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故・安倍元総理と映画『ゴッドファーザー』のこと

7月最後の日だから書いておこうと思う。亡くなった安倍晋三という人について思うことである。
事件のあと、こういう記事が出ていた。

「主人は、映画監督になるのが夢なんですよ。DVDを見ながら、『おれだったら、こう撮るのにな』とか『このセリフはいらない』なんて言ってますよ(笑い)。だから、総理大臣を辞めて、議員も辞めた後は、映画監督に……」(女性セブン2014年5月8・15日号)

実は、この映画についての話というのは、何度か出ている。

安倍元首相(2013年10月 高松宮殿下記念世界文化賞での言葉): 私は若いころ、映画監督になりたいと考えたことがあります。コッポラ監督の「ゴッドファーザー」は、当時17歳の青年の心を捉えました。もし私がファミリービジネス(政治家)に固執しなければ、「ゴッドファーザー4」を撮っていたかもしれません。その代わりアベノミクスはなかったかもしれません…

安倍元首相が、文化放送のラジオトーク番組「安藤和津 TEPCO トークマルシェ」にゲスト出演することが決定。このほど行われた収録で、映画監督への憧れを語った。
大好きだという映画の話題に花が咲き、密かな野望を明かした。「俺が作ったら絶対ヒットするなと思ったりして。実際は難しいんでしょうけど、自分でメガホンが握れたらどんなにいいかと」。さらに、「自分で撮るとしたらヤクザ映画ですかね。『
仁義なき戦い』をさらにドキュメンタリータッチにして、それと『ゴッドファーザー』を足して2で割ったものとかね」と具体的な構想まで飛び出した。

彼は繰り返し『ゴッドファーザー』の名前、そして『仁義なき戦いをさらにドキュメンタリータッチにしたもの』を撮りたい映画として挙げている。そして、若い頃に映画監督になる夢を諦めたのは「ファミリービジネス(つまり、親の仕事を継いで政治家になること)」を選んだからだと語っている。

「ファミリービジネス」というのは、ショーン・コネリーが主演で犯罪者一家を描いたクライム・コメディで、かなり映画好きである彼は当然見ていただろうと思う。つまりここで彼は、明らかに自分の血族、「岸信介の孫」である総理の家系を「ファミリービジネス」と呼んで、ある種の犯罪一家に重ねるきわどいジョークを飛ばしているわけだ。彼にしか言えないギリギリのジョークだ。そのへんの2世議員が政治家を「うちのファミリービジネス」などと言えば世間から袋叩きにされてしまうだろう。

『ゴッドファーザー4』『仁義なき戦いをもっとドキュメントタッチにした映画』彼が「撮ってみたい映画」として挙げる表現も、単なる素人のアホな放言として読むこともできるが、要は「そういう暴力と政治の暗部を自分は実際に知っている」という不気味な告白でもあるわけだ。

それはたぶん、嘘じゃなかったと思う。自伝はおろか、ノンフィクションですら書かれない日本の政治の暗闇を彼はよく知っていたのだろう。統一教会や勝共連合との関係がメディアでは今取り上げられているけど、あんなものはたぶん彼にとって地獄の一丁目にすらならないような話だったはずだ。A級戦犯、巣鴨プリズンから総理まで復帰する岸信介から続く昭和の政治を継ぐというのはそういうことだから。

『ゴッドファーザー』や、コッポラ監督のファンは気を悪くするかもしれないことだけど、たぶん彼は、安倍晋三という人は、自分をマイケル・コルレオーネに重ねていたと思う。自分はマフィアにはならない、と大学に進学し、軍隊に志願して勲章をもらいながら、「血の呪い」に引き摺り込まれるようにマフィアのボスを継ぐことになるハンサムでリベラルな青年。『ゴッドファーザー』はそのタイトルが示すように、家父長制の権化のようなマフィアの世界「父の呪縛」を描いた映画だ。そして彼、安倍晋三が生きてきた世界は、その「血の呪い」の世界にとてもよく似ていたのだと思う。

