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【#26】さよならはエモーション

埋めきれない 夜長ばかりだ 「のりしろ」は 命令形だと 思っていたのに

櫻井朋子『ねむりたりない』p.13

「ことば」を大切にしてるとか、言ってしまえるNPOとか学生団体が嫌いでしょうがなかった。普通に考えれば、言葉を大事にしているのはNHK。コミュニケーションで言葉選びは、事例を出すまでもなく大事だけど、どうすれば言葉を大事にしていると言えるのだろうか。

彼らが人と会話した後には、自分のディスコースにやさしさが足りていなかったかどうか、座禅を組んで瞑想しているのだとかいうのであれば、前言を撤回して謹んでリスペクト申し上げたい。あるいは、ボキャブラリーを増やすために、定期的に広辞苑の通読をする読書会をしている、とかなら年1、2回位のペースになっちゃうだろうけど、逆に参加させてほしいぐらいだ。

「自分のことば」なんかを大切にし始めたら重症度が増しているなと感じてしまう。「自分のことば」を気ままに喋ったら、コミュニケーションコードとして成立しなくなって、誰にも理解されなくなってしまうのではないかと心配になる。

彼らに対して百歩譲るというか、追い越し車線から彼らを追い抜かせるとして、そんな彼らの「じぶんのことば」ってなんだろうって見ると、ワクワクを大事にとかドキドキをそのままに、とか言ってると失望してしまう。詩経や聖書の引用があるとか、好きな映画のセリフや音楽のリリックのオマージュになっているとか、行頭の文字だけを追っていくと意味のある文章になっていそうで単にボクの考え過ぎだった、とかがあってほしい。

テメェがワクワクしたかどうかじゃなくて、その「ワクワク」とかいう感情の内容物を知りたいのであって、その成分表を見せてほしいのだ。青春の甘酸っぱさが致死量ギリギリに入っているとか、大学生になってから遅れて来た中二病のイタさがジャパリパーク何個分詰まっているとか、そういう情報を消費者に伝えてほしい。

この感情には、遺伝子組み換え感情を一切使用していません。サラダ記念日の奥付には多分そう書いてあるに違いない。だから、世間にウケたし、売れたのだろう。無農薬、無添加の『有機サラダ記念日』が出版された暁には、俵万智は「俵オーガニック万智」になるのだろうか、それとも「俵万オーガニック智」になるのだろうか。

俵万智に限らず詩集を書店の店頭で探さなくとも、インターネット時代の現在では、「じぶんのことば」探すまでもなく、自分が抱いた感情に近いものがウェブ上のどこかに転がっている。例えば映画を見て劇場を出た後に、ツイッターのタイムラインをざっと見て、それからグーグルの検索窓に「自分が見た作品名 感想」か「自分が見た作品名 評価」等々と打てば、大抵の場合「作品名 つまらない」という検索サジェストが出てくる。

作品を見てる最中は、せっかくお金を払って映画館まで見に来たわけだし考えずにいた「実はこの作品は駄作なのではないか」という疑念に、衆目のお墨付きを貰った気がして安心する。そして、なんとなく自分が抱いた感情に最も近い感想が纏まってるツイートをリツイートして、ちょっとアクロバティックな論理の飛躍がある内容の考察のツイートにいいねすれば、作品を反芻した気になれる。

そういう時代だからこそ、国語力の低下だとかを叫ぶ論客が出たりして、そういう波に乗って「じぶんのことば」を大切にするとか言い出す輩が現れるのだろう。事実かどうかはさておき、若者は「エモい」以外の語彙を失って、感情の多様性が無くなりつつあるみたいな難癖をつけられやすくなっている。

登場して幾年が経ったのかもわからなくなり、もはや廃れたのかも不明なその「エモい」という感情が未だにボクは理解できていない。使われ始めたころは、どうしてみんな「ポパい」「ポパい」とファンション雑誌の名前を形容詞として使うのか不思議でしょうがなかったが、後に「得も言われぬ」の省略形「エモい」であると友人が教えてくれて古語のリヴァイバルであると理解できた。

「エモい」「エモい」と連呼して数多の感情を、「得も言われぬ」で一括りにすることは、許しがたいというよりも感情の多様性を放棄しているのでもったいないとは思うのだが、話し言葉が砕けていくこともそれが多用されることも幾分かは仕方ないことだと思う。

しかし、ちなみにエッセイなんかで、この感情は「ことばにできない」なんて安易に書いてしまう連中を見かけると、そのときはオフコース、お前は小田和正かと突っ込みたくなってしまう。喋るときは発話内容を考える時間は限られているから満足な形の言葉にできないというのはまだしも、文字に書きおこしていくなら感情に見合う言葉にしていく時間は十分すぎるほどにあっただろうに。

