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むむの名前-名づけ親の言う由来が納得いかない親の話-

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むむです。
少し前にななの名前の由来について、名を付けた母に聞いてみた…という記事がありました。

今回は、自分むむの名前について、名を付けた父に由来を聞き、そしてそれを母に話した時のエピソードを描きました。

全否定する母

聞いた時期としては、ななが母に聞いた時とあまり差はなかったように記憶しています。
どちらかというと、自分むむの方が先で、それを自分むむから聞いたななが母に聞いてみた…という感じだったかと思います。

あまり深く考えずに名付け親である父に名前の由来を聞きましたが、ちゃんと願いを込めた名前であったため、驚きと共にうれしさを覚えました。
うれしかった自分むむは、他のきょうだいや母にそれを話しました。
きちんと考えられた、それも親の考えの押し付けではなくて、子の幸福を願ったものであったのが誇らしかったのです。

そうするとまあ、母の否定のすごいこと。
最初は「ええ~それは絶対違うわ~」と冗長に否定していましたが、自分むむが「努力すれば必ず夢は叶うという意味だと父は言っていた」と繰り返すように食い下がると、態度が硬化して怒鳴り始めたのです。

「そんなはずはない!」
「そんなことあるわけない!」
「そんなものは建前だ!本当はそんなに深く考えてないに決まっている!」
「どうせただカッコつけたかっただけだ!」
「あいつは自分の好きな漢字を使っただけ!押し付けただけ!そんな夢がどうとかご立派な考えあるわけない!」
と、全否定。

いや、自分の好きなもの(母の場合は俳優さん)をななの名前にねじ込んで押し付けたの、むしろあんたやろ…しかも由来の俳優さんのこと忘れてるし…

とにかく納得いかないようで、その日は一日「絶対違う」「カッコつけただけに決まってる」とブツブツ言っていました。

なぜ否定したい?母の思考推測

なぜ母がそこまで反応するのか?いろいろ考えることができます。

①むむに希望を持たせたくなかった
②父の株が上がるのが許せない
③母の適当に付けた名前が見劣りする

この辺りでしょうか…


①むむに希望を持たせたくなかった

最初は冗長に、そこまで声を荒げずに否定していたのが、自分むむが食い下がったことによって語気が強くなり始めたので、もしかすると父を否定したいのではなくて、自分むむの心を折りたかったのかも知れません。
「夢は叶う」という意味を持った、希望に満ちた名前で、明らかに自分むむは喜んでいました。
それを見て、母は加害欲がわいたのかも知れません。

母はずっと、我々双子を母の一部として扱い、同時に母自身より絶対的に格下で、傷つけてもかまわない、無条件で母のすべてを受け入れてくれるべき存在として、もはや「調教」していました。
自分より絶対格下で、自分より幸福になることは許されない存在が、希望を持って喜んでいる。「幸福」を感じている。
それは、相対的に母を「不幸」とするものでした。
母はそれが許せなかった。

だから、母は自分むむの幸福を奪うべく、父の言う名前の由来を全否定し始めた…母の言う「本当はそんなことは考えていない」という論調を真に受けて、ガッカリさせ、絶望させたかった、のかも知れません。

かなり陰湿で自意識過剰ぎみな考えですが、母のことなので十分ありえます…
彼女は本当に我々双子が幸せになることを嫌がっていました…

②父の株が上がるのが許せない

これは少し説明が長くなるかも知れません。
手短に言うと、母は父への憎しみがあるのです。

憎しみの原因はかなりあると思います。

・そもそも関係が対等でない
 母は父に養われている自覚があり、父に強く出られません。
 父も、母にモラルハラスメントともとれる言動をしていました。
 結婚以前からの力関係ができあがっていて、母はそこに憎しみがあったと思います。

