吸○紙(きゅうまるし)

 カルロス・カスタネットと出会ったのは、お気に入りのお店の多い菜の花商店街でした。
 金曜日で学校が午後三時四十分で終わり、まだ帰るのには早い時間帯はいつも菜の花商店街で軽く美味しい物を食べるとか、コーヒーを飲むのが私の習慣です。いつも行くのは、『ヴィルヘルム・ライヒ・ベーカリー』というパン屋さん。ここのクリームたっぷりのスイートポテトが私のお気に入りなのです。パン屋さんの一つ隣はコーヒーショップ『大統一理論』。ちょび髭のマスターが生豆の仕入れから自家焙煎までやるお店で、マスターの奥さんが淹れてくれる絶品のコーヒーを味わいながら、ゆっくりと本を読みます。
『大統一理論』を出て、道に露店を出している雑貨屋の店先を眺めていると、紫色のマスクをかぶり、黒衣に身を包んだ大男が私の近くを急ぎ足で通り過ぎていきました。すると、近くに繋がれていた雑貨屋の犬が急に大声で吠え立て始めました。大男は一瞬立ち止まると、懐から紙を一枚取り出して犬に軽く触れました。すると、先ほどまでいた犬が一瞬で消えてしまったのです。犬が消えると、大男は何事も無かったかのように歩き去っていきました。見ていたのは私だけのようです。犬を雑貨屋に返してもらおうと思い、私は大男の後を追いました。しばらく歩くと、今度は元気の無い年寄り猫が日なたで昼寝をしていました。大男はまた懐から紙を一枚出して猫に一瞬触れました。すると今度は年寄り猫がいきなり元気になって、近くにいた若い三毛猫にすり寄り始めたのです。これは何かあると思い、私は気づかれないように大男の跡を付けました。
 大男が角を曲がって入っていった場所は菜の花商店街の外れにありました。確かここは地元のサラ金業者の所有地で、社員と社長の駐車場のはずです。私が角を曲がって入ると、駐車場の真ん中に『よろず占います・魑魅魍魎軒』(ちみもうりょうけん)と段ボール紙にマジックで書いた看板以外は、机と椅子が二つだけの占いの露店でした。看板の横にはセンザンコウの剥製と殷時代に作られた青銅製の怪獣のレプリカが置かれていました。大男は自分用の椅子に座ると、懐から取り出したタロットカードをカジノのディーラーのように高速でシャッフルし始めした。私と目が合うと、手にしたタロットカードで占い始めました。
「君のカードは戦車(チャリオッツ)に、力(ストレングス)……強気で進め、勝利、本能、相手を思いやり優しく説得する、気持ちを動かす、か……。なかなか強いカードだ。座りなさい」
「あ、あの……?」
「話は座ってからだ」
 そう言うので、私は言われるままに大男の向かいの椅子に座りました。
「この出会いは……ふむ、運命の車輪(ホイールオブフォーチュン)。運命か。ようこそ、よろず占います・魑魅魍魎軒へ。私は店主兼黒魔術師のカルロス・カスタネットだ。雑貨屋を通り過ぎたあたりからずっと人のことをつけ回して何の用かね?」
「い、犬を雑貨屋さんに返してもらおうと思って」
「ああ、うるさかったからこれを使ったまでだよ」
 そう言うと、カルロス・カスタネットは懐から紙を一枚取り出しました。紙には【吸○紙】と印刷してありました。
「すうまるかみ?」
「違う。きゅうまるしだ。この○に文字を書き入れて使う。さっきの犬はこれを裏返して叩けば外に出てくる」
 カルロス・カスタネットの取り出した紙には【吸犬紙】と『犬』の文字だけ手書きで書き加えられていました。カルロス・カスタネットが紙を叩くと、雑貨屋の犬が紙の裏側から飛び出してきました。
「そら、飼い主のところへ帰れ」
 と言うと、犬は商店街の雑貨屋の方へ走っていきました。
「猫にはこの紙を裏返して貼り付けて元気を分けてやった。猫は可愛いからな」
と言いながらカルロス・カスタネットが取り出した紙には【吸元紙】と『元』の字が書き加えてありました。
「電車内で元気の余っている騒ぐ子供から元気を吸い取った。女性のあなたにはこっちの方が怖いだろ?」
 と言いながら取り出した紙には【吸美紙】と『美』の文字が書き加えてありました。
「女性に貼り付ければ美しさも吸い取れる。変わり種としてはこんなのもある」
 こんなのと言いながら取り出したのは【吸記紙】と○に『記』が書かれた紙でした。
「本から記録を吸い取るんですか?」
「違う、記憶だ。知り合いの白髪のSF作家に頼まれた。忘れっぽい人でな、忘れる前に思いついたアイデアを吸い取って保管してくれと言うんだ。裏返して頭に貼り付ければ、また記憶は元に戻る……おっとっと」
 手元が狂ったのか、カルロス・カスタネットの手から紙が一枚落ちて、遠くへ飛んでいってしまいました。私が拾ってこようと立ち上がり、追いかけると
「おい、姉ちゃん。これ落としたで」
「ありがとうございま……」
 すの文字が言えませんでした。紙を拾ったのはベンツから降りたサラ金の社長と見た目からして悪そうな社員三人でした。
「オッサン。何、人の駐車場で勝手に商売してるんじゃ」
 サラ金業者の目線は私では無く、カルロス・カスタネットに向いていました。どう考えても悪いのはカルロス・カスタネットのほうです。一緒に私が謝ろうかと考えていたときにサラ金の社員が持った紙を見ると、【吸悪紙】と『悪』の字が書き加えてありました。
「これは悪人に貼ると悪い心を吸い取れる紙ですね。なら社長に貼れば……!」
 私は社員の手から吸悪紙を引ったくって、サラ金の社長に貼り付けました。貼った途端、社長の目から悪そうな光が消えました。しかし次の瞬間には社長は、手近にいた社員を殴って財布を取り上げ始めたのです。
「何で?」
「お前失敗したな。あの男にとってはどんな手段を使っても金を取ることが善で、貧乏人に同情して金を取らない事が悪になっているのだ。だから吸悪紙を使うと、自分より貧乏な人に同情する心が無くなるのだ。ああなってしまったらもうこの紙を使うしかない」
 カルロス・カスタネットが取り出したのは【吸嵐紙】と書いた紙でした。
「この紙は善用も悪用もできる」
 そう言うと、カルロス・カスタネットは指を組み合わせて印を組みました。すると、目を開けられないほどのつむじ風が私とカルロス・カスタネットを包み、しばらく吹き荒れました。
 つむじ風がようやく収まって私が目を開けると、カルロス・カスタネットも、椅子も、机も、店も、サラ金業者も、ベンツもみんな消え失せてしまいました。【吸嵐紙】なのですから、裏返して叩くと吸い取った嵐が出てくる? サラ金業者とカルロス・カスタネットはどこに行ったの?
 全てはつむじ風がさらっていってしまいました。私は、夢ではないかと思いました。
 しかし、私は何故か【吸美紙】だけは手に持っていたのです。

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