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親切に叩いてやったのに-呼吸困難よりもプライドを優先する話‐

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むむです。
今回は久しぶりに持病の喘息にまつわる話です。

我々双子の喘息

我々双子が患っていた喘息は、アレルギー性のものでした。
アレルゲンが体内に入り、免疫反応として気管が腫れ、気管が狭まり、呼吸が困難になるというものです。
また、そのアレルゲンを体内から排出(吐き出す)するために、痰が生成されます。
この痰が狭まった気管をさらに狭めてしまうので、排出しなければさらに呼吸が困難になることがあります。
発作を早くおさまらせるためにも、アレルゲンを巻き込んだ痰を体外に出すことは、とても重要なことでした。

この痰をなるべく早く排出するために、できることがいくつかあります。
まずは、よく水分を摂ること。あたたかいものならよりよいです。
身体を冷やさないようにすること。
呼吸に集中し、意識して腹式呼吸をおこなうこと。
喘息の発作が起こっている時は、呼吸困難のため身体が余裕をなくし、意識しなければ浅く乱れた呼吸になります。
そのままだと発作がより悪化していくので、意識して呼吸を深く整える必要があるのです。
そして、できることなら、背中を軽くトントンと腰の辺りから上へ叩いてもらうことです。
これにより、粘りの強い痰が少しずつでも気管の上に移動しやすくなる…んだそうです。当時実践していましたが、あまり実感はありませんでした。

なお、痰の出し方については色々方法があるようです。
当時、自分が保健室の先生から教わったのはこのような内容でした。
(主治医ではないのが我ながら不思議です…)

今回は、この痰の排出のためとして、母から殴打を食らうという話です。

「犠牲」になる母、憎まれる子ども‐母の思考考察‐

基本的に、母は我々双子が発作を起こすことをわずらわしく思っていたはずです。
少なくとも、それは態度に出ていました。
それは子ども心としては悲しいことですが、母の都合を考えれば、無理もありません。

母も一人の人間ですから、やりたいこともやらなければならないことも、いろいろあるわけです。
けれども、子どものイレギュラーな発作のせいで、自分の時間や都合、体力も精神もお金も犠牲にしなければならない。
それによって自分に得るものはなく、ただ削られるだけ。
でも対応しなければ、周囲から「ひどい親」と思われてしまう。
だから、どれだけ面倒くさく嫌に思っていたとしても、仕方なくでも看病せざるを得ない…

このように感じていたと思います。
であれば、我々双子は母にとって時間や体力、精神力を奪うだけの存在で、憎しみを持つのも無理はありません。

それを「犠牲」と呼ぶかどうかは人によりますが、少なくとも、母は我々双子の看病については「自分(母)は犠牲になっている」という感覚でいたと思います。
今回のように、「どうして発作なんて起こすんだ」「うっとうしい」「面倒くさい」「まだおさまらないのか」と発作を起こした子どもを怒鳴りつけることも多く、まためったにありませんが、時には殴ったり蹴ったりと暴力を振るい(以前も発作を起こしたむむを殴る記事がありました)、それでなくとも、母がこれ見よがしにつく、たくさんのため息を目の当たりにしてきたからです。
本当に面倒くさそうで、うっとうしそうで、早く済ませて欲しいという態度が見て取れました。

きっと一番いいのは、母一人で対応しないことです。
母が一人ですべて背負おうとするから、母が「犠牲」にならなければならないのです。
母が「犠牲」になるとしても、それはすべて母の責任ではありません。
もっと、こういったイレギュラーな状況で母が頼れる他の大人がいるべきでした。
それは父もそうですし、父以外でも、外部の人間でもいいのです。
今は当時よりも少しでもましになっていると願いたいですが、もっと外部からも、子どもを育てることへの支援が必要だと思います。
子育てを助け、親をケアし、親の孤立を防ぐことは、結果的に子どもへの被害を減らすことに直結すると思っています。

憎しみに任せた「親切」

そうして、ただただ時間と体力、精神力とお金を奪っていくだけで自分の思い通りに動かない子どもに抱いた憎しみを、今回母は「背中を叩く」という大義名分を使って発散したのです。

以前発作を起こしたところを殴られた記事では「お金がかかること」を理由に殴られていました。
今回も、お金を含めた様々なコストがかかることを疎まれて殴られたと理解しています。

実際には、母は以前の記事と違って、「殴ってやる」という明確な加害意識はなかったと思います。
ただ看病することになんだか納得いかず、なんとなくむかついて、だからなんとなく声も荒げて、だからなんとなく行動も粗暴になって、なんとなくむかついた感情に身を任せて背中を叩いたら、それは自分むむにとっては「殴られた」と言えるものだった、ということです。
そう思うのは、母は感情を説明するようなことはなく、衝動的な行動が多い人だったからです。
母は、母自身が抱いている感情を言語化どころか、意識すらできていないと思います。

