【#2】留学先でやりたい99のこと(前編)
小さな主語で、大きな夢を持つ
毎週月曜にnoteを更新すると決めて、アイデアを書き溜めて、あれもこれも引用しようとメモ帳に書き起こした。いざ本文を書き始めると、書いてる内容も面白くないし、書いてるプロセスも楽しくない。自分が面白くないものを人に見せてもしょうがない。
書いてみた原稿を見直してみる。すると何が書きたいことなのか、まるでさっぱりわからない。まず、いきなり自分の過去の体験談から始まる。サンプルがひとつしかない話をしてどうするんだか。いきなり昔語りするんじゃねぇ。いちいち主語がデカい。なにしろ文章が「若者」とかから始まるもんだから、お前が若者を代表するんじゃないと自分からお叱りを受ける。統計上は若者でも、お前ははずれ値だろうが。「俺の若いときは——」と構文が同じ。もうほとんど居酒屋で説教垂れてるジジイと変わらない。
さらに、どこもかしこも引用ばかりで自分の意見は全然ない。それなら原著のAmazonリンクだけでアフィリエイトにして貼ればいい。極めつけに、構成がつまんない。しっかりジョイントをかみ合わせなかったレゴブロックのよう。構成が面白くない文章は遠心分離機にかけて分子レベルからやり直すべきだと思い、一から書き直すことにした。
ここまでが締め切りに間に合わなかった私の言い訳です。2回目にして早々に締め切りをブチ破ったことを反省しています。なんでもします。
さて本題に戻って、今回得た教訓。
「小さな主語で、大きな夢を持て」
お前が何かの代弁者になろうなんておこがましい。主語を大きくするんじゃない。若者は——とか言い出すんじゃない。自分の手に負えるサイズで、精一杯夢を見ればいいのだ。少なくとも学生時代は。妄想だけはおかわり自由。ランチタイム・サービスならぬモラトリアム・サービスではあるけれど。
見果てぬ夢はキャリーバックとAmazonのほしいものリストに詰め込んで旅に出よ。という言葉はないけれども、Amazonの欲しいものリストの起源は、『枕草子』であることは有名な話だ。日本最古の随筆文学が書き連ねた、うつくしいもの、くだらないもの、おろかなもの、やりたいことetc…ジェフ・ベゾスは、極東の島国で書き記された、ひとりの女性の瑞々しい感性にインスピレーションを受けて世界最強の通販サイトを作ったのだ。
というのもウソである。
ただ、私がやりたいことリストを書く口実が欲しかっただけ。というか、最近清少納言に関する本を読んで、私がインスピレーションを受けたことを恥ずかしがって隠そうとしただけ。お恥ずかしい。
実現可能性は全部無視。予算は度外視。「やれるかどうかじゃない、やるかやらないかだ」と自分で言ってみる。余りもセリフがクサすぎて噴飯する。妄想だから大事なのは「やりたいかどうか」、やるかやらないかすら関係ない。達成できなくても仕方がない。全部できると思って作ってない。高尚な願いも卑俗な願いも全部一緒くたに闇鍋にすれば、なにがしかの化学反応が起きる。自分が自分の想像を超えていくに違いない。
全部で99個の「やりたいこと」を〈生存〉〈生活〉〈食事〉〈サッカー〉〈勉強〉〈旅行〉〈ともだち〉〈SNS〉〈イベント〉の9カテゴリー×10の「やりたいこと」に加えて、各カテゴリーの明らかに実現可能性が低そうなやりたいことを集めた〈エクストリーム〉が9つ、合計して99コの「やりたいこと」をリストにした。
それでは、早速、生存編からご覧いただこう。
[01-10]生きねば
01「無事、日本に生還する」
リストの一発目、生存編のトップバッターは死なないことが登場。意外とこれが難しい。不景気、疫病、紛争、狂気の政治家と歴史の教科書に載ることが確定レベルの事象が同時進行で起きているタフな時代である。この挑戦の是非は、運に委ねられている。
ただ、旅先で死なないことは。私の中学生以来のポリシーである。なので、達成したいことは間違いない。なお、例え出国してから何十年経過しても、日本に帰還できれば達成と判定することとする。ただし、日本という国そのものが無くなった場合は、公平に選出されたジャッジ3名による協議の上判定が行われる。
