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#01 New Normal

先週、大学病院でアポがあったので中央駅まで出た。今年の3月からホームオフィスをしているので市内へ出る機会が激減してる。その日は久し振りの外出となった。公共交通機関でのマスク着用は義務だ。つい半年前までは、たとえインフルエンザが大流行してもマスクをしている人をここヨーロッパで見かけることは殆どなかったのに。今更ながら、世の中は変わったのだ。

駅構内を歩いていると、マスクをした女性がゆっくりと私に近寄ってくる。挨拶されて、Karinだとやっとわかった。フランス人の母、中国人の父を持つ2児の母で建築家。彼女とはこの3年程会う機会がなかった。偶然の再会がとても嬉しくて思わず両手を広げてハグしようとしたその瞬間、「あー、だめよ。ウイルス、 うつしちゃうよ。」悪戯っぽい目をしながら後ずさりする。立ち話でお互いの近況をキャッチアップした後 改めてゆっくり食事でもしようと約束をした。ただ驚いたことに、彼女は日本女子さながらに顔の横で小さく手を振り、微笑しながら去っていったのだ。サバサバした飾り気のない彼女がかわいい日本女子のように見えた。その場でポカンとしてると、おまけに投げキスまで飛んできた。なるほど、ニューノーマルからのエボリューションか。コロナ以前には親しい間柄なら別れ際も フィジカルコンタクトがあった。それが自粛された昨今、自然と別の表現に移行してるのね。何はともあれ、彼女も再会を喜んでくれたのがよくわかった。  

挨拶する時の握手、ハグ、頬にキス3回。私の経験だと通常この3段階は、知り合ってからの時間とその関係密度、速さで正比例する。男女の区別はない。因みにパーティー、クラブなどではこの関数は完全排除。即ステップ3からどうぞ。この土地に住み始めたばかりの頃はどの位の角度で右上がりの線を描いてよいのかわからず、私はそのイニシアチブを完全に相手に委ねていたものだ。しかし、今や慣れ親しんだこの習慣がコロナで自粛制限。それどころか、マスクで顔の3分の2が隠れていて相手の表情が殆んど読めない。そこで社内ワークショップで聞いたメラビアンの法則をふと思い出した。コミュニケーションの際、聞き手にとって曖昧な話し手の印象を決める要素は「言語情報7%  聴覚情報38% 視覚情報55%」らしい。私達は言語以外の五感、いわゆるボディランゲージで相手を理解する傾向にあるのだと。ところが今や顔の3分の2が隠されて、影響要素全体の約36%の情報が欠落した状況を余儀なくされている。果たして相手に意思がきちんと届くのかしら。むしろ、正確な情報処理不可能で人間関係が希薄化したりして。大学病院の待合室でそんなことをぼんやりと考えていたところで名前を呼ばれた。診察室に入ると待っていたのは、マスクの若いアシスタントドクターだった。

ああ、神様 ! イケメンドクター!! 

背が高くてスタイルが良いのは白衣を着ていてもわかる。茶色がかった金髪でマリブビ-チのサーファーのようだ。「担当教授が学会で留守なので今日は僕が担当です。引き継ぎはきちんとしているので心配はしないでくださいね。」落ち着いた口調で真摯に話す。言葉の選び方で親身になって診察してくれていると感じるし、語りかける声の音色が心地よい。途中、話を聞きながらメモをとる先生のペンが床に落ちた。手を伸ばして拾う仕草。そして落ちちゃったと照れ隠しに微笑みながら見上る視線。はー、めまいがしそう。ハンサムな人は振る舞いもハンサムなのね。今すぐマスクをはずして顔を見せてほしい !! 視覚情報たったの3分の1の危機下でも私の情報処理が正しいのか。そうだ、答え合わせがしたい。

....えっ、ちょっと待って。 危うく暴走しそうになってすぐ気がついた。意思疎通の視覚情報に美形か否かそんなクライテリアはなかったでしょ。ふう、舞い上がって道から反れそうになった。私は診察の最後まで" 答案確認 "をしたい煩悩にかられていたが、マスクのイケメン、フロリアン先生(胸の職員証)は診察室出口までエスコートしてくれて いよいよお別れの時がきた。互いに軽く会釈をして、お大事にと私をやさしく送り出してくれた。心底ドキドキした。なんて素敵な1時間だったのだろう。

コロナのワクチン開発まではソーシャルディスタンスの確保優先で感情表現が進化していきそうだ。ニューノーマルからのエボリューション。自粛制限されていない残り全ての感性をフルに使ってコミュニケーションをとっていこう。「言語 、聴覚、視覚」この情報が矛盾せず三位一体なら相手と正しく意思疎通ができる。そしてこの条件のもとでは、マスクは視覚情報の妨げにはならないと私は深く実感した。