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つまらない話‐自分の話はつまらないと思い込んでいた話‐

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むむです。
今回は実家を出て、パートナーと一緒に暮らし始めてからしばらく経ったある日のことを描きました。

話の主体は常に母

前提として、実家では興味を持って聞いてもらうということがあまりありませんでした。
例え興味を持って聞いてくれていたとしても、途中で母が何か思いつけばそこでこちらの話は強制終了。
「そう言えばな~」
「今あんたが言うた○○と言えば~」
「(今していた話にはまったく関わりがない)△△なんやけど~」(おそらく何か連想したらしい)
という感じで、話の主体が母に切り替わります。
そして、たいていそういう話は我々双子の知らないどこかの誰かの噂話や父への愚痴に終始することが多かったです。

けれども、話を元に戻そうとすると「他人が話してるやろ、ちょっと黙らんかい!」となぜかこちらが怒られる羽目に。

結局、いつも「どうせまあ大した話じゃないしな…」「この話で得られるものがあるわけでもないし…」「つまらん話やったんやろうし…」と自分に言い聞かせて、話したかった感情自体を殺して忘れ去り、母の話を聞いてあげるパターンでした。

話をすり替える母の心境予想

母はこちらに対してわざと、「話をさえぎってやろう」「話をすり替えてやろう」と思ってやっていたわけではなさそうでした。
思いついた話を、衝動的に話したくなってこらえられない、という感じでした。
とは言え、もちろん、これが目の前にいるのが母にとって目上の存在であったなら、当然こらえたでしょう。
母にとって絶対的に格下で、母の一部として動くべき存在である我々双子の前だからこそ、衝動的に話したくなった時にそれを止める理性が働かないのでしょう。
「遮っても別にいいか」「わたしの方が重要。優先されるべき」という感覚があるのだと思います。

全部話してもらっていいですよ

このことによって、無意識のうちに自分むむは「どうせちゃんと聞いてもらえない」とあきらめ、「どうせ自分の話はつまらないから」と言い聞かせ、思い込み、「他人にどうでもいい話を長々とするのは悪いこと」という感覚を身に着けました。

そして、パートナーと話していた時に自分が長々と話していたことに気づきます。
長々と得るものもないどうでもいい話をしていたことに申し訳なさを感じ、自己嫌悪に陥りました。
「ああ、どうしてこんなしょうもない自分の話なんか聞かせてるんだ!こんな話相手は聴きたくないに決まってる!」
「どうでもいい話に付き合わせて申し訳ない…」
「こんなに長々とおもしろくもなんともない話をしていたら嫌われてしまう!」と焦りました。
あわてて長く話していることを謝り、どうでもいい話だからと話をやめようとすると、パートナーはキョトンとして「なんでやめるの?」と返してきました。

「話したいことがあるなら、どうぞ全部話してもらっていいですよ」

パートナーはほがらかにどうぞどうぞと話すことをすすめてきました。
その様子に嫌味がなく、裏もなさそうだったので(母の嫌味や皮肉や言外の要求を見すぎたせいで心がよどんでいますね…)、それじゃあ、と続きを話しました。
パートナーは話を遮らずに、興味を持って全部聞いてくれました。
本当にどうでもいい、他愛のない話でしたが、特に気まずさもなく、むしろなごやかに終えて、そこからまた話が発展して…楽しい時間を過ごすことになったのです。

本当にどうでもいい話だったのですが(笑)自分むむは、とても申し訳ない気持ちと共に、とてもありがたく感じました。

その後も、似たようなことが何度もありました。
今回のようにどうぞどうぞと促されて話すこともあれば、仕事もあるから…と切り上げることもありました。

どちらにしても、パートナーの対応には母によく見られた嫌味や皮肉や言外の要求や圧力を感じなかったため、まったく苦にならず、「どうでもいい話をするなんて…」と自己嫌悪に走ることもなくなりました。

虐待経験を話す時はさすがに申し訳なくなって、
「さすがに重いからやめとこうか」と切り上げようとしましたが、パートナーは
「自分が体験していない、他人の人生を聞くのは興味深いことだよ」
とフォローしてくれて、虐待を受けたこちらへの共感だけでなく、興味を持って、自分の知らない世界を勉強するように、一生懸命聞いてくれます。
(本当にありがたいことに、パートナーは虐待や毒親についても自分で調べて理解を深めてくれていました)

そのおかげで、やがて「つまらない話だから」と自分で勝手につまらないと決めつけて切り上げることもなくなりました。
つまらないかつまらなくないかは相手が決めることで、自分が決めることではありません。

もちろん、衝動的に話したくなることは誰にでもあることでしょう。
でも、それは今話すべきことなのか、相手は興味があるのか、誰に話すのか、そういった状況を考えて話すように、一呼吸おくようにしたいなあ…と、母を思い出して感じます。

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