02「できれば、破産しないで帰る」
破産、というのは法律上の破産を狭義の破産とするなら、帰りの飛行機代が払えなくてお金を無心したなら広義の破産と定義する。今回、私が避けたいのは広義の破産で、私が当初の予算を大きくオーバーしなければ、日本チームの勝利となる。仮に、大赤字になった場合、EUチームの勝利となり、ペナルティとして日本の通貨は3年間ユーロに変更となる。
03「そのために、出納簿を付ける」
日本の通貨がユーロとなった場合、紙幣と硬貨のどこに元号を書くかで大紛糾することが容易く予想される。ゆえに、貨幣の切り替えという混乱を防ぐためにも、私は家計簿を付けなくてはならないのだ。紙面につけるべきか、Excelで行うべきか、それとも家計簿アプリで行うべきか。家計簿アプリはユーロに対応してないはずなので、為替レートの計算しなくてすむ方法でラクな方法を選ぶしかない。
究極の選択肢として、家計簿を付けずにフィーリングで1年暮らしてみて、帰国後に子細に検証するという方法もある。実験としては壮大である。だが、もう私に挑戦する勇気はない。私も年をとった。
04「けど、大きい買い物もする」
そうはいいつつ、家計簿の数字とにらめっこしながら、先月からいくら節約できたかなんて気にして暮らすのはまっぴら。せっかく海外にいるのだから、ワイルドに生きたい。クレジットで腕時計とか買ってみたい。MCUの研究で実証されている通り、海外での多額の購買行動の後に「この経験プライスレス」と唱えれば、どんな高額な買い物であっても精神的に許されることはご存知の通りである。
MCUとは、マーベル・シネマテイック・ユニバースの略称ではなく、マスターカード・ユニバーシティの略である。無論、私が創作した架空の大学である。
05「現地のポイントカードも作る」
豪快に浪費するような仕草を見せておきながらも、やはりみみっちくポイントを貯めてしまいたくなるのは、偏にかまいたちのM-1でのネタのせいである。山内がポイントカードを作るためにダイムマシン過去に戻りたいと言い出したことが原因で社会は狂いだした。全ての日本人がTポイントカードを持っていなかった日数を数え直して、途方に暮れたあの日を境にすべてが変わってしまった。とりあえず手数料と年会費無料なら、人々はレジで店員に勧められたありとあらゆるポイントカード作成をお願いしてしまうようになった。行動経済学がいうところの「かまいたち効果」である。例によって、こんな効果はもちろん存在しないが、やはりポイントカードを無闇に作ってしまうのは悔しい。だが、私は結局ドイツでポイントカードを作るのだろう。無念。
06「湯船に浸かる、できれば温泉に入る」
海外で長期間暮らした経験はないが、少なくとも海外旅行をしていて恋しくなるのは、食べなれた日本食ではなく湯船に浸かるリラックスタイムである。エジプト―トルコを2週間旅した際には、イスタンブールで見つけたトルコ式の大衆浴場に涙したものである。湯船ではなく掛湯をするだけの浴場だったが、命が洗われて柔軟剤の香りがしたものである。命の匂いは花王のフレアフレグランスでした。
というわけで、欧州の地でもテルマエ・ロマエよろしく、私は入浴しなければならない。日本人が最後まで失うべきではないアイデンティティは、入浴文化をおいて他にあろうか。風呂に入ることで遠く離れた祖国を私は思い出すだろう。
一切湯船に浸かる経験ができずに帰国した場合、私はおそらく愛国保守政党「スーパー銭湯を守る会」を立ち上げるであろう。スーパー銭湯を守る会は、政見放送も極楽湯から行うポピュリズム政党になる。というわけでみなさんは、スーパー銭湯で、可能ならば硫黄の匂いのキツい温泉かどこかで、欧州でシャワーだけの毎日に悩める厚木を思い浮かべて憐れんでください。そして、日本の政界にまたひとつ下らない党が現れないように願ってください。
07「早起きする」
