ほっこり、優しさ。
少し前の出来事。
珍しく電話が鳴ったので慌てて受話器を取り耳にあてると『あ!○○だけど、パンたべる?』と相手の言葉がマッハで私の耳を駆け抜けていった。
電話の主は近所の方で、私が返事をしたかしないかの内に『じゃぁ持ってくねー』という声。あっという間に通話が終了し、しばらくポカンと受話器を眺めてしまった。
なんともせっかちな世界である。
ところで、パン…?
パンといえば春のパン祭り。一生懸命シールを集めた時があったな。
ご近所さんも、何かの懸賞に応募したくてたくさんパンを買ったのかな?
そんな事を考えていると、先ほどの電話からわずか数分でご近所さんはやってきた。マスクを着けて玄関を開けると
「はいこれ!じゃぁね!!!」
と、これまたマッハで帰っていってしまった。
ソーシャルなディスタンスが云々というより、ご近所さんの気質がもともとマッハなのだけど、最近は玄関先で世間話というものをあまりしなくなったような気がする。
少しさみしい。
小さくなっていく後ろ姿を見送りながら手渡された物に視線を向けると、それは綺麗な白い紙袋だった。
『 銀座 に志かわ 』
その日我が家には、思っていたもの以上に大物がやってきたのだった。
🍞
食パンって、嫌いではないけれど特別好きというわけでもなかった。こだわりも全く無かった。
祖父が養蜂をしていたこともあって、我が家には定期的に蜂蜜が届いた時代があったのだけど、カリカリに焼いた食パンへその蜂蜜をたっぷり塗って食べるのが大好きだった。
パンというより、蜂蜜の味を楽しんでいた気がする。
祖父の蜜蜂はアカシアの蜜を集めてきていた。
さっぱりとした風味で大好きだった。
頂いた紙袋から優しい香りが香ってくる。中を覗くとふわふわな食パンが1斤、にっこりと微笑んでいた。
🍞
パンを袋からそっと取り出し、ワクワクしながら少し贅沢な厚みになる様に包丁を入れた。
そういえばパン用の包丁を使うのなんて何年ぶりだろう。こんな些細な事でなんとなくご機嫌になってしまう私はやっぱり単純である。
袋の中に入っていた『美味しい食べ方』の紙によると初日は焼かずにそのまま食べると良いとの事。
なるほど。遵守しよう。
どっしりふわふわなパンを一口サイズにちぎって、口の中へ。
そのあと私は、はじめて出会ったその優しい風味と舌触りに感動し、以降数日の間どんなに美味しい食パンだったのかを語り続けるクチコミマシーンへと化したのだった。
🍞 { 食パン、大好物の1つに仲間入り。美味しいお土産に、感激感謝📧
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