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拒めない

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「なむどくにっき」にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

ななです。

今回のお話はわたしが中学生の頃のお話です。
ある特定の日のお話ではなく、当時よくあった風景と言うか、よくあった母とのやり取りの記録と言うか…

わたしがまだもっと幼い、小学生あたりの頃母はとにかくよく怒ってはわたしや双子の妹むむに暴言を吐き、暴力をふるってきました。
けれどわたしとむむが成長してくると、だんだんと母の暴言や暴力は減っていきました。
しかし今度はわたしや双子の妹むむへの干渉がひどくなり、またよくわからないわがままのような怒りを噴出させることが増えてきました。(これはまた記事にします。)
加えて以前から垂れ流される父や知人への愚痴は一向に減らず、さらに「自分は不幸だ」と言いたげな母の重くて暗い部分だけ抽出したかのような身の上話を聞かされるようになります。
わたしはそんな母を内心疎ましく感じていましたが、同時に気の毒、かわいそうだと思っていました。
かわいそうな母に対して母の要求を拒んだりすれば、母を傷つけることになるような気がしました。疎ましく思うことさえ悪いことのように感じました。
当時母と父は不仲であったので、母に対して負の感情を持つことはより一層家族をバラバラにしてしまうことで、いけないことのような気さえしたのです。


この頃の母はわたしや双子の妹むむが何をしているか、誰とどんなことをしているか、出かけるならどこへ、誰と、何をして、いつ帰ってくるのか細かく聞いてくるようになりました。
わたしは中学生と言うこともあり思春期で、母のそうした事細かに聞かれることをわずらわしく感じていました。
母は絵を描いていれば「何描いてるん?」とのぞき込み、宿題をしていれば「何の宿題?」むむと話をしていれば「何の話?」音楽を聴いていれば「何聴いてるん?」と逐一聞いてきました。
母にとってはコミュニケーションのつもりであったのかもしれませんが、わたしには母が邪魔をしてくるように感じてうっとうしく感じました。
わたしの実家は家が狭く、自分の部屋がないということもあり逃げ場どころかプライバシーもなく、母に「邪魔しないで」と言ったりして母の質問に対応しなければ母の不機嫌が待っています。
母が不機嫌になると行動が荒くなり、物音をわざとらしく大きな音を立てたり、無視や無言、「わたしは怒っているんだぞ」という無言の圧力をかけてきます。それらにその日一日耐えなければなりません。
何か母が口にしようものなら皮肉や陰湿な一言「どうせわたしは○○(邪魔者だとかうっとうしいヤツだとか)ですよ」とこちらに罪悪感を植え付けるような言葉や言い方をしてきます。
そこだけはどれだけ年月が経っても変わりませんでした。

わたしが漫画を買いに行こうと思って出かける準備をすれば、母はまた事細かに聞いてきます。
どこに行くのか、誰と行くのか、何をしに行くのか、いつ帰ってくるのか…
わたしはいちいち母の質問に答えるのはうっとうしく感じていました。全部答えるのが嫌でした。
しかし、母の質問に答えないことは母を傷つけることになるのではないかという考えが頭をもたげます。
母の要求に答えない=母の期待を裏切るということになるような気がしたのです。
そうすると母を傷つけることになる、悲しませてしまうことになると思いました。
幼いころから母の要求に答えなければ母の不機嫌や暴言や暴力にさらされる環境にあったこともあり、「母の質問や要求には絶対に答えなくてはいけない」という刷り込みがありました。
わたしは自分でもわからないけれど、母の質問にはすべて答えてしまうようになっていました。

わたし自身の中では母がうっとうしいのに拒めないことが非常に苦しかったです。
また、母に対して言ったことは「絶対に守らないといけない」と自分で思い込んでいて、守らなければ嘘をついたことになり母から怒られると思いました。出かけた先でもずっと母に言ったことを守らなければならないと焦っていました。
家にいれば母の機嫌を伺い、母の質問や要求があればそれに答えなければならず、出かければ自分で母に言ったことに縛られて気の休まる時がありませんでした。
それでも当時は「そういうもの」「これが普通だ」と思い込んでいました。


これは当時わたしと母は共依存の関係にあったせいだと思います。
幼いころから母から暴言や暴力を受けていたわたしは、それが「普通」「愛情だ」と思い込んでいました。
母はずっと子どもたちの気持ちより母自身の気持ちを子どもたちに押し付けてきました。
母は「言わなくてもわかれ」「察しろ」「わかって普通」という考えの持ち主で、わたしたち子どもに対して「わたし(母)の思うことを言われなくてもわかれ」という圧力をいつもかけていました。わからなければ暴力をふるわれることが常でした。
当時のわたしは自分の考えや気持ちよりもそんな母の気持ちを優先しすぎて自分が本当はどう思っているのか自覚することができない子どもでした。
とにかくいつも母の機嫌を伺い、母の感情や言うことに振り回されて自分の気持ちを見つめる暇がなく、母の考えや要求を第一に考える人生を過ごしていました。
そんなわけでわたし自身も母と同じように自分と他人の境界線が曖昧で、母が要求することはわたしが叶えてあげなければいけない、わたしが母の味方にならなければいけないと思い込んでいました。
本当は母の抱える問題は母の問題であってわたしの問題ではないのでわたしが抱える必要はなく、母の気持ちとわたしの気持ちが全く違っていいはずなのに当時のわたしはそれがわからず、母の気持ちを想像して抱え込んでしまうようになっていました。
こうしてわたしは思春期特有の「反抗期」が母との共依存の関係によって押しつぶされてしまい、母や他人からの要求を拒むことのできない人間、母や大人たちから見て「反抗期のない良い子」として育っていくことになりました。


今回のお話は以上になります。
共依存は気が付くまでに時間がかかるので本当に怖いです。
みなさんどうぞこの後はいちごの果肉入りでぷちぷち食感が楽しいいちごミルクでも飲んで、楽しくお過ごしください!
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
ではみなさん、良い1日を~!

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