安倍晋三は本当はいい人だった、とか、リベラルだった、と言いたいわけではない。でも彼は若いころ半ば本気で、どうにかしてこの血みどろのファミリービジネスから逃げ出そうとしたことがあったのではないかと思う。いくら富豪とはいえあの素っ頓狂な女性を奥さんに選び、おそらくは本当に愛し続けたのもそうだ。よく言われることだけど、彼には岸信介の他に安倍寛というもう1人の、日本進歩党に所属したリベラル政治家の祖父がいた。そうした、保守とリベラルの複雑な思想的混血であることが、政治家としての彼のイメージを批判からズラすという奇妙な効果を生んでいたと思う。

マイケル・コルレオーネは、とても粗暴なマフィアに見えない、大学出の洗練された知的なアメリカ青年であり、マフィアの世界を嫌う恋人女性ケイと婚約している。マフィアに見えない、半ば反マフィア的な要素を持っているからこそ、マフィアの世界で抜きん出る、誰よりも悪魔的なマフィアになることができる。

安倍晋三という人もまた、昭和の妖怪と呼ばれた岸信介のような「気配」を持たなかった。ある意味では凡庸であり、どこか柔弱な空気をいつもただよわせていた。反共、憲法改正、そうした彼の政策は確かに政治家としての彼の主軸にあったが、ある意味ではそうした政策は彼個人の内部から情念として噴き出したものではなく、いわば祖父の代からの「ファミリービジネス」として「嫌々ながら継いだ」ものだったからだ。だからガチガチの保守ではない、自分はそこそこリベラルな中道だと思っている大卒の国民にも親近感があり、安心感を与えた。「岸信介の孫」「安倍はヒトラーだ」というような左派の批判は、彼のそうした育ちのいい柔らかな空気にすべるようにかわされていったと思う。彼には大衆を警戒させない奇妙な空気があった。それは憲法改正だのなんだのと言った保守政策が彼の夢ではなく、彼が背負った「家の呪い」だったからだと思う。

政治家としては、たぶんそれは成功した人生だったのだろう。総理大臣になった。長期政権を築いた。最後は暗殺されてしまったが、それによって政治家としての彼を追及することはもう誰にもできなくなった。生きてる時から質問にまともに答えない政治家ではあったけど、もう誰も彼に致命的な質問をつきつけ、答えに窮する姿を国民の前に曝け出すことはできないのだ。テロというのはそういう効果を生んでしまう。おそらく統一教会との関係をいくら報道しても、国民のイメージは「殺された可哀想な安倍さん」で止まったまま、世界から寄せられる弔電と、国葬の中で政治家としての彼は葬られる。安倍晋三という政治家を言論で倒すことはついにできなかった。それは日本のリベラルにとって明白に敗北であり、深い禍根を残すと思う。

しかし、その一方で彼の死を考える時にいつも思う。

逃げちまえばよかったのにな。そんな血の呪いからは。若いころのあなたがそうしたかったように、あの素っ頓狂な奥さんの手を握って『卒業』のラストシーンみたいに逃げ出して、どこかで売れない映画監督でもやればよかったんだよ。石原伸晃ではなく石原良純、小泉進次郎ではなく小泉孝太郎のような、政治家ではない人生があったかもしれないんだ。たぶん映画は死ぬほどつまらなかっただろうけど、実家の太い奥さんがなんとか食わせてくれる、幸せな人生だったかもしれないんだ。血族の呪いに縛られた末に、家族を失った男のバズーカ砲みたいな手製銃で殺される最後とは別のシナリオが、この宇宙のどこかにあったかもしれないんだ。

彼だけじゃない。日本の政治家の多くが親の代からの「血の呪い」を受け継いだ2世3世4世の議員たちだ。そうした呪いの中で政治は動き続ける。

さようなら安倍元総理。2度にわたり長期政権を築き、自民党の支配を絶対安定に導き、恐らくは祖父の期待に応えた政治家。そして本当の夢だった映画を引退後に撮る夢はついに叶えることができず、人生最後の瞬間に愛する妻の手を握ることもできなかった、日本で最も強い血の呪いに縛られた、かわいそうな個人。


ここからは月額マガジン。たぶん将来、立憲をはじめとする野党のいくつかは、自民党と連立政権を組むことになるのではないか、という個人的な予想。

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絵やイラスト、身の回りのプライベートなこと、それからむやみにネットで拡散したくない作品への苦言なども個々に書きたいと思います。

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