やりたいことリストが正式に競技として認められてから遥かな時間が経過しましたが、競技開始以来、史上最高難度を誇り続けるこの技が堂々登場しました。文句なしの「F」難度。決めることができるかどうかで、その日一日の質が決まるという勝敗の分水嶺となる種目。これはゴン攻めしていくしかありません。「完成度」・「睡眠時間」・「早さ」・「独創性」の4つの観点から評価される本競技ですが、一番重要なのは独創性なのは間違いありません。
だいたい、高い金払って留学来ておいて、昼まで寝てるとは何事なのか。多くのビジネス書が指摘する通り、朝の1時間は2時間の価値があるというのは、皆さんも感じる通りの事実。だから、朝眠ると通常の2倍の睡眠の効果があるということになるはずなのですが、どうも遅くに起きると罪悪感がこの上ないことを思うと、ビジネス書の指摘は誤謬。
むしろ、二度寝の罪深さは、キリスト教における7つの大罪のうち「色欲」と「暴食」を除く5つをコンプリートしていることに端を発している。起きねばと知りながら、もう一回寝ようという「傲慢」。布団の中でダラダラしたいという「怠惰」。普通に朝起きて有意義なことをしている人への「嫉妬」。結局昼前に起きてきて朝昼兼用で食べている自分への「憤怒」。にもかかわらず、寝る前に携帯をポチポチしながら明日こそ早起きしようとか言ってる「強欲」。煉獄に堕ちて然るべき罪の多さで、陪審たちも満場一致で極刑を要求するに違いない。検察側の主張する罪状は「起きれないくせに、アラームをスヌーズにするからうるさい」で、求刑は「留学先の大学でひとりあいさつ運動」になるのでしょう。
08「夜更かしする」
早起きするなどと嘯いているいる以上、就寝時刻も早くなると思うなどとは考えが浅いとしか言いようがない。若さとは夜半にこそ躍動するもの。夜に輝かない若者の街などない、昼間だけ輝く街と言えば巣鴨だけ、「HIRUASOBI」が「昼に駆ける」なんて言ってたら、「沈むように溶けていくように」は認知症の話にしか聞こえない。というか駆けてない、歩いている。間違いない。夜は若者の特権だ。
ひとつの目標としては、屋外で年越しをして新年を叫んで祝うこと。安っぽい気もしなくもないが、理想的というが妄想先行の目標もあっても悪くない。願わくば、ロケット花火をブチ込みあって新年を祝う伝統の地域ではないことを。さすがに元日に死にたくはない。おもしろ荘見たいので。あ、日テレ映らないか。
09「あんま大したことないものを紛失する」
1年も生活していれば、なにがしかの物は無くなるもの。だけど、重要度のランキングでSS、Sランクのものは海外生活で無くならないで頂きたい。パスポート、滞在許可証、財布、特にクレジットカードあたりは絶対に消えてほしくない。大使館のお世話にはなりたくはない。部屋のカギが無くなるのも正直厳しい、部屋のカギが無くなるぐらいならば自転車のカギを生贄に捧げるので許してほしい。なんなら、自転車のカギを墓地に送り、部屋のカギを特殊召喚できるシステムをドイツ政府は実装してほしい。バーテン・ヴュルテンベルク州政府の方、もし読んでいたらお願いします。
学生証、定期券あたりも紛失率上位にランクインしてくるけど、できることなら避けたい。だから、あんま大したことないものを紛失する程度で、紛失運を消化しきりたい。サングラスとか筆箱とか絶妙なラインで生活必需品にカウントするかどうかの瀬戸際の所持品とかならなおいい。紛失運を1年間で一定量使い切るシステムがシェンゲン協定でEU全土で適用されるなら、Airpodsを失くしてもいい。絶対無くなるだろアレ。
ちなみに、私はAirpodsを購入したことはない。なので無くすこともない。なんで持ってもねぇモノで想定しているだよとお怒りの皆さん。無くす気しかしないモノは買いませんよ、私は。義務教育通過しているので。野生化したAirpodsの多さを思うと、動物愛護団体はAirpodsの保護もしてほしいと思う。
10「ホームシックになる」
