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遊ぶしかない

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「なむどくにっき」にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。
ななです。

今回のお話はわたしと双子の妹むむが小学生の頃、喧嘩の末に母によく無理矢理外に閉め出されていた頃のことです。
それは季節に関係なく、時間はたいてい夜でした。
外への閉め出しは何度もされていて、この頃は母による暴言や暴力をふるう際とどめを刺すかのように毎度行われていました。

この時は冬の時期でした。雪がちらついていてとても寒かったです。
わたしもむむも靴も防寒具も一切ない状態で外に閉め出されました。
靴下は履いていましたが、地面から足に伝わってくる温度はとても冷たくまるで氷の上に立っているようでした。
このまま1時間も2時間も母が扉を開けてくれるのを待たなくてはなりません。
そんな時、むむがわたしに声をかけてきました。
「なな、遊ぼう」
わたしとむむは雪が降る中、靴もなく防寒具もない状態で2人で走ったりスキップしたりジャンプしたり、とにかく体を動かすことでなんとか暖をとっていました。
そして1時間ほどした後にわたしとむむが家の前に戻ると扉が開いて怒り口調の母が家の中に入るように言いました。
母はわたしとむむがついさっきまで遊んでいたことに気が付いていないようでした。
わたしは母が気が付いていないことに気が付くと、急に楽しい気分になりました。母を出し抜いているかのような気分になったのです。

それからわたしとむむは母に無理矢理外に出された時には2人で遊ぶようになりました。
もし母にそれがバレてしまうとまた母に怒られるかもしれないことも考えて、そろそろ1時間たったかなという頃にまた家の前に戻って来るようにしました。
それからは母の暴言や暴力が始まると「また外に出されるのかな、今日は何をして遊ぼうか」と考えるようになりました。

ある日、また母に無理矢理外に閉め出されてわたしとむむはいつも通り遊んでいました。
その日は家からほんの少し離れたところにある公園のようなところで遊ぶことにしました。
わたしもむむもまた1時間くらいしたら戻ればいいと思っていました。
しばらくわたしとむむが遊んでいると後ろから名前を呼ばれました。母でした。
わたしは「怒られる!」と思いましたが、母は怒っているような、呆れているような…いつも暴言や暴力を浴びせてくるほどの怒りはない様子でした。
「あんたらどこ行ったんかと思ったらこんなところで遊んでたんか」
わたしは母の言葉を聞いて母が心配してわざわざ探しに来てくれたんだと思い、うれしくなりました。
いつもは家に入ると母からまた怒鳴られたりするのですが、この日はそれもありませんでした。
そしてこの日以降、わたしとむむが外に閉め出されることはなくなったのでした。

わたしが思うに、母は暴言や暴力をたっぷり浴びせて外に閉め出したはずの子どもたちが遊んでいる姿を見て、「閉め出している意味がない」と感じたのではないかと思います。
これまでは母のストレスを発散するため、母は暴言や暴力をふるい続けてきました。
しかしそれだけでは母の気は収まらなくなり、暴言や暴力に加えてさらにわたしとむむに恐怖感や無力感、劣等感や不安を植え付けて母自身の優越感や万能感を感じて自分を満たそうと母は感情的にわたしとむむを外に閉め出してきたのだろうとわたしは思っています。
それが子どもたちが遊ぶための時間になってしまっていたことに気がつき、自分のやってきたことに意味がなかったように感じ、やめてしまったのでしょう。
もちろんわたしは最初の内は恐怖感や無力感、劣等感や不安を植え付けられ、家の前で泣いていることが多かったです。
しかし何回も何十回も閉め出されてきて、わたしは母の感情をただぶつけられているだけだと感じるようになり1時間も2時間も家の前でじっと泣いている理由もその必要もないと思うようになったのです。
純粋にさらわれたりしないかと心配になった可能性はあります。その場合身代金を出せるほどのお金がないことや、「夜に子どもを閉め出している間にさらわれた」と世間に知れたら責められることを想像したのではないでしょうか。困るのは母自身です。

