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甘い闇のワンピース、息をのむイヤーカフ

「清少納言」は、長くつややかな黒髪が美しいとされた平安時代において、茶色っぽく癖のある猫っ毛だったという説を聞いたことがある。容姿についても『枕草子』の随所で、あまり自信がないことをほのめかす。教科書で習う、持ち前の機転と賢さ、詩歌や故事の知識をもって宮中でブイブイいわす自信満々な清少納言像とは少し違った横顔がかいま見えて好きだ。私もくせ毛に悩む、容姿に自信があるとはいえない者なので、親近感がわくと同時に、くせ毛界の星として擁し、清女のアネキと呼びたい。

アネキ、二十八歳の冬に、年若く美しく聡明な中宮(帝のお后)・定子さまのもとに勤めはじめたときも、華やかな同僚たちの中で恐縮し、できるだけ人目にふれたくなかったようだ。せめて姿がよく見えない夜を選んで定子さまの御前に参上するが、ちょうど灯りに照らされる位置に来てしまい、うおお、髪がちょっと薄くて気にしてるところがモロ見えてしまうじゃんか、どうしよう……もう消えたい……ほぼ泣きそうだった、と『枕草子』にある。

定子さまは清少納言の緊張をほぐそうと絵を見せたりお話をしてくださる。仄暗い中、小さな灯りに照らされる、袖からのぞく手は白くつややかで、紅梅のようにほんのり血色を帯びている。美しさに息をのみ、目をそらせない。こんな人がいたのか。

アネキの描写力のせいか、くせ毛のことで親近感を持ちすぎたせいか、この瞬間の清少納言の気持ちを想像すると、分かりすぎて呼吸が浅くなるほどだ。火鉢があちこちで燃え、吐く息の白い冬の夜、闇の中、灯りのもと、かじかむ手足で冷たい板床に跪き、ようやく目を上げて紅梅の手を見て息をのんだことがあるような気がする。

実は先日、この清少納言みたいになった。

画面の向こうの遠くに見つけた、知らない世界に暮らすお姉さんがいた。垣間見るのみながら、光に透き通るような美しい佇まいに憧れ、一方、大好きな曲の大好きな部分について言及したツイートなどを見て、少しだけ心を分かち合えるような親近感をも抱いていた。とはいえ普通に暮らしていたら絶対会えないひとで、私の中で彼女にお会いする確率は平安時代に行くレベルでありえないような体感だったのだが、はて、たまたま募集がはじまった瞬間にページを開いた、彼女と街を歩き、似合う服を選んでいただけるというサービスに滑り込みで申し込みができてしまい、時空がゆがんで世界がバグってお会いできることになったのだ。

とても変身したかった。私はあまり、かわいいと言われたことがない。なんとなく、春の光と透明感……というような女の人に憧れてユルユルした服を集めるも、この体ではあまりうまくいかないなと感じていた。透明感を増すどころか何故かくすんでしまうのだ。昨日も、まさにこうなりたいような透き通ってシャンとした女の子と出かけたところ、コートが全く丸かぶり!で撃沈、彼女が数倍似合っており自信喪失していた。今の私が、最もよい形で世に形をとるには、どんな格好をするとよいのだろう? 遠いあこがれのお姉さんから手がかりをもらえないだろうか。

喫茶店で待ち合わせだった。本当に居て、ソファに座っていたお姉さんのもとへ参上する。ガチガチに緊張した私はお姉さんの視線から逃げようと右往左往した。うわずった声でいくつか質問に答える。お姉さん、ふふっと笑い、
「大丈夫ですよ。緊張しないでください」
自然ですずやかな高い声だ。
優しいお姉さんは私の緊張をほぐそうと、参考になりそうな雑誌を見せたりお話をしてくださる。事前にお伝えしていたのもあるが、私がどんぴしゃり憧れる佇まいの写真を次々と出してくる。
思い切って顔をあげてみると、お姉さん、目を三日月にしてにこにこしている。明るい色の髪を束ねてきりっとしながら、優しい冬の逆光が降りそそぐようでまぶしい。お姉さんが発する光なのか、緊張で目がおかしくなったのか。ポカーンとする私をよそに、お姉さんは飲み物を飲み干していった。
「では、お店へ行きましょう!」

東京のかの地は、我が敬愛するBTSのジミンとジョングクがお忍びで歩いた記録のある街でもあり。午後のやわらかい逆光と人の流れがなんとなく水中っぽく、現実味がない。あの動画の中のように、屋外では人の群れが、勢いも方角もばらばらにぶつかりうねって流れている。『ファインディング・ニモ』に出てくるウミガメの交通網を思い出した。ひとりで泳いでたら迷って鯨に食われそうだが、前をスイスイ進む、背の高いウミガメお姉さんについていくから安心だ。怖い街だと思っていたけど意外と安心ですね、というと、

