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短編不純情小説【届いた柿の味】③(全5話)

③  冒険の結末

 その倉庫街に哲生は見覚えがあった。この先を海の方へ行くと、父が勤める鉄工所がある。ある日曜日に、忘れ物を取りに行くという父の自転車の荷台に乗って、工場まで連れて行ってもらったことがある。ということは、反対に川の上流の方向に行けば、駅に着くだろう。そこから線路沿いに山の見える方に歩いて行けば家に着くはずである。遠回りだがこのルートの方が自転車では通いやすいと、父が言っていたことを哲生は思い出した。 
 あっちに行ったら父ちゃんがいる…哲生は父に会いたい気持ちを抑えて、鉄工所とは反対方向の、帰途の道順を思い浮かべながら再び歩き出した。
 足を進める方向が、逃避行から家路へと切り替わったことを知った幸代は、緊張が解けてしくしくと泣きだした。少し先を歩く哲生が振り向いて手を差し出すと、幸代は早足で追いついて哲生の手を握った。

 ふたりの家がある小幅な通りに帰り着いた時には、夕闇がかなり深まっていた。幸代の家の前で、両家の母親が待っていた。幸代の姉もいた。
 母親たちは疲れ果てた哲生と幸代の表情を見つめた。そして静かな声で、こんな時間までどこで遊んでいたのかと問うた。

「さっちゃんと、父ちゃんの工場に行きたかったけど、行けなかった」

 哲生はそう答えた。幸代は終始うつむいていたが、家に入ろうとした時に振り向いて哲生と目をあわせた。

 今日のことは黙っていよう…目をあわせたふたりはそう示し合わせたつもりだった。
 しかし、商店街で事件を起こして逃亡したことへの罪悪感に耐えられるほど、幼いふたりの心は強くなかった。
 夕食のあと、幸代の母が哲生の家を訪れ、そこで全てが露見することになった。幸代の様子がおかしい、何があったのか本当のことを話して欲しいと言われ、哲生はあっけなく全てを白状した。
 哲生の母は、幸代の母に繰り返し頭を下げて詫びた。哲生はその場で父に怒鳴られた。

 翌日の午後、哲生と幸代はふたりの母親たちに連れられて、ペット店を訪れた。そして四人で店主に謝罪した。
 床に落とされた亀は、体のどこかを傷めたかもしれないので売り物にはならないと聞かされ、哲生の母が落とした水槽ごと買い取ることになった。店主が、子供向けの亀の飼育のガイドブックを哲生に手渡してくれた。

 哲生の冒険は失敗に終わった。成長の証としたかったことが、かえって未熟さを顕わすことになった。別々のクラスになった幸代と共有体験を重ねておきたいという無意識の目論見も、彼女を怯えさせ疲れ果てさせてしまうという、期待とは真逆の結果となってしまった。
 ペット店の店主がくれたガイドブックを、哲生は一字一句暗記するほど読み返しながら、岩みたいな甲羅の亀を飼い続けた。幸代が亀を見たいと言うことは二度となかった。
(つづく)


copyright(2024)九竜なな也

つづきはこちらから
④赤い小箱の痛み

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