そのため、無意識で憎しみに任せていたけれども、母の頭の中では「親切」だったのです。

憎しみの表れ

母の怒りをピークにさせたのは、自分むむが母の「親切な」拳を拒んだことです。
それまではなんとなく粗暴、という感じだったけれども、拒まれたことで明確な加害意識が現れました。

母にとっては自分を犠牲にしてまで奉仕「してやってる」のに、感謝どころか拒むなんてありえない!許せない!となったでしょう。
だから「もう知らん!」と突き放したのですが、どうやらそれでは母の憎しみが収まらなかったようです。

自分むむに「自分で背中を叩け!今すぐやれ!」と指示してきたのです。
ここで言う「背中を叩く」というのは、先述したように背中を軽くトントンと腰の辺りから上へ、肩甲骨の辺りまで背骨に沿って叩いていくことです。
やってみればすぐにわかりますが、そんな上の方まで自分の手で叩いていくのはなかなか難しいです。(自分は身体が硬いのでなおさらです…)
しかも今まさに呼吸困難で、呼吸を整えるのに集中しているところです。
それを遮って、今すぐ母の目の前で自分自身の背中を叩けと言うのです。

先ほどの背中をドカドカと殴るのは、単に母の力が強かっただけということでまだいい(それでも呼吸を整えるどころか痛くて邪魔になるので良くはない)のですが、この「今すぐ自分で背中を叩いて見せろ」というのは、完全に母の憎しみの表れでした。

拒まれたのなら、ただやめればよかっただけです。手を止めて、なんなら「もう知らん!」でおしまいでよかったのです。
背中を叩く動作は、介抱する人がすることであって、一人で対処する時はそれよりも、腹式呼吸をすることに集中するべきです。
背中を叩くことは痰を出すことの必須条件ではありません。
呼吸困難を脱することよりも、拒まれた動作を今すぐやらせることを優先させるのは、母が個人的な感情に支配されているとしか言いようがありません。

しかも、指示はすべて怒号。威圧感はMAX。
当然、こちらとしては嫌でも「殴られるかも知れない」という思考が働きます。
呼吸を整えることを一旦やめて、母の指示に従うしかありません。

生命よりも特別なもの

成長した今振り返ると、これはなかなか異様なことだと思います。
それは、喘息によるパニックや、最悪窒息の危険すらあるのに、その危険を完全に無視しているからです。
極端に言ってしまえば、母は子どもの生命よりも「拒まれたことが許せない」という自分のプライドを重視したのです。

怒涛の叱責にもう反応する余裕すらなくなった自分むむに対して、ばつが悪くなったように退室するのも、自分むむの喘息に対しては危険ともなんとも思っていないことの表れです。
もしかすると、母は母自身が見捨てられたと感じて退室したのかも知れません。
けれども、いよいよ反応できなくなるほど発作が悪化した子どもを放置して行ってしまうところに、母の中にある優先順位が見えるのです。

そしてもう一つ異様なこと。
自分むむは、最悪死ぬかもしれないのに、「殴られるのは嫌だ」という一心で、呼吸を整えるのをあきらめて母の「背中を叩いて見せろ」という指示に従おうとするのです。
言わば「殴られないためなら死んでもいい」状態。
完全に優先順位が、価値観がおかしいです。
この時点ですでに、自分むむの生命は自分むむのものではありませんでした。

自分むむは母に看病される時、その仕草や言動から、面倒くさいと思われていることを感じ取っていました。
そして怒号に委縮しながら、いつも肩身が狭く感じていました。
母という存在に嫌われ、拒否され、見捨てられることをひどくひどく恐れていたのです。

けれども同時に、仕方なくでも、嫌々でも、こうして母に看病される時ぐらいしか自分「だけ」に注目してもらえることはないので、特別感を覚えられる、唯一の時間でした。
今思い出すと、歪んでいるなあと思います。

むなしい静けさ

だからこそ、この時に母が自分を放って退室してしまった時、とても複雑な気持ちになりました。
一番近い表現をするならば、それは「むなしい」です。

母が喘息に苦しむ自分を置いていったことについては、看病が面倒くさい、うっとうしいと思われているだろうと悟っていましたから、「名実ともに見捨てられたのだな」と思いました。
それは、自分にとって心細く、ものすごく悲しいこと…だったはずでした。

と言うのも、母が退室したことによって、母の怒号も、威圧感も、痛いほどの背中への連打も、謎の強制背中叩き指示もなくなり、また、ただただ呼吸に集中することができるようになり、ほっとした気持ちも感じていたのです。
解放感すらありました。

看病という、母に注目してもらえる時間は特別だと思っているのに、母のいない方が楽で、安心して病に対応できてしまう。
母にそばにいて欲しいのに、そうすると自分が苦しい。
この感情と事実のかみ合わない状況の方に、やるせなさというか、残念さというか、寂しさのようなものを感じていました。

それを自分は「むなしい」と呼びました。

母の怒号のなくなった部屋は、ただ自分のヒューヒューゼーゼーという荒い呼吸音と、外からの鳥の声や車の音や…環境音だけが響き、とても静かでした。

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