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ハミダシ者よ警官になれ『ポリスアカデミー』

たまには、ただただ楽しい映画を。

『ポリスアカデミー』(1984〜1994 アメリカ)は、言わずと知れた長寿コメディシリーズである。

1作目『ポリスアカデミー』(1984)は、警察学校が舞台であり、それ以降は、警官となった彼らの活躍(?)を描いたり、再び警察学校に戻ったりと色々と続いていくわけです(適当すぎますが、それぐらいがちょうどいいんです)。

で、記念すべき1作目のストーリーは、市長が、警官採用の制限を大幅に下げたアメリカのとある街で、社会のハミダシ者たちが警察学校に集まってくるというもの。

なのだが、このハミダシ者がどうしようもないアホばかりで(というのも、人種や性別はもちろん犯罪歴も学歴も一切不問)、警官の卵にもなれない存在なのだ。

主人公のマホニー(スティーヴ・グッテンバーグ)は、揉め事で豚ばこ行き寸前にポリスアカデミー入りし、

その他にも、銃狂いのタックルベリー(デヴィッド・グラフ)、心優しき2m超えの巨人ハイタワー(ババ・スミス)、人間効果音(マイケル・ウィンスロー)、気弱な女性フックス(マリオン・ラムジー)と、錚々たる変人大集合である。

彼らが、一人前の警官になるために、しごかれる日々をギャグをちりばめ描いていくわけだが、

しょうもない笑いと、なんかよくわからんうちに、上手いこと話が運んでハッピーエンド、という映画なわけです。

そもそも、なんで市長が警官採用の基準を下げるのかすら明かされませんから。

でも、それがダメとかいうわけではありません。その、ぬる〜い風呂にいつまでも浸かっていられる感覚が素晴らしい。

最近の映画は洗練されすぎている。良くも悪くも。テーマやストーリーを大切にし、技巧凝らしたり、奇をてらう表現が行われる。

その中で素晴らしい映画も沢山生まれているわけだから、一概にダメというわけではないけども、ジャンルを問わず、頭でっかちな映画が多すぎると感じるのが正直なところだ。

ポリスアカデミーの背景には何もない、社会の矛盾もマイノリティーの問題も、警官という存在についても何も深掘りされない。登場人物にも複雑なドラマは与えられない。

だから頭を空っぽにして、心の底から彼らを応援し、楽しめる(現実の警察もこれくらい多様で愛らしいやつらなら良いのだが)。最高の娯楽映画だ。

『ポリスアカデミー』は大ヒットし、『ドクターズ・アカデミー』や『ドライブ・アカデミー』、『天才アカデミー』など”〇〇アカデミー”が乱立した。

悪くない作品も少なからずあるが、ほとんどは低品質な冷水コメディ映画であった。

勿論、すぐに本家もシリーズ化され、翌年には『ポリスアカデミー2/全員出動!』(1985)が公開された。

シリーズを追うごとに、ぬるま湯はさらに冷めていき、メンバーも1人また1人と姿を消していく。

だが、変わらず続く個々のキャラクターのお家芸や、途中から登場する(のちに警察官になる)キンキン声で喋る暴走族のリーダー、ゼッド(ボブキャット・ゴールズウェイト)の登場(本来はビル・パクストンが演じる予定だった)といった楽しみも続き、観客は知らず知らずのうちにあいつらに愛着をもつ。

その後も、10年間続いた『ポリスアカデミー』劇場は7作目『ポリスアカデミー'94/モスクワ大作戦!!』(1994)で一旦幕を下ろすことになる。

が、彼らが帰ってくるという噂が2018年に立った。
ハイタワーやラサール校長、タックルベリーも亡くなった中で『ポリスアカデミー』はどうなるのだろうか(『ラバランチュラ 全員出動!』(2015)は、実質『ポリスアカデミー』軍団の同窓会的映画になっており、映画の出来は置いておいて、感慨深いものがあった)。

思えば7作目を見終えた時、少し寂しい思いをした。あいつらにもう会えないかもしれないだ。あれからマホニーたちはどうしているのだろうか、立派な警官になっているのだろうか、という思いが残る。

また若かりしあいつらに会うために、そしていつの日かの新作公開のために、僕はまた『ポリスアカデミー』を見てしまうのであった。






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