お姉さん、振り返り、「ここは怖い街ですから、無理に好きにならなくていいです。ほら、流れてる曲がめっちゃチャラいですね……」

海流を乗りついで移動し、いろんなお店へ入る。自分では絶対見つけられないような、華奢なのにユルリとしたニットのセットアップや、水を含んだいろんな緑を集めて均一にならしたようなスカートなどがひょいひょい選ばれ、少しずつ試着させてもらえた。人に似合うものを見つける眼は、お姉さんにとっては経験や知識の蓄積から導き出されたものなのだと思うが、あまりに早く滑らかで的確なので、一種の魔法に見えた。それらを着ると、私だけど私のまま超ステキになった別人みたいな人が現れる。テクマクマヤコン…ラミパスラミパス、るるるるる…

ただ、試着して「おおっ」と思っても、買うほどではないときがあり、そのとき必ずお姉さんは「これは買うほどではないね」と軽くうなずいてくれた。もっとしっくりくる服があるはずだから焦って買わず、じっと待つことを覚えた。すると現れたのである、数軒め、いい匂いのする静かなお店で、消炭色の長いワンピースを差し出された。ふんわりした袖に素材の切り替えがあり、落ち着きがありながらとてもかわいい。

着ると、鏡の中には、私なんだが、なんだか、優しい闇の中で静かに立つような人がいた。自信なさそうに身をすくめており、光を集めてはないし、透き通りはしないのだが、ただ体になじみ、無理なく立っていた。初めて見る人のようだ。

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「『陰翳礼讃』だ!」お姉さんが小さくいった。
陰翳礼讃!
ええと、高校の現代文で少し読んだ、冷たく静かで甘い闇のことが書かれた本by 谷崎潤一郎……!
電気のない昔の日本家屋の真の闇の美について、羊羹の例えを用いて書かれているのが印象に残りため息をつき、いつか読もうと思っていたのだった。ちゃんと読んだことはないので勘だが、日本の真の闇バッチコイみたいな意味だろう。(怒られそう。これを機にちゃんと読む)
お姉さんは最近、他のお客さんとのお話のなかで「陰翳礼讃っぽい服とはどんなものか」と考える機会があったのだという。私も最近、電気がない古い古い建物で働くことがある関係で、仄暗い闇が少し好きになっていた。何より闇といえば、清少納言が定子さまの御前で息をのむあのシーン。この服を着れば清女のアネキに近づけるような気もして、とても気に入った。

「これにします」と言うと、お姉さんもにこっとして「私もこれを推します」とお墨付きをくださった。

そういえば、清少納言が定子さまからたくさんの紙を差し出される場面がある。その紙を使い、彼女は『枕草子』を書いたといわれる。

現代、仕える主人の不定なこの人生において、不確かなのだが、この日見つけたものが私にとっての定子さまから賜った紙だといっても、私の中の誰ひとり、違うとは言わない気がした。光や透明だけでなく、羊羹のように甘い闇をたたえることの可能性を見た。
今日の眩しさを覚えておきたくて、金のさりげないイヤーカフも買い、お店をあとにした。ちょうど終わりの時間が迫っていた。

もうすぐお姉さんは遠くの画面の向こうの人に戻ってしまうのが、時間が決まったプランなこともあり、魔法がとける間際のようでせつない。どうかこれからもお元気で。丁寧に真摯にお返事をくださったこと、お姉さんだけど友達みたいに接してくれたこと、道しるべを沢山授けてくれたこと、ありがとうございます。願わくばあなたのようになりたく、今日貰ったすずやかさやきらきらのプリズムを羊羹の闇と一緒に大切にイヤーカフにしまう。いつのまにか緊張はとけ、お腹の底が温かい。
お別れの時間、駅のコインロッカーから荷物を取り出し(お姉さんはロッカーの扉をごく自然に押さえててくれ、イケメンだった)、お礼とお別れをいった。改札へ向かう海流にのり、振り返るとお姉さんはもういなかった。

既に、それまでの数時間が現実だったという証拠が右手の紙袋のみだった。忘れないうちに、喫茶店で見せてもらった雑誌と『陰翳礼讃』を買った。まだ夢の中にいるようで、帰りの電車は地方だからウミガメや魚の数こそ少ないもの水の流れのようにめまぐるしい。月だけがゆっくりついてくる。

旅から帰還し、ワンピースとスカートとイヤーカフを紙袋から出して大切にしまった。旅がえりの熱いお茶を淹れて飲んだ。
私はこの光を透かさないからだで、このくせ毛の生を生きることしかできない。当分は、あのワンピースを着るつもりのいくつかの日に向け、地道に暮らしていく所存である。電気のない闇の中でじっと待とう。アホ毛が灯りに照らされちゃってもじっとして、ときに息をのみ、梅が咲くのを待つ。ほぼ泣きそうでも参上し続け、甘い闇の中をただひとり行こう。

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