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異変さえ憎い‐憎しみ、苦しみ、痛みによって安心を得ていた話‐

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むむです。
今回は前々回の「悪いことはすべて自分が生きているせいだ」と思い込むようになってからさらに数ヶ月が過ぎ、体調に変化が現れた話です。
自分が生きているせいで家計が圧迫されて、わが家は貧乏なのだ、自分がいなくなればすべて解決するのだ…と「わかって」はいたものの、思いきることができずにズルズルと自責を続けていました。

異変①涙が出てくる

いつの間にか現れた変化のひとつに、「涙が出てくる」というものがありました。
これはいつでもというわけではなく、本心では自分は消えるべきだと思っているのに、表向きはなんともないように振る舞っている、その二面性というか、内と外のかい離を自覚した時に起こるものでした。

「自分のせいで家が貧乏で不幸なのに、ヘラヘラ笑いやがって」
「こんな風に普通に話してていいのか?一刻も早く死んだ方がいいに決まってるのに」
「ああ、自分が生きてるせいで、こうやって毎日を過ごしているだけで、みんなに迷惑をかけ続けてるんだ…」

こういったことを思いながら他人といつものように話していると、唐突にじわりと涙が目ににじむようになりました。

けれども、それを他人に知られるわけにはいきません。
前々回でも書きましたが、この苦しみを誰かに吐露したところで、どうせ「むむが生まれたせいでしょ」「じゃあ死になよ」と突き放されて嫌われて終わりです。
そんなことは怖くて怖くてとてもできません。

「死ぬべき」と思っているのに、「死になよ」と言われたくはない、という矛盾を抱えていました。その本心は「生きたい」であることに、この時の自分は気づいていません。

涙が出てきてしまっていることを気づかれないように、鼻をかむふりをして涙をサッとふいていました。
幸い(?)、自分むむはアレルギーの多い体質だったので、年がら年中鼻炎を患っていたこともあり、気づかれることはありませんでした。
(気づかれていたとしても、誰も触れなかったのでしょう。)

涙が出てくるのは、そのかい離が当時の自分むむにとってそれなりに苦しいことだったのだろうと思います。
けれども、当時の自分むむはそれが嫌で嫌でたまりませんでした。

自分が生きていることで周囲の人を不幸にしているのに、涙が出てきたところで何になると言うのか。

申し訳なさの表れ?それなら涙を出すよりも早く死んだ方がいいに決まっている。
涙なんかで許されようなどと考えているなら浅はかすぎる。

苦しさの表れ?だとしても、その苦しみは自分が生まれたせい。自業自得。
誰かに助けを求めようなどと甘えたことを考えているならふざけてる。
むしろ苦しいのは自分がいるせいで不利益を被っている自分の周りの人に違いない。

どのみち、死ぬことを思いきれない自分はただのゴミだ。

そんな風に考えて、涙が勝手に出てくる自分自身をまた責めました。
もはや憎しみでした。

異変②胸に鈍痛

もうひとつ起こった変化が、胸の鈍痛でした。
自分がいなくなればいいのに、自分さえいなければ、と自分自身を責めると胸がずーんと重く、じんわりとしびれるように痛むようになってしまいました。

しかし、痛むからと言って、自分自身を責めることは止められません。
変わらず毎日のように母や父からの愚痴を受け止め、また母からの暴言も暴力も受けなることで、「自分がいるせいでおかーさんもおとーさんも貧乏で不幸なんだ」という認識がどんどん強化されるからです。

この痛みもまた、自分むむを憎む結果にしかなりませんでした。

痛みがあることをうっかり両親に知られては、それこそ迷惑極まりないとわかっていました。
母は特に、病院が大好きな人なので、胸が痛むなんて言えば即座に病院へ行かされるでしょう。
病院がお金のかかるところであることは普段の喘息治療のための通院でわかっていますから、病院に行くことは、より家を不幸にすることだと「わかって」いました。
痛みがお金に変わるならまだしも、お金がかかることにしかならないのに行くわけにはいきません。

