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お母さん21年目

母についてのいちばんはじめの思い出は、なぜか怒っている様子だった。幼稚園に入園したばかりか、その少し前だったか、その日は台風の前兆のような荒れた天気だった。まだ外が明るい時間、母とお風呂に入った。窓から差し込む光はまだ柔らかい白色で、明るいうちにお風呂に入るなんて、とても珍しいことだと感じた。

シャンプーを髪の毛で泡立てながら、ママ友の愚痴を言っていた。「あんな態度をとらなくたっていいのに!」という調子だった気がする。仲良くしていた同級生の母親について何も考えたことがなかったから、自分の「母親」が「人間」になった瞬間を見てしまったと、少々バツが悪い複雑な気持ちになった。

私だけ先にお風呂から上がって、ピクニックがしたい!と思い立った私は、お気に入りのクマのぬいぐるみとレジャーシートを持って庭に出る。案の定、外は暴風でまっすぐ歩くのも一苦労。そんな状態で芝生にシートを敷けるはずもなく、涙目になりながら角を押さえる。お風呂から上がった母が、ぷんすかと怒りながら玄関から私を呼んで、その記憶は終わる。

21歳になる頃のある夜、母と晩酌をしていた。「母親もね、21年目なの」。人間としては50数年の先輩だけれど、母親としては21年しか経っていない、同級生。母親は子供と一緒に成長するものだという。「あなたは1人目だったから、何をするにも不安で、あたふたしていたの」「今はもうわかるけど、昔は全然わからなかったから」。

高校生から大学生になる途中、あまり仲が良くなかった両親と和解できたような気がした。特に大きな出来事があったわけではないけれど、進路の話や親の過去についての話を聞くうちに「親も人間なんだ」と思えるようになってきたのだと思う。

母親歴3年の頃の母親は、まだ、3歳だったのだろう。ママ友同士の付き合いも赤ん坊の頃とはまた違ったものになっていたはずだ。あの頃の母親は、私の中で最も人間らしい母親像として今でも憶えている。


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