『極上の孤独』を読んだ話
先日積読の一冊を読んだ。これを買ったときの心境は正直思い出せない。なんせ5年近く前の話だから。
出版は2018年で、コロナ禍より前に出版された。
物事の見方で、コロナ禍前と後ではかなり話が変わってくるので、本を読む際の目線の違いは注意している。
特にエッセイは自粛期間を踏まえた書き方をされていることは多いと思う。
著者は下重暁子さん。出版時の年齢は82才。
人生の大先輩だ。
「寂しい」と「孤独」は違う、と言った。コトバンクでは「孤独」とは「ひとりぼっちである」と書いてあった。
文中、著者の「孤独エピソード」が多数出てくるが、文章の端端から「ひとりぼっち」とはかけ離れた人物像ができあがる。
友達や仕事関係で繋がっている人も多く、家族にもパートナーにも恵まれている。
「本質はみな孤独」と言いたいのかもしれないが、読んでいて「著者が孤独とは見受けられない」としか考えられなかった。
ただ、最後の「もっとも孤独で孤高な人生を歩んだ女」は、文字通り孤独で孤高だと感じた。
「極上の孤独」は、私の中の理想の女性像だった。
自立した女性の最高峰。自分という人間の理想的な使い方、生き方。
誰にも左右されない、強い意志を持った人間。
買い物から、旅行まで、おひとり様でも行ける自信がある。だが、知り合いと話していると、人には「おひとり様ができる人」と「おひとり様ができない人」に分かれるらしい。その知り合いはできない人だった。
美術館なんか、誰かと一緒に行きたくない。せいぜい家族までだ。
じっくり観たい、良かった作品は最後にもう一度観たいと思うので、誰かと行くと、時間配分が下手くそになる。誰かに合わせないといけない使命感ができてしまう。
ひとりの方が気が楽だが、ひとりでできないことも多々ある。
そういった時に頼れる人がいたら、著者の言う「極上の孤独」になれるのだろうか、とふと思った。
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