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後日談として、わたしが大人になってから母に「昔わたしとむむを外に閉め出してたよね、あれって今なら虐待でアウトやね」と言いました。
この時、わたしは少しの復讐心を持って母に言いました。(復讐…と言ってもただ本当のことを言っているだけですが…)
すると母は「でもあんたら、遊んでたやん」と言いました。
早口でその声はわずかに焦ったような上ずった声でした。母の言葉を聞いた時、わたしはこれは言い訳だと思いました。
喧嘩両成敗というか、「ワタシも当時は外に閉め出していたけれど、アンタたちも遊んでいたんだから五分五分よね、だから虐待にはならない」というニュアンスでした。
母は「自分がやっていたことは虐待じゃない、自分は悪くない」と思いたいんだと思いました。
あれだけわたしやむむを殴ったり髪の毛を引っ張ったりして無理矢理防寒具や靴もなしに外に閉め出しておいて、自分は悪いことは何もしてないつもりなんだ…
わたしはそれに気がついて怒りと呆れ、そして母の不誠実さに絶句してしまいました。
もちろんその後も母が外への閉め出しについて謝ってくれることは一切ありませんでした。

そりゃあ自分は子どもに虐待している、なんて思いたい人はいないでしょう。
そんなことを子どもから言われたら混乱して大きなショックを受けてしまうと思います。
それでもわたしは母に自分のしたことを振り返って「そうだったね、ごめん」と認めて謝って欲しいと思っていました。しかしやはり母はそんなことは言いませんでした。
母はまさか「お前がやってきたことは虐待だった」なんて言われるとは思わず、でもやってきたことは本当で、けれどもプライドが高くて謝れず(謝るという選択肢がそもそもなかったかもしれませんね)、苦し紛れに口にした言葉は「あんたたちも遊んでいただろう」=「お前たちも悪い」という責任転嫁の言葉でした。
母にとっては「閉め出された子どもは遊んではダメ、家の前でじっとしていなければならない」という「閉め出された子どもの理想の姿」があったのです。
だから閉め出されたわたしとむむが遊んでいたことが悪いことかのように言ったのだと思います。
わたしたちが遊んでいたのは最初は寒さをしのぐためです。無理矢理上着も靴もない状態で外に閉め出したのは母本人です。
じっと泣いている理由も必要性も感じない、無理矢理押し付けられた環境の中で自分の過ごしやすい環境を追求した結果です。
それをわたしたちも悪かったかのように言われるのは本当に腹が立ちます。
もしかすると母自身が虐待を認めてしまうと「常に被害者である」という自分のアイデンティティが壊れてしまうと感じたのかもしれませんね。

そもそも「虐待かどうか」は「された側(ここでは母の子どもであるわたしとむむ)」が決めることで母には決める権利はありません。
暴力をふるった側である母の視点「閉め出したけど子どもたちも遊んでいたから虐待じゃない」という言い分は通りません。
もちろんされた側も人によっては「あの時閉め出されていたけど遊んでいて楽しかったから別に虐待だと思ったりはしていない」と考えることもあるでしょう。それは人それぞれです。
しかしわたしにとっては「閉め出されたこと」とわたしがその間「遊んでいた」ことは別の話で、母の閉め出し行為を許す理由にはなり得ません。
「閉め出し行為」を許すことはわたしが閉め出された時に感じていた悲しみや怒り、恐怖感や無力感、劣等感や不安をすべて水に流すことにしてしまうような気がするのです。
それらの感覚をなかったことにはできません。当時わたしが遊んでいたのはそれらの感覚から逃げるためでもあったと言って良いと思います。
わたしは母が話を聞いてくれなかったことも、暴力をふるって無理矢理外に閉め出したことも、寒い季節であっても防寒具や靴すら身に着けることを許さなかったことも、後日あの時自分がしたことを認めずに遊んでいたのが悪いことのように言ったこともすべて許せません。
母には怒りとともに呆れを感じます。


今回のお話は以上になります。
わたしはしつけとして子どもを閉め出したり閉じ込めたりすることは賛成できません。
暴力と同じでただ子どもを恐怖や不安でしばりつけて「親の望む通りにならなければ愛してやらない」という脅しをしているだけだと感じるからです。
何度も言いますが虐待かどうか決めるのは子どもです。親が「しつけとしてやった、愛情を持ってやった」と言ってもそれが子どもに伝わっていなければそれは意味がありません。
みなさんどうぞこの後は一口食べればとろける食感、チョコの風味と抹茶の香りが口いっぱいに広がる…!抹茶生チョコでも食べて楽しくお過ごしください!
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
ではみなさん、良い1日を~!

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