようがなく、また死ぬまで忘れがたいほどに最高な友人だと思います。いや、もはや友達なのかもよくわかりません。そういう関係の友達です。いや、私がそう思っているだけです。ありがとう。

部活の同期へ

厚木塾最終講義などと言ってみんなでサッカーする機会を設けてくれましたね。選手として私塾を開くのは鹿島時代の岩政先生ぐらいです。私はそれほど偉大な選手ではありません。高校時代は厚木教と呼ばれたこともありましたが大学時代は松下村塾みたいなネーミングになったのも今になればうれしいことです。

ちなみに、最終講義のタイトルは「マルセロ・ビエルサの円環システムとはなにか―ローテーションとレボリューションに着目して」でした。やはり、最終講義と呼ばれるとどうも退官するみたいですが、私はまだまだ現役のつもりです。

それから本当は成田まで見送りに来るとも言ってくれましたね。内心とても嬉しかったです。練習とバッティングしたので、代わりに応援動画を送ってくれました。ドイツについてからこの動画を見返す度に、少しずつ感情を引き出されいます。

その動画というのは、私がまだ1年生、つまり体育会においてゴミと呼ばれる階級だったときの私の奇行を当てこすってくれたものです。

私がまだ1年生の年というのは、所属していた部活が最終的にリーグ戦で降格してしまった年でした。そのときはまだコロナ以前の時代でしたから歌って応援していました。

チームは降格したという最終的な結果が示すように、チームは決してよく機能しているとは言えない状態でした。そのような中で一生懸命応援すれば現状は改善されるのかという、疑問を私は抱いてました。システムはどうであれ、まず頑張ることを重視する日本型組織で一番嫌われる感性で当時の私はイキっていました。そこで歌い飛び跳ねるパフォーマンスをする応援の際にも、私は飛び跳ねることはせずに直立不動で修正すべき箇所を探していました。

そんな人間が応援されるに資する人間なのかという疑念が頭をよぎったりもします。事実、私は長いこと競技を続けてきましたが、応援される側にいたことは全くと言っていいほどありませんでした。それはひとえに、試合に出る能力が不足していただけではなく、そのような姿勢や態度の問題が大きかったことは間違いないでしょう。

幼稚園のときにサッカーを始めて以来、私の居場所はずっとピッチの外側にありました。そんな私の中にある唯一の応援に関するモットーは、「応援されるものは、応援されるに値するものでなくてはならない」というものです。

私は本当に応援されるに値する人間なのでしょうか。どうも私が応援される価値があるというよりも、こんな私でも応援してくれる度量のある仲間に恵まれたという方が正しいような気がします。だからこそ、応援してよかったと思ってもらえる価値のある人間になって帰らなくてはいけないな強く感じさせられます。

自分へ

もし、私が遠くへ旅立つ誰かを成田まで見送りに来たのなら、どんな言葉をその人にかけるのでしょうか。もし、私が私自身を見送るのなら、どんな言葉を私に送るのでしょうか。ドイツに行くのならゲーテのことばを送るとか少し賢いところを見せたりしようとするのでしょうか。こんなふうに悩んでいるフリをしてみても、最初から答えは出ています。即答です。

独行の夜、月の光がどれほど慰めになったことか。井上雄彦の漫画『バガボンド』の主人公・武蔵と同じ気持ちに今までの多くの旅でなってきました。どこか心に寄る辺があるということが本当に心強いのです。私もほんの少しではあるけれど寄る辺になることができたらと思うのです。

「ツラいことがあったら、いつでもボクのところへ相談においで。








きっと外出中。」


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