ホームシックになる機会なんて限られているのだから、なれるときになっとくしかない。この機会を逃したら、次いつホームシックになれるのかわからないのだから。
それにホームシックになっておけば、就活のときにESに書けるかもしれない。「ドイツにてホームシック経験1年あり」と書いてあれば、なんちゃって留学で語学学校に行って、現地でも日本人とつるんでいてまともに英語も喋れない奴と差別化できる。採用担当者に、こいつにはともだちがロクにいないんだなということを一発で伝えられるだろう。
そして、フレディ・マーキュリーのごとく、寮の自室で「ママーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!」と叫んでみたい。ちなみに、母親を「ママ」と呼ぶことなく乳幼児期を過ごしてしまったので、「ママ」呼びを取り戻してみたい。なんだか、マザコンみたいになってしまったので、この話はここまで。
[11-20]生活習慣砲
11「現地でコンタクトレンズを買う」
生存編が終了し、生活編に突入して最初のやりたいことがあまりにも現実的過ぎて腰抜けした皆さんには申し訳ないが、コンタクトないと全然見えないので。こればっかりは。
12「現地で整髪店に行く、そしておまかせにする」
次は、髪の毛の問題だが、日本にいる時からさして気を遣ったりもしていないので、現地で適当な整髪店に入り適当に切り刻んでもらえばよかろう。決して現地言語でオーダーの仕方がわからないとか、美容師とコミュニケーションをとるのが苦手とか、そういった消極的な理由ではない。
いや、ただでさえ日本にいても、どうオーダーすればいいのかさっぱりなのは触れないことにしても、決して消極的な理由での「おまかせ」ではない。日本にいても、切り終わった後に鏡でチェックしたときに、調整をお願いできない性格だけど、消極的な理由での「おまかせ」ではない。決して消極的…(以下略)
13「現地でアルバイトする」
全く調べてないので学生ビザで就労できるのか全く定かでないが、現地で働いてみたい。日本にいるときは飲食業でのバイト経験が皆無だったから、飲食業で働いてみたい。
お客さんどころか他のスタッフと意思疎通できなくても働いてみたい。全然仕事理解してなくて怒られてみたい。で、現地語で早口でまくし立てて説教されて、何ひとつ言ってることわかってないけど、「OK、OK」だけで乗り切ってみたい。お客さんの注文もミリで聞き取れなくて無限に聞き直してみたい。
アルバイトはドイツ語由来の単語なのに、ドイツ語でアルバイト的な意味で使われている動詞が「arbeiten」じゃなくて「jobben」なのもどうにかしたい。なのでその点についても、ドイツ人に労働に関するドイツ語を日本語と整合性変えられるか労使交渉をする予定。もしダメなら、帰国してから日本語を改造する。
アルバイトにプロ意識を求めるやつが後を絶たないのは、アルバイトの語が輸入されたときに意味する労働形態は変化したのに、求める内容は原義のままだったことに由来しているのではないか、というのが私の仮説。
ドイツ人の働き方、適当だといいな。
14「常連のお店をみつける」
顔馴染みの店というのも作ってみたい。晩飯作るのがめんどくさくなったら、ココみたいな店。行けば、「いつものやつね」みたいになるお店。しかも、毎回頼むメニューは、メニュー表に乗ってないメニューだったらなお良い。
ジャンルはなんでもいいけど、個人経営の店主と知り合いになったら楽しいだろうなと思う。
それとは別に、トルコのロカンタみたいな行きつけの大衆食堂も発掘したい。一食4~9ユーロぐらいで、デザートまでつけてもお腹いっぱいみたいなお店を見つけることができれば、通い詰めると思う。
15「毎日、日記をつける」
意外とハードルが高いのが日記。平安時代から変わらない紙に徒然書くスタイルは、自分でも想像しなかったアイデアが出てくるのでデジタル化はまだしばらく先になる。