もし、みなさんが文章で「ことばにできない」なんて書いている人を見かけたら、その人が外出している隙にその人の家に、新潮文庫の100冊コーナーを設置するイタズラを決行してほしい。黄色の垂れ幕にイメージキャラクターんキュンタが「この感情はなんだろう」と問いかけてくるので、文章を書くときに感情を「ことばにできない」で片づけることはできなくなるに違いない。

ちなみに、ボクが昔の文章で「ことばにできない」なんて書き散らしていないかも、恐ろしくボクに恨みがある人は隈なく粗探しをして欲しい。なぜなら、ボクはどうしようもなく新潮文庫が怖いのだ。新潮文庫が怖くて夜も8時間しか眠れないぐらいだ。キュンタが夜中に動き出して襲ってくるんじゃないかと心配でしょうがないのだ。あと、岩波文庫と河出文庫とちくま文庫とハヤカワNF文庫が怖い。

だからといって、ボクは本をもっと読んだ方がいいみたいな安易な教養主義だけの説教じみた話をしたいのではない。「ことばにできない」と思える経験を言葉にしていく作業が物書きのツラいとこでもあるし醍醐味でもあると思う。だから、「ことばにできない」とはできるだけ言いたくない。でも、「ことばがでない」そんな瞬間はどうすればいいのだろうか。

ドイツ人の友人が何かを話し始めてくれて、拙い耳でなんとか聞き取ろうとしていると、その友人は泣き出してしまった。なぜなら、その日の午前にその友人のさらに友人が交通事故にあってしまった話をしていたら、思わず涙が溢れ出てきたのだろう。

こんなときボクはなんて声を掛ければいいのだろう。日本語で話しているときだってボクは言葉に詰まるのに、ドイツ語だったらなおのこと言葉に詰まる。シリアスな状況でなくても、ドイツと日本を衛星放送で中継するアナウンサーのように、途切れ途切れな言葉の電波が電離層に跳ね返ってこなくなる。

日本で同じようなことがあってからハンカチを持ち歩くようになったけど、(衛生用途じゃないんかい)ハンカチを上手く差し出すために、なんてドイツ語を添えるべきなのだろうか。こんな言葉を真剣にいつまでも考えることの方が野暮で、本当は人口甘味料無添加の感情の勢いに任せて何か声を掛ければいいのだろうか。

以前、その友人に誘われてフランクフルトのオープン・エア・コンサートなるものに連れて行ってもらった。クラシックなんて日本でも一度も行ったことがなくて、知ってることと言えば、のだめカンタービレぐらい。あと、のだめカンタービレの作者は人間としてかなり狂っていることぐらい。

コンサートで曲が終わると観客たちは拍手し始めたので、ボクも続いて拍手しようとしたら、その友人に止められた。曲が終わったのではなく、曲のパートとパートの間の時間だったのだ。よかれと思って拍手しても、むしろ邪魔をしてしまうことにもなりかねない。「知らない」ということは、何もしないで済むではなく、むしろ余計なことをしてしまう。

なんて言葉をかけるべきか、どんな行動をとるべきかわからずに、メタ認知が暴走して、余計なことをしないようにと何もしない人間になってしまっていた。「ことばにできない」と書いてしまうエッセイも大概だけど、「ことばにつまる」コミュニケーション障害も救いようがない。

一番仲良くしてくれた台湾人の友人が帰国前に、一度振舞ってくれたコーローハンの出来がよくなかったのでリベンジさせてくれということで、再び招待してくれた。前回も十分おいしかったのだけど、本人は納得がいってないらしく、帰国の数日前という時期に部屋に招いてもらった。

それからコーローハンを作り、タピオカティーまで作ってくれた。氷がなくてあったかいタピオカティーだったけど、みんなで「バブルティー」のことを「バボティー」「バボティー」とバボちゃんとミキティーの合いの子みたいに呼んで騒いだ。

一通り楽しんだ後でさよならを告げるときに、よく考えると彼とは今生の別れになるかもしれないと思うと、またしてもボクは言葉に詰まってしまった。半年間だけど、逆に言えば、半年も異国の地で仲良くしてくれるともだちがちょっとだけど確実に居たという事実が嬉しかった。

生ぬるいけど思い出に残るタピオカティーを飲み干して、彼の部屋を後にすると日本の締めっぽさとはまた違う夏の暑さが残っていて、額の日焼け止めクリームが汗と一緒に流れてべったりとする。でも、さよなら自体は外気温に負けないような熱い抱擁も交わしてないし、名残惜しさにべとべとといつまでも離れられなかったわけでもない。

こういうときに、「エモい」という形容詞を当てるのが妥当なのだろうなと推論してみる。本当は、「エモい」は古語の「得も言われぬ」の略ではなくて、英語の形容詞「エモーショナル」を日本語の形容詞に変換したものらしい。

ここまできて、どうせ「さよならはエモーション」とかいうんだろうと思ったみなさん、そういうことをボクが書いたときのリアクションは「ことばがつまる」ではなくて「ことばにできない」が正解ですよ。







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