見出し画像

思考が現実化して戸惑った話

占い師になってから、本当に色々なことが変化して、日々驚いたり、気付いたりするわけですが、今回はうっかり思考が現実化していた話です。

潜在意識と顕在意識のはざま

意識してないから潜在意識なんだよ・・・

「思考は現実化する」はとても有名な著書であり、スピリチュアルなことに興味がなくても触れたことがある人もいるのではないでしょうか。思考は現実化するって言ったって、現状お金持ちでもないし、幸せでもない。どういうことだ!ってなって、通り過ぎることが多い分野だと思います。そもそも考えていることが現実化するなら、誰だって気軽に扱えるはずなんです。思考とは潜在意識であるってところがミソなんですよね。よくね、氷山に例えられる潜在意識と顕在意識の図ありますね。

これですね。この水に沈んじゃってる潜在意識が現実化するんですよ。理屈は分かっていてもうまく扱えない。でも、日々の生活に着目すると、思考が現実化していることに気が付くことができます。私もそんなことがごく最近起きました。壮大な物語を用意して、それはやってきましたので、書いていこうと思います。

意味のないことなど一つもない

私は、守護霊じゅうとともに人生を歩んでいます。じゅうとの出会いは、私がjuuになった話に書いてあるので、興味がある方はぜひご覧くださいませ。
ある日、じゅうが言いました。
「今月、会う約束をしている人とご縁があるから」
その月は二人の社長とお茶をする約束をしていましたので、そのどちらかと何かあるということか?と聞くと、そうだというじゅう。そうかと思い、二人にお会いしたところ、二人ともとてもいい人で、その後も時々食事に行ったり、イベントに呼んでいただいたりとご縁を繋いでおりました。

また別の日、ご縁があり鑑定した人のことを私はとても好きになりました。女性でこの方も社長ですが、エネルギー溢れて素敵な人だったのです。この人の役に立ちたいと思ったのを記憶しています。

その後、じゅうが言った通り、社長さんのところで、私はコンサルタントとして起用していただくことになったのです。
その同時進行で、好きだと思った女性社長から打診を受け、彼女の秘書として役割もいただき、私は占い師としても仕事人としても忙しく過ごすこととなりました。

ですが、結果、私は全くうまくできなかったのです。社長さんのサポートをするどころか、下からの意見をストレートに伝えて心を閉ざされてしまったし、女性社長の方も彼女のパワースイッチを押してしまっていたのでしょう。強い態度に出させてしまったのです。二人の本来の良さを、私の影響を与えることでおかしな方向へ向かわせてしまったのです。
じゅうに聞いたら「これで良い」「こうなると決まっていた」という言葉。もう絶望するしかありません。だったらなぜ、この道を通らねばならなかったのだろうか。

二人との時間は私にとってはとても楽しく、勉強になることばかり。だったのに、私は二人と決別する形で終わってしまったのです。
一緒に旅行に行ったり、意見を交わしたり、信頼関係を得て進んだはずなのに、なぜ?私はずいぶん考えました。

その二人が悪いと考えてみたり、自分が悪いと考えてみたり、運気が悪いと考えてみたり、感情を解放させて、悲しんでみたり、怒ってみたり、恨んでみたり。
テトリスのピースをぐるぐると回してひっくり返して、きれいに並べ替えようと必死に思考を続ける日々。
私はしつこく考える癖があるけれど、それは、意味のないことなど一つもないと考えているからです。今までもずっとそうだったから。


自分の潜在意識にたどり着く

私は占い師になる前、マクドナルドで働いていました。我ながら、その仕事は得意だと思っていたし、とても楽しみながらやっていたので、一生続けてもよいと思っていたのです。一方で、年を取って続けるにはしんどい仕事だとも思っていたのです。そんな時に、急に占い師になることになり、当初は二足のわらじで進むつもりでいました。ところが、占いの仕事はあっという間に忙しくなってしまい、マクドナルドの収入を一瞬で越えて、お客さんは待ち状態。これではいけないと感じて、私は思い切ってマクドナルドをやめることにしたのです。ちょうど嫌なこともあったし、潮時を感じていたこともあり、10年務めた場所を去ることに。占い師は個人事業主。いわゆる「独立」するということになったのです。

この時の私に「独立」の意味など分かるはずもなく、占い師になってすぐに、妊娠をしたことも重なり、とにかく目のまわる忙しさをひたすらこなす日々。保育園に入れない上の子二人を一時預かりに預け、妊婦の大きなおなかで、何件も占いをこなし、お金のこともよくわからないまま、出産のギリギリまで占い、退院後その日から占い、対面鑑定も生後20日から再開。気が付けば、占い師になって2年近くたち、2度目の確定申告の時期を迎えていました。その時に突きつけられる、収支のバランスのこと、扶養から抜けなければならぬ事実、個人でやる大変さ。大きなお金を払うことになったのに、子供は保育園に入れない。なぜなら私が個人事業主だから。色々なことが嫌になったことをよく覚えています。
独立がいいものでも何でもなく、ただ自分の理想から離れるだけの行為だったのかもと後悔しました。

