勉強してどうするの?
子供の頃よく「勉強しないと社会でやっていけないよ!」とか「いい大学に行けないよ!」と言われなかっただろうか?
私は全然勉強しなかったし宿題も提出しなかったので、親よりも教師にこのようなことを言われるのが多かった。宿題をしないと教壇に立たされて大多数の前で叱責されたり放課後や昼休みの間に居残りをさせられて、そこで宿題を強制的にやらされたこともあり、帰れないし遊べないので仕方無く宿題を無理やり終わらせていた。
そうして虚無の時間を過ごしているときに私は「社会ってなんだよ」「いい大学に行けば何が嬉しいんだ?」とか考えていた。これが今のスタンスを作った。この「勉強すれば社会でうまくいく」という考えは進学するにつれ、まるで自分に言い聞かせるように非常に強くなっていった。
大学に進学した時、それは最も顕著になった。もともと勉強する意義はなんだったのだろうか?大多数の人にとっては「いい大学」に行くためだろう。じゃあ大学に入学すれば勉強は必要だろうか?大学とはもともと研究する場であり、学びの場であると言っても、大多数の人がほしいのは知ではなく学士でしかない。よって大学に入った以上勉強する意味がない。だから勉強を行わない。勉強は用済みだからだ。学生が最も勉強する期間はおよそ就活と卒論提出時だけだろう。
ではこれまでの勉強は何だったのだろうか?学校の授業には「学生指導要領」というものがあり、授業はそれに則って行われる。各教科にはそれぞれ生徒に学習する能力が書かれている。授業は学習を通して生徒に各資質を身につけ、発展させるための授業にするよう、教師が計画を作成する。
しかしここで思い出してほしい、学校で勉強するのは何のためだっただろうか?「いい大学」に進学するためだ。
それ以上はいらないのだ。不要なのだ。無駄なのだ。
学校の授業には理科や数学、国語などの主要5教科の他にも家庭科や図画工作科などもある。しかし、これらの授業を受ける人は少ない。なぜなら「受験に関係ない」からだ。「受験に関係ない」ものはすべて無視し、受験のための知識を詰め込む姿勢がここにみられる。
生徒と親だけでなく社会全体がそのような風潮の中、教師だけがバカ真面目に生徒のための授業を作る意味があるのだろうか?それだけならまだしも、塾で勉強するために学校の授業中に睡眠する生徒すらいた。
では教師も受験競争のための勉強を教えるべきだろうか?これに対して私は意味がないと回答する。もうすでに教師以上に塾の講師のほうが受験競争のための勉強に特化しているからだ。
いずれにせよ今の状況ではどのようにあがいても勉強は受験競争のための勉強になり、大学に入った後では勉強は資格勉強や就活のための勉強になる。そうして他人より有利になることでより地位が高い企業に就職し、その特権を維持することに人生を費やす。ここで人生は確定した。勉強によっていい大学に入り、大学では就活のためのガクチカを作り、就職後はより高い役職を目指す。反対にFランに入学した学生は落ちこぼれであり、就活もまともな企業に就活できず、派遣社員として正社員から見下される人生になる。
果たしてそれは本当だろうか?
確かに高学歴のほうがよい企業に就職しやすいのも事実だろう。だが現実はそんなに甘くない。大企業であっても倒産することは十分にありえるし、そもそもリストラのリスクを無視している。また高卒でも十分大卒の大手企業に就職した人物よりも稼ぎ、幸せな人生を送ることは可能であろう。なぜ我々は大企業に固執するのだろうか?また大企業に就職して何をするのだろうか?
この答えとして私は見下すために就職すると答える。
他人よりよい待遇、地位、給料を入手してもその後がなにもないからだ。良い企業に入るとより給料も増える。が、その給料で何をするのだろうか?大抵は高い車、高い家、高い時計など自身の地位を表すものに費やすだろう。ここで競争に勝利することになる。勝利した後は勝利したという地位にしがみつき、敗北者を見下ろし、弱者と罵る。受験勉強の終着点はここなのだ。
つまり見下すために勉強するのだ。勉強して見下すのだ。
これが私の結論だ。この先はない。
ここまで読んでくれた読者ならば、ある程度私の問題意識を理解できたと思う。ではそれを避けるためにはどうすればいいかという疑問が生じるだろう。私は「他人を慮りながらやりたいことをやれ」と答える。
なにか行動しようとすれば絶対に傷つく人が出てくる。それは仕方のないことだ。それを恐れては何も出来ない。では傷ついた人を放置すべきかと言われるとそうではない。贖いが絶対に必要だ。大前提として、自己の一番最初に振り返りながら自身のやりたいことを自覚し実行するというのがあるが、それを行ったあと他人に対し贖罪するのがいいだろう。そうすれば悪いようにはならないだろう。
勉強はよくも悪くも手段でしかない。目的を他人任せにするのではなく、自分が本当にやりたいことを目的にする必要がある。目的は時として夢とも言い表せるが、「いい大学に行き、いい企業に就職する」とは誰かの夢であって、あなたの夢ではないだろう。もし「良い企業に就職する」ことが夢だとしても、きっとその先にやりたいことがあったはずだ。それが手段だったのに気がつくと目的に変わっていることは多々あるため気をつけなければならない。
さて、改めて聞いてみよう
あなたは勉強してどうするの?
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