・育児丸投げの恨み
 子ども4人の育児を父は母に丸投げ。
 少なくとも、母が望むようなサポートを父はしていなかったようです。
 憎しみ・恨みを抱くには十分でしょう。
 そもそも関係が対等でないので、余計に恨みは募る…

・すべてを受け止める「親」になってくれない
 母はずっと、自分の不満や不安を察してくれて、激情も受け止めてくれて、寄り添い、支え、認めてくれる「親」が欲しかったのです。
 残念ながら、母の親、自分むむからすると祖父母は母のそれを満たしてはくれませんでした。
 ですから、子どものまだいなかった時、母がパートナーである父に「親」を求めていたのは想像に難くありません。
 子どもがいないなら、母の感情の受け皿の候補は父しかいないからです。
 けれども、父が「親」になってくれないので…むしろ母が父の「親」にならねばならなくなったので、子どもに「親」を求めることになったのだと思います。

 これは、わが家だけに見られることではないと思っています。
 父>母>子どもの力関係の概念は、この国ではまだまだどころか、ものすごく強固なものとして存在していると感じます。
 これは個人の問題では説明しきれない。この国のシステム自体がこの構図を強固なものにしている、古い形のままなのではないかと思っています。

・貧困
 母は「男性は仕事、女性は家庭」という時代的な概念にどっぷり浸かって、自分から選んで専業主婦になっていますが、父の稼ぎが少ないとぼやくことも時々ありました。
 もともと、父と比べると裕福な家の育ちだった母。
 結婚したことによって生活水準が大きく下がってしまったことに不満を持っていたようです。
 特に、どうも母の母、自分むむから見て祖母から、結婚・出産後に「みすぼらしい」「汚い」と言われたことが響いているようでした。

 加えて、わが家は子どもが4人。しかも2人は双子です。出費はそれなりに大きくなります。
 さらに、バブルがはじけ、父の給与は上がらなくなったと思われます。
 こうなると、生活水準をそれまでと同じにはできません。
 母はイベント(知人と少し遠出するとか、好きなアーティストのコンサートに行くとか)の度に服を新調するような人だったので、それじゃあ父の稼ぎが少なく感じるのも納得です…
 母にとっては、母の実家での暮らしから大きく不自由な生活になったと感じられたでしょう。
 その不満から、母は自分が働くという考えのないまま、父を恨んでいた節があります。

③母の適当に付けた名前が見劣りする

ちょっと意地悪な見方かも知れませんが、ありえなくはないです。
先ほどツッコミましたが、
「自分の好きな漢字を入れただけ」
「自分の好きな世界をねじ込んだだけ」
「立派な考えなんてあるわけない」
これらはすべて、母のななへの名付けに言えることです。

母はななに母自身が好きな俳優さんのお名前をつけましたが、ななに聞かれた時にはすでに失念、漢字の意味すらわからないと言ってのける始末…
好きだから、と言っても、他にも好きな作家やアーティストもいたであろうに、なぜその俳優さんの名にしたのか?ということすら、母はもはや覚えていないことでしょう。
(むしろ、考えたくはありませんが何も考えていなかった可能性すらあります…)

これでは聞いた子どもがガッカリするのも無理はありません。
生まれた時に歓迎されていたのか?それともいらない子だったのか?
名前の由来を通して、子どもは親にどう思われているのかわかってしまうのです。

実は、両親は最初から双子のつもりで産んでいませんでした。(と言うか、それが一般的だと思います)
出産の直前になって、初めて双子だと判明したのです。
そのため、むむの名はあらかじめある程度父が考えていましたが、ななの名は生まれてから急きょ考える必要が出てきたのです。
そういう意味では、「好きな俳優さんの名前」という選び方は時間の制限のある中では仕方ないのかも知れませんし、そういう選び方も悪くありません。
それでも、その後でもいいので、使われている漢字やその俳優さんについて詳しく調べて欲しかった。
そして、適当につけたわけじゃないという姿勢を子どもに見せて欲しかったです。
せめて、その場で一緒に漢和辞典を引いて見てくれれば、どれだけななの救いになったことか…

