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1000回観音詣りを達成した性悪じいさんを成敗した話

『百観音巡り』というものがある。

日本百観音(にほんひゃくかんのん)とは、西国三十三所・坂東三十三所・秩父三十四所を合わせた100カ所の観音霊場のことをいいます

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大手旅行会社のバスツアーもあって、手頃な値段で参加できるのが魅力だ。

私は、まずは近場からと『秩父三十四所巡り』から参加を始めたのだが、2度目のツアーで遭遇したおじいさんが、常人ならざる意地悪じいさんであった。

他の参加者を突然叱責する、大声で罵倒する。
ふんふん!と鼻息を荒げながら、参加者を蹴散らすように歩く、参加者の座っているお寺の用意してくれた折り畳み椅子を突然取り上げて畳むなど。

意味があるわけではなく、思い立ったら突発的に嫌がらせをするのだ。

私も住職の法話を聞いている最中、突然立ち上がり、前方から猪のように突進してきた意地悪じいさんに椅子を取り上げられて片付けられてしまった。
この行為に、全く意味はない。

突然の出来事に呆気に取られていたら、私の近くにいたツアー参加者たちが
「あの人、いつもああいうことするのよ」
「毎回、誰かに嫌がらせをするんだ」
「嫌われ者なんだ」「気にしちゃダメよ」
と、教えてくれ励ましてくれた。

その後もその男は、小言をぶつぶつ言いながら、いつ爆発してもおかしくないような様子で行動をしていた。


バスツアーも終わる頃、バスの中でガイドさんが「今日で百観音巡礼を、なんと10回も達成された方がいます!おめでとうございます!」と言って、男性の名前を挙げた。
それは、なんとあの意地悪じいさんであった。

被害に遭わなかった客が拍手したので、
意地悪じいさんは、とても嬉しそうにしていた。

私の隣の席の被害者の女性は
「全く功徳がないわ。バチでも当たらないかしら」と漏らした。
私は千度も観音寺を参拝してもなお、根性がひん曲ったままの人間がいることに驚いた。

神様でも、治せないのか!?


最後の休憩は、土産店だった。

私がお土産を見ていたら、近くに意地悪じいさんがやってきた。私は一瞬、逃げようかと思ったが、逃げるのはやめた。

「嫌がらせ常習犯め。観音様がやらないなら、私が代わりにお仕置きしてやる!」と心に決め、向かってきた意地悪じいさんに、真正面から大きい声で

「嫌がらせばかりしてると、
 みんなから嫌われますよー!
 もう嫌われてますけどね!!!」

と言い放った。

意地悪じいさんは、人に嫌がらせしまくっている割に、自分が攻撃されると大変打たれ弱いようで、ガーンとショックを受け、ヨロヨロよろけて、後ろに二、三歩、引き下がった。

その様子を見ていた被害者たちは
「よく言ってくれた!」
「これで、あいつも反省するかな?」
「ざまあないわね。天罰よ」
と、私の反撃を労ってくれた。

被害者一同の喜ぶ様子を見た意地悪じいさんは、さらにショックを受けた。

千度、観音寺を回って喜んだのも束の間、ようやく嫌われ者になっていたことを自覚したのだ。

その後、意地悪じいさんは私をターゲットにすることなく、他のツアー客にも狙いを定めることなく「はあ〜、ははあ」とため息をつき、気の抜けた様子で、呆然としながら、どこか上の空で行動していた。

生きがいにしていた嫌がらせも、もう反撃が怖くなって出来なくなってしまったようだ。


私は神様から、このような残念なお役目を任されることが多く、過去にも、noteにまとめた。

意地悪が生きがいだった意地悪じいさんから「嫌がらせ」の趣味を奪ったことで、被害を被る人が少しでも減っただろう。

なかなか面と向かって嫌なやつに反撃できる人間はいないが、迷惑人間には、真正面から抗議しないといけない時もある。

「仏の顔も三度」どころか、観音様は千度、この男の悪行を憂いていたのかもしれない。

千回達成記念日のプレゼントが「嫌がらせへの反撃」とは。

「身から出たサビ」とは、まさにこのこと。

「因果応報」「自業自得」という"仏教の教え"を、彼はようやく"概念"ではなく、"リアルで体感"したのではないだろうか。

⭐︎表紙イラスト⭐︎


不運な人を助けるための活動をしています。フィールドワークで現地を訪ね、取材して記事にします。クオリティの高い記事を提供出来るように心がけています。