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お年玉-子どものお年玉を自分の娯楽に使う親の話-

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むむです。
まずは、あけましておめでとうございます。
マイペースに更新してきて、はや一年を過ぎました。
まだ漫画にするネタがいくつもあるので、もうしばらくはこの「なむどくにっき」も続きそうです。
今年もよろしくお願いいたします。

さて、お正月ということなので、今回はお正月にちなんだ話を描きました。

記憶もないくらい幼い頃にいただいたお年玉、親御さんはどうされていましたか?
貯めておいて、子育てがひと段落した時や、子どもが実家を離れてひとり立ちする時、また結婚などされる時なんかに子ども本人に渡したり、
子どもの学校の制服代や修学旅行費用などの教育費にあてたり、
はたまた、貯金すらせずに家族の生活費や親御さんの娯楽費にあててしまったり…
家庭によってさまざまだと思います。

自分むむはまったく知りません。と言うか、記憶がさすがに残っていません…

ですが、おそらくは生活費や親の娯楽費にあてられたものと思います。
その理由が、今回の漫画です。
これは、以前父から聞いた昔話(父にとっては武勇伝)を描いたものです。

わが家の父は「貯めずに娯楽に使ってしまう」よりひどくて、「娯楽に使うために親戚を回る」…という話です。

子どものお年玉は親のもの?

少し話がそれますが、「子どものお年玉を使ってしまった」という話はしばしば聞きます。
急な支出が発生したり、お金を下ろし忘れていたり。
そんな時に、「預かってるお年玉があった」と気づいて、とっさに使ってしまう…十分ありうることだと思います。

個人的には、そういうことがもしあったとしても、補填さえすれば問題ないと思います。

けれど、それを「子どものものは親のもの」とばかりに補填もせずにいるのは、罪に問われないだけで、窃盗もいいところです。

渡す方は「子どもへ」と渡しているのに、それを子どもと全く関係のないこと(それこそ「親が欲しがっている」ゲーム機や酒、親の交友関係の食事会など)に使って、「子どものものは親のものだから」は、さすがに渡してくれた方へも不義理すぎます。もはや詐欺。

渡してくれた方のことを思えばそうはなかなか使えない気がしますが、こういうパターンの親だと、そんなことは一切考えないのでしょう。
こういった親は子どもも自分の一部だし格下だし都合よく動いてくれるべき存在だと認識しているので、子どものお金を使うのは彼らにとって当たり前のことなのです。

要は、「子どもへ」渡されたものを「子どものもの」と認識しているのかどうか、ということです。
まだ幼い子どものお年玉をどうするか、子どものお年玉を使ってしまった時にどうするかで、子どもに対してどう思っているのか…子どもを一人の人間として見ているのか、それとも親の付属品や所有物と思っているのか、その一片が見えてくるのではないかと思います。
(もちろん、家庭の貧困状況や時代的なものもあるかと思いますので、それだけですべてを語ることはできないと思います。)

最初から詐欺することを決めていた

さて、話を戻します。
今回は「親が子どものお年玉を勝手に使う」という話ですが、輪をかけてえげつないのは、「最初から自分の欲しいものを買うために子どものお年玉をかき集めに行く」というところです。

当時の父は、人気ゲーム機がどうしても欲しいけれど、父が自由に使えるお金はあまり多くなかったようでした。
そして思いついたのが、当時まだ幼い兄、ににを連れて親戚にあいさつ回りをする、ということでした。
親戚ということもあり、幼い子どもに訪ねられては、お年玉を渡さないわけにはいかないだろう!
そのお年玉を集めてあのゲーム機買おう!
という作戦でした。

父はもともとあまり社交的でないのに、そのゲーム機が欲しい一心で、普段まったく交流がなく、何年も会っていなかった親戚宅を何件も、ににを連れて事前に連絡もせず突撃してはお年玉をもらう、という強引な技を使いました。
そして、作戦は成功し、無事にににのお年玉は父の目標額に達し、晴れて(?)父の欲しいゲーム機代となりました。
この執念は素直にすごいと感心します…よほど欲しかったのか…

この間、どうやら当の本人であるににには相談はしなかったようです。
それどころか、今現在に至っても、ににはあのゲーム機が自分のお年玉で購入されたものであることすら知りません。
父はゲーム機について、「わしが買った」「わしのもの」というスタンスを長年貫いており、にには幼すぎて記憶がなく、また他のきょうだいは生まれていないので、きょうだいはみんな「父のものなんだ」という認識を刷り込まれていました。

はっきり言ってしまうと、にには利用されたのです。
親戚の人々も騙されたのです。

子どもは自分が得をするための道具‐父の思考予想

確かに、結局父だけでなくににや他の家族も、このゲーム機で遊ぶことが楽しみになりました。
今でも思い入れのあるソフトはたくさんあります。

けれど、だったら別にいいじゃないか、ということにはなりません。
(そもそも、この件については許す許さないを決める立場に自分むむはありません)
今ここで問題にしているのは、父は子どもを利用するだけ利用して、それで(「子どもへ」と言われたにも関わらず)得たものはすべて自分の物にしているということです。

ここからわかるのは、いつも我々双子を虐げている母だけでなく、父もまた、子どもを一人の人間として見ていない、接していないということです。

いつか、母が自分むむの絵が賞をとった時とやることが同じです。
母自身をほめてもらうために、母自身が努力するのではなく、子どもである自分むむが賞をとったことを近所の人や知人に自慢していました。
そして知人たちからすごいすごいと言われて鼻高々。

それ自体はダメではありませんし、言いたくなりますよね。
が、賞をとった当の本人である自分むむには母から「おめでとう」の一言もなし。
むしろどうでもいい、という態度でした。

子どもを自分が得をするためのステータス・道具として利用しているのです。

母にとっても父にとっても、子どもというのは「自分の得のために存在しているもの」であり、一人の別の思考をもった人間ではないのです。

他人であるとわかっていれば、他人のお金を使おうとはそうそう思わないからです。
そもそも自分(だけ)が欲しいゲームを買うために、他人を使ってお金を集めようなどと、そうそう思わないのでは…?
役者が舞台に出て稼いだお金を、マネージャーが全額娯楽に使い、役者には1円も渡らないようなものではないですか…
こういうの、巻き上げ、カツアゲと言うのでは…?

そして、母と同じで、父の中では矛盾はありません。
子どもは他人ではなく、自分に都合のいい、自分の一部で、自分より絶対的な格下だと思っているから、子どもという他人に渡されたお金を巻き上げて自分のためだけに使うことに、疑問も罪悪感もないのです。
だから、兄ににへ連絡する手段をまだ持っている自分むむに、武勇伝のように語ってしまうのです。
実際には巻き上げ、詐欺、横領の自白にしかなっていないというのに…

おそらく真相を知っていながら何も言わない/言えない母もまた同じです。
この件の歪みを見るだけでも、すでにこの時点で両親の不仲は始まっていたのだろうと思います。

他のきょうだいのお年玉

もっともかわいがられていた兄のににですらお年玉を親に使われてしまっているので、我々双子はもちろん、姉のねねのお年玉がどうなっていたかは想像に難くありません…

もし万が一、貯金してくれていたとしても、ほぼ一家離散の我が家の現状では、両親は生活費と娯楽費にあてることにするでしょう。
とても腹立たしいことですが、もうそれでいいので、自分むむの人生から一刻も早く退場して欲しいです。


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