その由来すらあやふやの「なな」と、母曰く「立派な考え」を持った「むむ」では、由来の思い入れに差がありすぎます。
どう考えてもななの名前の方が聞き劣りしてしまいます。
母はそれにまずさを感じたのかも知れません。自分のいい加減さが露呈してしまいます。
それで、母は父を母自身と同じレベルまで引きずり落そうとしたのだと思います。
母と同じように、好きな漢字を入れただけだ、と主張して。

ななに対してかわいそうに思って、父の言う由来を否定したかったという可能性もありましたが、後日ななに指摘されるまで漢字の意味すら調べていないことから、ななへの心配の可能性はまったくなさそうです…
もしそうだとして、父の言う名の由来を否定しても、ななのなぐさめにはならないですし、完全に母の自己満足だったでしょう…

そんなわけで、母は父への恨みや憎しみがありました。
その恨み憎しみから、母の中で、父はもはや「敵」と見なされていました。
敵である父の得になるようなことは、相対的に母の損になります。
父の考えを肯定することは、0か100かという思考の母にとって、自分を無条件で受け入れ、自分の一部として動くべきむむという存在が父の味方になり、自分に反旗をひるがえすかも知れないことを意味します。

もはや、実際に父が何を考えて自分むむの名前をつけたかは問題ではないのです。
母の中にある「敵」である父のイメージを、母は母にとっての現実として認識し、それを事実にしようとしていたのです。

父のカッコつけた由来を信じた

そんなわけで、全力で名前の由来を否定されましたが、当時の自分に、母のその否定の言葉は響きませんでした。
というのも、やはり名付けた本人の口から聞いた言葉と、精神的に共依存しているとは言え、名を付けたわけでもない、部外者の言葉では重さが違うから…

…と言いたいところではありますが、いや、それもなくはないでしょうが、やはり名付けた本人の口から出てきた「カッコつけた」由来の方がカッコよかったからです。
人間というのはいい加減なので、自分の信じたいものを信じます。
自分にとって、たとえ建前でも、カッコつけていても、ただ好きな漢字なだけでも、すごそうなカッコいい理由を信じたかったのです。

大人になってからこの件のことを思い出すと、たぶん、母の言う通りなんだと思います。
父は自分の好きな漢字を自分むむの名前に入れたのだと思います。
父が好きな世界を、自分むむの名前に忍ばせたのだと思います。
そして、カッコつけたのもその通りだと思います。
子どもや他人に説明する用に、見栄え(聞き映え?)のする別の由来を用意していたのだろうと。

けれども、それは自分にとって何もマイナスではありませんでした。
父は、漢字の意味を調べ、その漢字が他にどういう言葉で、意味で使われているかを理解し、その上でカッコつけた説明を作っていたのです。

父は父自身の体裁を保つために用意したのかも知れませんが、その説明をすぐにできるように用意していてくれたことは、自分むむにとって感激ものでした。

このことは自分にとって少し大事なこととして頭の隅に残るようになりました。
子どもにカッコつけたくて無理をするのはよくありませんが、今回のように名前の由来など、子どものアイデンティティに関することだったり、地震などで不安におびえる子どもを安心させるためであったり…
見栄を張るのとはちょっと違う、子どもの心を守るために、大人という存在はちょっとカッコつけた姿を見せないといけない時もあるのかもな、と思うようになりました。

好きな漢字で、願いを込める。
それ自体は何も悪いことではありません。
ちなみに、読みは成長してもいじめられたり苦労しないようにと、昔からよくある響きにしてくれました。

自分は父からもらったこの漢字の由来は、たとえ実際はもっと適当に決めていたとしても、信じたいと思っています。
カッコいいので(笑)
(だからと言って、母の暴力や暴言を放置していたことの免罪符にはなりませんよ)

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