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画狂老人卍

今月は美術館に3つも行った。映画館と同じで1度行くと癖になるが行かなくなると全く行かなくなる場所。
現代美術と古典というのを見てきた。
刀と動物の皮をつかったアートの部屋↑友人のにうつりこんでいたらしいわたし。
刀職人ってどんな暮らしをしていたんだろうな?
プライド高いんかな?なにを励みにしていたのかな。凄いの研いだら嬉しかったのかな?名人沢山いたんだろうなーとつらつら考える。

仏像の部屋も異次元だった。お経と暗闇とライトがいいあんばいだった。
ミナペルホネンのハギレと陶器のコラボもよかったな。
ふと奥から聞こえてくるいい感じのお三味とお琴の音楽。。。素敵な音楽につられて行った部屋では
しりあがり寿さんの「天地創造from四畳半」のアニメが上映されていた。ははは、しりあがりテイストー!と緩く脱力のアニメ。
脱力しながら油断してみていたら、途中でわけもわからなく涙が出てきて大丈夫か?自分となった。急いで目を擦りもう一度見る。
2度めもわけのわからない涙が出た、つまり感動。
周りは誰も泣いてなかったので知らんけど。
しりあがり寿さんは、北斎へのコメントに「生きるのを楽しんでいた北斎」みたいな旨を書いていたかと思う。あんなすごいものを四畳半の部屋で生み出していたという。

あれから北斎が気になり、ググれるやつはググるなどし読めそうな文献をAmazonにいれてしまった。

北斎の娘の応為さんもなにやら楽しそうなおなごだった。応為さんのほんとに読んでみたいなあと思った応為坦々録という本は高騰して4000円~1万超などになっていて、なんだかプレミアものだったので増版求む…図書館で探そうか…「眩」という小説を近所の本屋さんで買って帰る。

帰ってからもなにに感動したのか検証したことには、しりあがりさんフィルターを通した北斎が良かったのか?ということ。他己紹介で良かったのかね…それもあるのかな…

いや、世の中の人、生き物たち、自然、旅を好きそうなところと絵だけが全てで絵に捧げた人生のところなのか?その眼差しなのか?何なのか。

北斎のお弟子さんが書いたという応為さんと北斎さんの日常の様子という絵をみたらとりこになってしまい何度か眺めている。応為さんはシレーっとしてそうな表情で、北斎さんの方を見ている。北斎さんは布団の中で丸まって絵を描いている。寝ても醒めても書いていたかったのかな。不精して布団に丸まりながら書いてたのかな。
わー気ままでいいなあって思った。

実際はゴミ屋敷で貧乏で寒かったから布団にまるまって暖をとりながら絵を描いている切実な暮らしの北斎さんなのかもしれない。どっちにしろいいなあ…と。
礼儀とか礼とかが嫌いだったという。家が散らかったら引越しをしていたという。まるのままの魚の調理がめんどくさいからと魚は人にぽいぽいあげていたらしい。号もどうでもよかったらしく、ネーミングセンスもヤバい!
あの生み出された絵たちをみたらきっとふざけ心たくさんありそうな飄々とした好奇心旺盛、新しいもの好きのおじいさんに思う。実際はとっつきにくい芸術家の奇人変人の偏屈おじいさんだったのかな?残されたほんとだか嘘だかわかんないふたりの発してる言葉もかっこいいしおもしろ。謎だからおもしろい。一緒にお酒飲みたい。(下戸説もあるが)

いつか中国だかどこかの髭の長い賢人?みたいなおじいさんたちが木の下ですごいダラダラ(に見える)寝転がりながら、気ままに楽しそうに語り合ってそうな水墨画?を見たことがある。何話してんだろなあんな楽しそうに。タイトルも詳細も作者もおもいだせないが。…それに通づる好きな絵だった。

わたしは、死にたいっていうよりも、ほとほともう色々を終わらせたいです、が定期的にあるので(そんなのよくあると思う、語彙は色々だけど)
うすらぼんやり生きているけど、上記の絵たちを見てなんだか色々を頑張ろうと思ったのだった。
そうだ、わたしは、地球に色々見物にきて、遊びに来ているだけだったと思い直すのだった。

お腹はいっぱいにならないし、必要最低限だけで選択しなきゃいけなくなったら、いらないものかもしれない。でも、やっぱり絵とか漫画とか本とか音楽とか映画や人との関わりはわたしが生きるのにとても必要だと再確認できて良かった。

そして、どんな狭いところにいたって…場所を異動しなくても…たとえ、身体が動かなくなっても…人の心だけは自由で無限でどこまでもいけるんだよな、いけるんだったよな!と思い出せた。
ああ、そうか、そこに感動したんだ。






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