難点としては、思考のスピードに比して人間が書けるスピードは限られている。いわゆる脳に手が追い付かない状態になってしまうのが最大のデメリットであるが、スマホやパソコンと違い思考の断片を散りばめることができる利得の方が大きいだろう。
疲れて寝たいに日にも、最低10行丁寧に書くルールを設定して頑張る。
16「やたらと写真を撮りまくる」
海外旅行や国内でも自転車旅行をして感じたのは、写真は撮りまくった方がいい。それは何も映えるためではなく、携帯の写真フォルダが時系列を確認するのに役立つからである。
また質より量で撮りまくることのメリットとしては、たくさん撮ればそれなりに撮れ高ある写真も出てくるということである。読書と同じで、3割行けば名バッターといったところで、撮りまくって3割ぐらいがいい写真、抜群に決まったやつが30枚も出ればいいシーズンであろう。素人にとってはなおさら、偶然でもいい一枚が取れれば儲けものと思うぐらいでちょうどいい。Google Photoに即ぶち込めばストレージも食わないので。
17「マイボトルを持ち歩く」
いまだにマイバック持ち歩きの持参で世論が二分されている本邦であるが、政府が国民を分断統治しようとしていることにいい加減気づくべきだ。もっと言えば、まず持ち歩くべきは、マイボトルだということを声を大にして言いたい。
ペットボトル飲料も積み重なるとバカにならないが、マイボトルにするだけでかなり経費が浮く。留学先でカツカツの生活になるならば尚更、経費削減に努めて、浮いた経費で旅行する、いやしなくてはならない。(義務感)
18「お気に入りのスーパーを見つける」
スーパーマーケットに関する神学論争の歴史は極めて長い。高校社会科ですべての人が学習した通り、曜日曜日で安いスーパーをめぐる人々と、ひとつのスーパーに忠義を尽くし続ける人々の間で抗争が未だに続いている現状がある。現代における、グローバル化とそれに対抗する形でのローカル化の進行も、結局のところどのスーパーマーケットに行くかという問題に端を発している。
さて、話が若干脇道に逸れたが、私はひとつのスーパーマーケットで買い続ける人間である。まず、見知らぬスーパーに行くと、動線が慣れているスーパーと異なるので買い漏らしが起きる。このとき買いそびれるのは、たいてい些末なものではなくて、料理酒などの調味料である。片栗粉の買い忘れという形で、強烈な一撃を加えてくることもある。いずれにせよ見知らぬスーパーは危険なのだ。チヂミを粉なしで作るハメに陥るリスクが数倍高まる。
そして何より、一番大事なのはひとつのスーパーに通い詰めなければ、なかなかポイントカードが溜まらないことである。ポイントが溜まって、お買物券が支払機から発券される瞬間は、小学校の生活課の時間に育てたアサガオの花が咲いたときのように嬉しい。いや、アサガオと違って一定額買い物すれば、オールシーズンお買物券が咲くので、こっちのほうが嬉しい。
お気に入りのポイントカードやってるスーパーを探すのだ。アドベンチャー。
19「現地の映画館で映画を見る」
現地の映画館で、映画を見て、字幕もセリフもなに言ってるかわかんないけど、とりあえずハッピーエンドかバッドエンドかだけわかれば及第点。
20「現地の交通系ICカードを手に入れる」
ご当地交通系ICカード収集を上回る趣味があるだろうか、いや、普通にある。早速、反語表現に失敗しているのはさておき、現地の交通系ICカードを集めることは、その土地の記念品としてわかりやすく、かつリーズナブルで、それでいてかさ張らないところ利点がある。
例えば、トルコのイスタンブールカートは、イスタンブール市内の公共交通機関で使用できるものであるが、デザインも秀逸で見ても楽しい。加えて、チャージした残額をうまく使い切ろうと頭を使うのが重ねて楽しい。
クレジットカードを数枚持つには、それに相当する経済力が必要だが、デポジット式の交通系ICは学生でも無限に集められる。ダム好きは日本各地のダムに言ってはダムカードをもらう習性があるように、私は交通系ICを集めたいのだ。
[21-30]eat well, debu well.
