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一緒に過ごす時間こそが尊い

最近はめっきり友達や親とご飯に行くことはなくなりました。
寂しいです。
最近また、感染者急増に伴い、大学の授業はリモートになりました。
放課後のちょっとした雑談が恋しいです。

人間に会うのも、話を盛り上げるのも、相手に合わせるのも、辛くなって、消えたいなあって思う時もありました。
でも今、思い返すと、あの時の時間もかけがえのないものだなと。
友達と楽しい時間を過ごすためにいろいろと我慢することが多いのですが、今思えば、頑張って元気出してよかったなとも思います。


あれこれ思考を巡らせているうちに、
友達との食事について、気づいたことがありましたので、
今回はそのことを書きたいと思います。

私の場合、食事に執着心とこだわりが強いので、
食事メインで、友達はおまけ(付き添い)って感じでした。
あれ食べたいなぁ、誰か一緒に行ってくれる人はいないかなぁ、と

もちろんそういう食事の動機付けを否定するわけではありません。
今までの視点とは違った方向からでも食事を楽しめることがわかりました。

おいしーを共有するタイミング

食事の場面で会話が中断する時はいつか
それは
新しい料理が出てきた時、その料理を食べた時、

新しい料理が出てくるタイミングはこちらでどうこうできることではないので、話の腰が折れても仕方ないとして、
料理の感想を会話のどこで共有したら、会話をさえぎることもなく食事も楽しめるのか。

何も考えずに料理に夢中になっていると、こうなります。

「この前さぁ、😩こんなことあってね、、、」
「ん〜🤤おいし〜これ〜😋」
「う、うん!、美味しい!美味しいね〜😟」

私は母とあまり反りが合わないのですが、母と食事する時は大体こうなって私の学校での出来事や楽しかった出来事の会話はフェードアウトします。
最悪な気分です、、、
まあ慣れましたけど

そんなことは置いておいて、
会話が楽しくできなかったら、一人で食べにきた方がマシだと感じてしまいますね。
人と楽しい時間を過ごすためのお供として、食事があると捉えたら、
会話が大切になるのではないかと気づきました。
私自身、『おいしー』『これを付けるともっと美味しくなるよ』など、
特に飲みの席で品数が多くなるときに、料理の感想を言うタイミングに迷います。

会話に夢中になった時の気づき

学校の登校日に、友達と近くの公園でスタバの新作を飲んみながら、恋バナから、将来の夢まで、語り倒したとき、

氷が溶けてドロドロになっても、クリームがベチャッとしてきても、飲み物がどうなっても良くなっていました。
とっても盛り上がりましたし、友達の話がよく理解できました。
集中して聞いていたからこそ、ワードセンスの効いた返答ができたり、冗談が冴えていた様な気がします、、、

以前は、飲み物の状態が気になって、飲むペースにこだわったり(クリームは先に飲み終わらせたい、氷が溶けちゃうから早く飲みたい。)
中に入っている具材をいちいちレポート(イチゴの果肉が入っている、クリームがどうのこうの)してしまったり、
それはそれで友達の頼んだドリンクと比べてああだこうだと会話が弾んだので良かったですが、真剣な話の最中にこれはムカつきませんか?


だから、私は
一つの話が終わってから、スキマ時間に飲む、食べる!
話を聞く時は〜しながらはしない
体ごと、顔を向けて話に耳を傾ける
ことを意識することにしました。

食事を楽しむことをメインにするのではなく、
友達とハッピーな時間を過ごすことをメインにしたら、
もっと友達と仲良くなれる気がします。

結論として、友達と一緒に過ごしたその時間こそが尊いものだと言いたいのです。

人と関わることにうんざりする時もあるけれど、
人と過ごす時間、その雰囲気を楽しんでいきたいなと思います!


読んでいただきありがとうございます
また近々お会いましょー




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