そんな、お金がかかる結果にしかならなさそうな胸の痛みを起こすなんて、自分は本当にどうしようもないゴミだ。
痛みぐらいで自分が生きていることによる不利益が解消されるわけじゃないのに、何の免罪符になるわけでもないのに、お金にならないのに、意味がなさすぎる。
本当に自分はゴミ過ぎる。クズ過ぎる。
お金にならずにお金がかかるばかりの自分なんて、死んでくれと言われても仕方ない。

とは言え、本当に親から「死んでくれ」と言われるのは怖くて怖くて、とても耐えられる気がしませんでした。(結局この時ではありませんが言われることにはなります)

こうして、自分を責める→胸が痛む→自分を憎む→胸が痛む→自分を責める…
のループを何周もすることになります。
だんだんと、じわじわと、その痛みははっきりしたものに、また強いものになっていきます。
「この痛みで死ねればいいのに」と、何度も思いました。
本当は生きていたいのに。

父も母も、自分むむの憎しみや胸の痛みを知ることはありませんでした。
当然ながら、父も母も愚痴や暴言・暴力をやめる気配はまったくなく、自分むむ(となな)は両親の吐き出すストレスを全て受け止めねばならず、さらに「自分が生まれたせいで、生きているせいでお金ばかりがかかる、だからこの家は不幸」という思い込みを確固たるものにしていかざるを得ませんでした。
(仮に両親が自分むむの自責や胸の痛みを知っていたとしても、愚痴や暴言・暴力をやめることはなかったでしょう。我々双子が彼らの親にならなくてはならなかったのですから)

生きていることを確認していた

これを今書いて思い返していると、確かに我々双子は生まれ生きていることを、母や父の愚痴の波や暴言・暴力の嵐によって、悔やまなければならないように仕向けられていました。
それは間違いありません。

けれども、この時の自分は、果たしてそれだけだったのでしょうか。
自分のことを責めるのは、母と父による刷り込みだけが原因だったでしょうか。
答えはわかっています。
それは「否」です。

当時の自分むむは、自分自身を責めたかったのです。
自分を責めている時こそ、自分の存在を感じられたのです。
死ねばいい、死ねばいいと思う時ほど、自分が生きていると感じられました。
胸の痛みが現れたのはもちろんわざとではありませんが、自分自身を責めて胸が痛むと、どこかほっとしたような感覚もありました。
自分が生きていることを確認するために、リストカットをしなければいられない人と何ら変わりありません。

これは、幼い頃から母の暴言と暴力を受け続けて、虐げられることでしか、親から注目してもらえない(愛されない)ことを学習したのかも知れません。
自分が傷つかなければ、愛してもらえないと思い込んでいたのです。
自責と憎しみを繰り返し、自分で自分を虐げることで、「愛してもらえる自分」になろうとしていたのかも知れません。

また、毎日のような暴言と暴力で、自分ではわかっていないけれども、生きている感覚を失ってしまった可能性もあります。
何もかもに現実感がなく、時に自分の身体すら自分のものと思えない感覚に襲われ、生きているとはどういうものなのか、鈍麻になってしまっていたかも知れません。

そして、自分を責めることで、そのはっきりとした憎しみ、自己嫌悪、痛みなどを感じて、ようやく生きていることを確認できたのでしょう…

知れません知れません、と自分のことなのにあいまいで申し訳ないですが、当時の自分の気持ちを言語化すると、そんなところでしょうか。

とは言え、自分を責める苦しみもまた事実でした。
傷つかなければ愛してもらえない。けれども、本当は傷つきたいわけじゃない…
という、これまた矛盾したかみ合わない本能が共存していました。
自責による苦しみと憎しみと安堵が混ざり、思考は混沌としていました。

さて、その自責と憎しみとわずかな安堵を延々とループしつづける小学生のむむ。
両親からはどんどん負の感情を押し付けられていき、限界を迎えないはずがありません。
次回のななのエピソードをはさんでその次に、限界を迎えた自分むむの話をしたいと思います。

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