21「自炊してみる」
ここからは、食事編に突入する。食事編の一番手は、自炊が立候補した。自炊と言っても現地のIKEAで食器やフライパン、ヤカンを買い揃えるところからスタートになりそう。
というのはあくまで予想で、学生寮の共用部分のキッチンが一体どのようなものなのかも全く把握していないので、正直わかりません。もしかしたら、あるかもしれません、調理器具。というわけでセラミック包丁だけは持っていくことにする。使い勝手がいいので。
実家から出たことのない私にとって、初めてのひとり暮らしは、やっぱり自炊してみないとひとり暮らしを実感できない。ゆえに、食費を節減するというよりは、ひとり暮らしを実感するための自炊をしてみたい。ひとり分だけ作るとかえって高くなるかもしれない。だけど、ひとり暮らしを感じるために食器買ってみてもいいでしょ?
22「日本のカレーライスをつくってみる」
せっかく作るなら、日本の食品も作ってみたいが、現地で調達できる食料の制約もあり、輸入の日本の調味料はどれもお値段が張る。最低限のハードルを越えればよさげなのは、やはりカレーライスであろう。
米を炊くとカレールーの問題を気合で解決すれば、実食にありつける見込みがある。何食か使い回すことができるのも評価が高い。
23「現地のファストフードを食べてみる」
現地の王侯貴族が食べていたような料理ばかりが、その国のエスニックフードとしてクローズアップされることもしばしある。だが、学生のお財布事情からしたら大衆食の方が、経済的にも味覚的にも雰囲気的にも助かるもの。
特にここ数十年で発達したローカルなファストフードはたいていが、植民地や移民がらみのものなので万人受けするし、知っているものも多いイメージ。ケバブラップとか結局食べてるのかもしれません。
散々日本で食べたのにね。
24「グローバル展開のファストフード店にも行く」
グローバル展開のファストフード店とは、一般にデブ製造機とか血糖値上昇工場などと呼ばれる店たちのこと。日本にも腐るほどあるから行く必要が全くないが、日本にないメニューがあるかもしれないじゃん?とはデブ談。
散々日本で食べたのにね。
25「ローカルフードも食べてみる」
野菜煮込みうどんだとは知っていても、山梨に行く度にほうとうを食べて帰るような人間は、結局ご当地限定という文字列に弱い人間である。そういう人間はたいてい、必要以上にサービスエリアで散財する傾向にある。ひどいときには、行く土地と無関係な白い恋人とか買ってたりする。
そういう人間は結局国外に出ても、その土地にものを食べようとする。現地の人間とは積極的にコミュニケーションをとる勇気はないのだけれど、せめて食事ぐらいは異文化理解に勤めようという薄汚い食い意地を張るのである。
地域固有の食事というものは、土壌や気候といった地理的条件、戦争や宗教などといった歴史的条件、そして移民や経済状況といった社会的条件が複雑に相互作用して発展してきたものである。
その土地の主要な農作物も知らずに、食べるだけ食べようというのは極めておこがましい。同様に、歴史的経緯や経済的に困窮した移民が生み出したカルチャーについて学ぶことなく、異文化交流の名を借りて腹を満たし、挙句の果てにはSNSにまで投稿しようとは呆れてものが言えない。
海外に行ったら、食事の前にその土地の気温と降水量を図ってケッペンの気候区分と合致しているかを確認するのが、その土地へのせめてもの礼儀である。というわけでこれから留学へ行くかたは、百葉箱を持って渡航しましょう。
26「臭いか見た目がエグいものにチャレンジしてみる」
シュールストレミングを仮に寮で開けたら、その寮は廃寮にならざるを得ないだろうが、シュールストレミングほどまではいかなくとも、どこの国にも臭い食品やグロッキーな見た目をした食品はあるものである。
臭かったり、エグい見た目なのに、うまいというのは、ある種ブサカワなどといった自己撞着表現のアナロジーになっている食品は、存在自体がロマンに溢れている。「最初に、これ食べようと思った人凄いわ」という、まるで少しお高めの食パンを売る粗製濫造されている店の名前のような感想以外を出すことを許さない食品。そんな食品との出会いは得難きものである。