しんどいなと思えば思うほど、個人事業主であることを呪います。そして、マクドナルドという大きな組織のシステムの呪いも受けることに。マクドナルドは、評価システムがしっかりしているのです。一部のお局バイトの声が入って本当に正しいかどうかは疑問ですが、定期的に評価を受け、成長を認められ、ほめてもらう時間があるのです。ですが、占い師ときたらどうでしょう。確かに、口コミで予約が途切れたことがなく、それが評価だと言われればそうだし、お客様から直接お褒めの言葉もいただきます。ですが、あのお祭り感はないし、誰も認めてくれてない孤独感。自己承認力がないとつぶれてしまいそうです。
誰かに雇われたい・・・・・・・・・
私の中にこんな思考が横たわっていました。近くでほめてくれて認めてくれて、正しく評価してくれる人がいてくれたら。同時に、誰かの役に立つことが自分の幸せに繋がると強く信じていました。どこかで誰かと強く繋がって、大きなことを成し遂げたい。そんなな願望があったような気がします。

そんなことを考え始めた時期に私は二人と出会っているのです。つまり私の潜在意識は壮大な物語をひっさげ、現実化しようとしていたことになります。

集団帰属欲求

私が望んでいたのは、組織の中で誰かに守られ、その一部として役割を果たし、自分の存在を確認したいということでした。
そして、私は優秀なので、社長の右腕がちょうどよいだろうと考えたのかもしれません。子供のころに書いた将来の夢「キャリアウーマン」。高卒の女がキャリアもくそもありませんが、私の描くキャリアウーマンはきっと社長直属の何かだったのでしょう。そう考えると、私はしっかりと思考を現実化したことになります。
出会いから、信頼関係を作るところから、関係が崩れるところまで、全て思考が現実化したとしたら、本当に怖いですよね。他人も巻き込んで、私の集団帰属欲求を満たすために動いたんですから。もう壮大すぎて引いてしまいます。でも、そうかと気付くことが大切です。思考が現実化してもその欲求が満たされて満足したと思えなければ、また同じことを引き起こしてしまうのですから、何度でも形を変えて思考は現実化し続けるのです。私も実際時差がありました。コンサルに入った方と女性の社長とのことがあるまで1年ありましたから。同時に起きて、時差があって、2回目で気付いたということは、私は1回目では気付かないということも決まっていたのでしょうか?頭を抱えたくなりますね。とにかく、全てに意味があると捉えて、これは私の思考が現実化して、私は集団帰属欲求を満たすため、雇われたいという願望をかなえるため、全てが動いていた。これを自覚することがとても大切だと考えています。「体験の終了」がとても大切だから。潜在意識さんに、これは体験して、学習して、もう実現しなくていいよって理解してもらうことで、次の思考を現実化させるスイッチを押すこともできると考えます。

この現実は思考が現実化した結果

私はまさか、自分がこんな形で思考を現実化させるとは思っていませんでした。もっとよいことを現実化させてくれよとも思います。ですが、今までの人生、全て思考が現実化してできた世界だと気付いたのです。思考を現実化するのに準備が必要ですから、その準備期間を含めると、本当に壮大な物語を作り上げて、寄こしてくることになります。そして、気付いて描く未来を柔軟に変えることも必要です。私の場合、企業にまともに務めたことがなく、人から上からものを言われるのが苦手なので、キャリアウーマンにはなれません。子供のころの私、ごめんね。でも、占い師として、人の心に寄り添い、エネルギーをあげて、役に立つことはできそうです。おかげさまで、マクドナルドの次に続いている仕事になりました。ということは、占い師として、こうなりたい、こんな人を助けたいと思って現実化してもよいわけです。潜在意識は、子供のころの夢を含め、こうなりたい、あこがれるな、いいなと思ったことを記憶しています。そして、その思考を叶えるために常に働き動いています。向いている、向いていない、今望んでいる、望んでいない、全く関係なく現実化しています。その現実化したことに対して、現実化したな!よしオッケー!と言わない限り、何度でも現れることも特徴です。うちは貧乏だと言われて育てば、貧乏だと感じることが定期的に起きるわけですから、本当に迷惑です。それなら、お金持ちになりたいと願うのはおかしいことに気付くでしょう。お金持ちの概念がまず現実化しにくいですしね。

全てのことに意味があると考える

私はこの体験で、やはりすべてに意味があるんだと確信を持ちました。子供のころあれこれあったことも、出会った人一人ひとりもすべてに意味があって、タイミングもすべてばっちりだし、全てはある意味仕組まれているのだと。そう考えると、悩んだり弱くなることも意味があるし、何もせずにゴロゴロする日も意味があるし、流される人生で良いのかもしれないと。ただ、思考することだけはやめてはいけないのです。前に前に発展的に、誰かの役に立ち、そのことが喜びになり、一緒に悲しみ、一緒に喜び、小さな鳥の声を聴きとることも外の空気の温度を感じることもすべてに意味がある。そこに生まれる思考が自分を作り出し、奇跡と呼ばれることも引き起こし、人生の大きな意味にも気付いていくと思います。そのために、顕在意識があるのだから。自然のものである肉体をいただき、この地に足をつけて、こんなに緻密に考える脳をもって、それと関係ない思考を持つ私たち。もっと、自分の肉体と脳と思考を使い分けることができれば、大きな謎を解き明かし、発展していけると信じています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?