議論でも、会話でもなく、対話を

今日読んだ本の中で相手を打ち負かす「議論(ディスカッション)」や
意見に変容なく話す「会話(カンバセーション)」ではなく、
共に意見をぶつけて新たな意見を生み出す「対話(ダイアローグ)」が重要という話があった。

なぜか話が噛み合わない人とのコミュニケーションって
「対話」の感覚が抜けていたように思う。

自分の正しさを主張していて、こちらの意見とのすり合わせというか、
新たな発想を共に生み出す感がなかった。
どちらも満足できる落とし所を見つける感覚。

単純に信頼されてなかったり、
能力が足りないという判断だとしても、
そのスタンスがあるかって伝わってくる。

その感覚で対応されると、こちらとしては出来るだけ指示待ちにしてしまう。
作業が済んでから、それは…みたいな対応されるとしんどいし。

この「対話」の「ダイアローグ」という英語を見て思い出した事がある。

それは「ダイアローグインザダーク」というイベントだった。

ダイアローグインザダークを思い出して

ダイアローグインザダークは都内にあるビルの一角でやっていた。

全く何も見えない空間の中をその場で始めて会った人達と進んでいく。

道案内は盲の方。

全く目の見えない空間で過ごすことで、
音だったり、触れる感覚が研ぎ澄まされる感覚だった。

その中では確かにコミュニケーションは「対話」だったなと思い出す。

今まで、どれだけのことを視覚に頼っていたのかを感じると同時に、
前を進む人の声や雰囲気、手を引かれることに安心した。

今までとは違った環境で過ごすからには、
持った感覚だけ推し進めるディスカッションでは成立しない。
環境に適合するために周りの人とダイアローグしていたなと懐かしんでしまった。

ある時期に取り壊しになると知り、
いいものなのになくなってしまうかと残念だったが、
自分の中にしっかりと学びを残していた。

失って初めてわかること、
いつもと違う感覚は大事に残しておくのは当然。
ここに考察が入ると新たな学びになるのだろう。

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