ちなみに余談だが、タイへ行った際、現地の大学生としゃぶしゃぶ屋で食事会をして、タイ人の学生に卵は生食できるか聞いたところ、顔をしかめられた。徹底的な衛生管理をしている日本だから、卵かけご飯などという工程が1つしかない料理がまかり通るのであって、海外から見ればゲテモノ料理の類であった。そういう目で見ると、ホエイプロテイン発明以前の時代に、シルヴェスター・スタローンが演じるロッキーが、生卵を呑んで肉体増強している姿がよりかっこよく映る。
「エイドリア~~~~~ン」
27「日本になさげなエナジードリンクを飲んでみる」
多文化共生教育の文脈でよく言われるのが、「エナジードリンクを見ればその国がわかる」ということ。海外に行くことと現地のエナジードリンクを飲むことは不可分の関係である。
例えば、自国のオリジナルのエナジードリンクを持たない国というのは、グローバル市場で競争する企業を持たない国であると推測することができえる。エナジードリンクを必要としない程度にしか、産業が発展していないのである。
エナジードリンクのキャッチコピーと言えば、「24時間戦えますか」が未だに思い出される本邦の労働環境は推して知るべきであろう。日本という国を観測するには、まずエナジードリンクに着目するべきなのである。
レッドブルが「翼を授ける」と売り出すのは、それだけ翼を必要としている人がヨーロッパの労働市場にいるということである。アメリカ発のモンスターエナジーが「Unleash the Beast(野獣を解き放て)」と売り出すのは、まだまだ潜在的に解放されていない人びとが、アメリカには多数いることを暗示しているのである。
このような分析手法は、マックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で指摘した「理解社会学」の手法と同様のものである。ウェーバーは禁欲的プロテスタンティズムが駆動力となって人々を労働に駆り立て、利潤追求を徹底する資本主義の発達を分析した。このとき、人々の行動を決定する因子としてウェーバーは、宗教と合理主義への「理解」に着目した。ゆえに、理解社会学とウェーバーは名付けたのである。
したがって、エナジードリンクに着目する社会学的分析手法は、「エナジー社会学」と呼ぶことができよう。私も学部生とはいえ、エナジー社会学を嗜む者の端くれとして、ドイツにおけるエナジー社会(エナジーゲマインシャフト)を解明的理解しなければならないのである。
28「ドーピングまがいのプロテインを買ってみる」
少し思い出話をしましょう。高校時代、部活の合宿にアメリカから直輸入とかいうプロテインを持ってきたヤツがいた。話を聞けば、味はエナジードリンク味で、作ってもらうとショッキングピンクの液体。しかも本人曰く、「背が伸びる」成分も入ってるとのこと。それはもはやドーピングなのでは
と思わざるをえない情報量の多さ。
以来、海外のプロテインはだいぶヤバいのではないかというイメージが大きく先行しているわけである。ヨーロッパじゃ、トレーニングジムがネオナチとか右翼のたまり場になる傾向があるという話を聞かないこともないので、もしかしたら人体改造まで施されるかもしれない。帰国したら悪の組織に組み込まれてる可能性も無きにしも非ず。
もし、人体改造されるなら、悪の組織の皆さんにお願いしたいのは、ついでにX脚と歯列の矯正もしていただきたい。悪の組織というのが、高須クリニックだった場合だけ叶いそうですが。
29「ありとあらゆるビールを飲む」
どんなビールでもおいしい、おいしいと馬鹿のひとつ覚えで飲んでいる私ですが、ビールの味を分別して語ってみたいものである。このビールは酸味が強くて、あのビールはキレがいい…
白状します。ただ飲みたいだけです。
30「体重をキープする」
さて、ここまで食事編について、あれも食いたいこれも食いたいと放漫に語ってきたが、だからと言って太りたくはない。だって、痩せている私が一番可愛いから。自分が一番可愛いと思う自分の姿でありたい。
「かわいいはつくれる!」
(まだ、30コ…中編につづく)
よろしければサポートをお願いします。みなさんのサポートで、現地で糊口をしのぎます。