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息子たちが描いた『スイミー』の絵は、ちっとも『スイミー』に見えなくて、とてもうつくしかった

8月の終わりに、保育園の壁にこどもたちが描いた「海の絵」が掲示された。
色とりどりのクレヨンと絵の具を使って思い思いの世界が描かれている。まるでほんとうの海のなかにいるような心躍る光景が、とてもとてもきれいだった。

半月以上経って、息子が衝撃のひとことを放った。
「この間保育園で描いた『スイミー』の絵ね、」

ん!?あ!?
え、あれ『スイミー』の絵だったの!?

『スイミー』ってあれだよね、アメリカの絵本作家のレオ・レオニ師匠の代表作で、赤い魚群の中で1匹だけ黒い「スイミー」が村八分にあってたけど、巨大魚を追い払うのに、なんかむしろ黒くて役に立ちましたわハッハーってお話だよね?

…そう言えば、赤い大きな魚を描いてた子が…2人くらい…いた…かな?
黒い大きな魚をドーンと描いている子が何人かいて、サメのお話でも読んでもらったのかな?とは思ったけれど。

あれって『スイミー』の絵だったんだね、と言ったら、息子はわたしの察しのわるさを責めるかのような冷たい視線で「そうだよ」と言った。

ええ…だって…息子の描いた絵…
赤い魚の群れも、大きなマグロも、小さな黒い「スイミー」も存在しなかったじゃない。ピンクや黄色や黄緑色のカラフルな魚がたくさん泳いでる、めちゃくちゃハッピーな作品を仕上げてたじゃない。

わかりっこないよ、ヒントが「海」だけだもん。
大学だったら出願も諦めるレベルで難易度高いよ。

と思ったのだけれど、
息子に『スイミー』ってどんなお話だっけ?と聞いてみたら、わたしが記憶していたのはあの物語の一部分だけだったことがわかった。

最初の仲間たちを大きなマグロに食べられてしまった「スイミー」は、うつくしい海をひとりで泳いでまわる。色とりどりの魚や、イソギンチャクたちと出会う。そして最後に、彼の素晴らしいアイデアで新しく出会った仲間たちとともにマグロを退治するのだ。

わたしの覚えていたのは、ただの要約。そして、息子の口からは一度も「スイミー」が「仲間はずれ」にされていたなんてことは語られなかった。

いつどこでわたしの記憶はねじ曲がってしまったのか。
『スイミー』がそんな素晴らしい物語だったなんて。

息子たちが心底うらやましい。

こどもたちは、ほんとうにそれぞれが「こころに残るシーン」を描いた。
だれかに望まれる「答え」じゃなくて、自分だけの目に映ったとくべつな世界。
だれにも邪魔されず、好きな色で、好きなものを、好きなだけ。
それをちゃんと表現できるなんて、この子たちはなんて素晴らしいんだろう。

わたしにはもう、作為なく色を選ぶことも、線を1本引くこともできない。
見えるものしか描けない、見せるものしか描けない。

「ぼくの描いた絵はね、色がたくさんあって、キラキラしてるの!」

わたしが息子に与えたとおりの言葉を、息子自身がくり返す。
わたしの感覚が、息子だけの世界を侵食してしまうのじゃないかと不安になる。

もっとうまく伝えてやりたい。

あなたの描くすべてが、うつくしいのだと。
だれのためでもない、あなたがあなた自身のこころを面白がって描くその絵は、何よりもうつくしく、かけがえがないのだと。

息子がこの『スイミー』の絵を持ち帰ったら、必ず額に飾ろうと決めている。

これから息子がどれだけ絵を描くことが上手くなったとしても、こんなにきらめいた世界を描けることはあまり多くないと思うから。

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