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わたしの名前

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「なむどくにっき」にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。
ななです。
今回のお話はわたしの名前(姓ではなく名の方です)についてのお話です。
わたしは自分の名前が好きではありませんでしたが、実家を出て新しい価値観に触れることができました。


わたしはここでは「なな」と名乗っていますがこれはペンネームのようなもので、これとは別に本名があります。
子どもが自分自身の名前について「どういういきさつでこの名前が付いたのか」と興味を持つことはよくあることだろうと思います。
子どもの頃のわたしもまた自分自身の名前が気になり、母にわたしの本名の由来を尋ねました。

わたしは両親がどんな想いでこの名前をつけたのだろうか、どんなエピソードが出てくるんだろうかとわくわくしました。
母「わたしの好きな芸能人から取ったんやで」
わたしは両親が頭を悩ませて一生懸命考えてくれたんだろうと期待していたので、思ったよりもアッサリした答えで驚きました。
わたしがぽかんとしていると母は勝手に話し始めました。その人はとても綺麗な人で頭も良くその人の芸事もとても素敵だったそうです。
母がそこまで芸能人に対して良く言っているのを当時のわたしは見たことがなかったので少し興味がわき、わたしはその芸能人の名前…フルネームは何というのか尋ねました。
母「忘れた」
わたしは拍子抜けしました。自分の子どもにその名前を付けるくらい好きな芸能人なのにそのフルネームを忘れるのか…
残念に感じたものの、わたしは気を取り直します。
わたしの名前に当てられた漢字もその芸能人と同じものを付けられているそうでした。
わたしは母に「この名前の漢字にはどんな意味があるの?」と尋ねました。
さすがにどんな意味があるのかは調べているんじゃないか、知っているんじゃないかと思ったのです。
調べて、知った上でこの漢字が良いと思って付けてくれたに違いない…
当時のわたしは少しでも両親からわたしに対する愛情を感じたくて母にいろいろ聞いていたのだと思います。ちょっと必死だった記憶があります。
しかしこの質問の答えもまた、愛情を感じられる答えではありませんでした。
母「知らん」
わたしはガッカリしました。なんだか適当に付けられたような…わたしの名前はただ呼ぶためだけの形だけのもの、愛情も想いも何もこめられてないと感じたからです。
さらにわたしは「わたしがその芸能人のように綺麗で頭の良い人になるようにと思って付けたの?」と尋ねましたが、これにも母は「そんなことは思ってない」と一蹴しました。
母は「ただわたしがその人が好きやったから」と続けました。
わたしは何とも言いようのない気持ちになりました。
わたしの名前は母の好きな芸能人の名前、でもフルネームは忘れてしまった上に、その漢字の意味を調べたこともない、わたしにその人のようになって欲しいわけでもなく、ただ好きだっただけでどんな子に育ってほしいとかそういう想いもない…
自分の名前の中身はからっぽのような気がしました。
わたしはことごとく期待を裏切られて落胆し、それ以上何か言うことができませんでした。

わたしは後日、自分で漢字の意味を調べました。
それはとても縁起の良い、幸せそうな意味がこもっていました。
それを母に伝えると「へえ、そんな意味があったんか、知らんかったわ。良かったな」とケロリとして言いました。
確かに漢字自体は良い意味があるようでしたが、両親の気持ちも何もこもっていない名前にどんな良さがあるのか、わたしにはわかりませんでした。
名前を付けられた側のわたしが名前を付けた側の親にわたしの名前の意味を説明する虚しさ…
わたしは自分の名前の持つ意味を母と父の口から聞きたかったのです。そこに母と父からわたしに対する想いや愛情を垣間見ることができると思ったからです。
当時母から日常的に暴言や暴力にさらされて父は一切無関心という環境にいたからこそ、両親にとって自分は大事な存在であると確認したかったのだろうと思います。


好きな芸能人やキャラクターから名前をとって子どもにつけるということはそんなに珍しい話ではないと思います。悪いことだとは思いません。
わたしの場合はわたしが「名前は両親が一生懸命考えて付けてくれたものだろう」と勝手に期待し勝手に落胆しただけですが、名前を付けた側が漢字の意味さえ知らなかったことは当時のわたしにはそこそこにショックでした。
それだけわたしの存在に関心がないと言われているような気がしたのです。
わたしはただどんないきさつでも両親から大事に想われていることを知りたかった、「あなたのことは大事に想っている」「あなたが元気で育ってくれたらそれでいい」というメッセージが欲しかったのです。
それが先ほどの母とのやりとりや日常の中でもまったく伝わってこず、さらに当時クラスメイトから名前をもじってからかわれたりもしていて、自分に自信を持てなくなっていました。
わたしは自分の名前を好きになることはできませんでした。
親しい人から呼び捨てにされても違和感しかなく、自分のことなのに誰か別の人のことを呼んでいるようにしか感じませんでした。

月日が経ち、わたしは今の場所にやって来てしばらくたった頃にパートナーの知り合いに会う機会がありました。
彼女はわたしの本名と同じ名前で、漢字まで同じでした。
彼女はそれを知ると「ワタシと一緒や!」と喜んでくれました。
そして『「なな」って名前はかしこい人が多いんや!ワタシみたいにな!』と明るく言ってケラケラと笑いました。
わたしはとても驚きました。
自分の名前のことをそんな風に良く言う人に出会ったのは初めてで、自分の名前を良く言っていいものなのかと戸惑いました。しかもわたしと同じ名前です。
わたしが戸惑っていることも知らず、彼女は続けて笑顔でわたしに言いました。
「ええ名前や」
彼女の笑顔と言葉に嘘はない、本心だと直感で思いました。
同じ名前だったわたしはまるで「あなたはかしこい」「良い名前だね」と初めてほめられたような気がしました。うれしいような恥ずかしいような…複雑な気持ちになりました。悪い気はしませんでした。
そして彼女が自分自身の名前を「良い」と思っていることにうらやましさを感じ、またわたしは自分の名前のことをそんな風に良く言ってもいいんだ…と初めて気付かされました。
わたしはまた自分にはない新しい価値観に出会ったのでした。


長年、わたしは自分の名前に拒否感があり、好きになることはできないと思っていました。
しかしこのことがあってから、わたしはわたしの名前を好き…とまではいかなくとも、わたし自身のものにすることができるようになるかもしれないと淡い期待を持つことができました。
わたしの名前にあてられた漢字自体はとても良い字だと思っています。その字に見合った人間になれたらいいなと思います。


今回のお話は以上になります。
いつもの記事や漫画ではわかりやすくするためにわたしのことは「なな」で統一していますが、わたしは幼い頃から名前で呼ばれるよりもあだ名で呼ばれることの方が多く、名前を呼び捨てられる時はいつも母から暴言や暴力を振るわれる時だったので、わたしが自分の名前を好きになれないのはそれも影響しているかもしれません。
みなさんどうぞこの後はフワフワのパンにクリームがたっぷり挟まったマリトッツォでも食べて楽しくお過ごしください!
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
ではみなさん、良い1日を~!


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