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閉め出し時の父

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「なむどくにっき」にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

ななです。

今回のお話はわたしとむむが家の外に閉め出されている時の父のお話です。

小学生の頃、わたしとむむはよく母に無理矢理外に閉め出されていました。
わたしとむむが喧嘩をして、途中から母が怒鳴り出してなぜか2人とも外に閉め出されるという流れがほとんどでした。
わたしとむむが喧嘩をしているのに、なぜ母が怒るのかまったくわからず、話を聞いてもらえないことも、その上で外に閉め出されることも納得がいかず、でもそれを言語化ができずにくやしくて閉め出された外でよく泣いていました。

ある日いつものように母に無理矢理外に閉め出されました。
むむとの喧嘩でわたしは絶対に悪くないと思っていました。
「わたしは悪くないのになんで外に出されなければいけないのか」
「母はなんでわたしたちの話を聞いてくれないのか」
「いつもいつも喧嘩をすれば怒鳴ってたたいて無理矢理外に出す母の行動に納得がいかない、横暴だ」
そんな気持ちからわたしは怒りがおさまらず、泣きながら玄関のドアを壊す勢いで力いっぱい何度も蹴っていました。実際家が壊れればいいと思って蹴っていました。(この時は幸運にも靴を履くことができたのでドアを蹴るという行動ができました。)
何度もドアを蹴っていると母が「うるさい」と家の中から怒鳴ってきました。うるさくさせているのはお前だろう、とわたしはさらに怒りが増しました。

母が怒鳴り散らし、わたしは泣きわめきながら家のドアを蹴るという混沌とした場に仕事から帰ってきた父が現れました。
父は「なんや、また放り出されてるんか」と軽く言いました。
それまでも父がいる状況で何度もわたしとむむは外に閉め出されてきました。もちろん父は見て見ぬフリでした。
しかし外に閉め出された子どもが泣きわめきながら家を蹴り、母親は外に丸聞こえになる程怒鳴り散らしている状態を目の当たりにして、父が母に何か言ってくれるのではないかとわたしは期待しました。
そして父が少しでもわたしたちの話を聞いてくれたり、なぐさめてくれることも期待しました。

父は家の鍵を開け、チェーンがかかっているのに気が付くとインターホンを押しました。
家の中からチェーンが外され、父はドアを開けて中に入ります。
そしてそのままわたしとむむには目もくれずドアを閉めて鍵をかけました。
ドアを閉めるだけでなく、鍵まで…わたしは父にも見捨てられた気がしました。怒りと失望、悲しみが混ざったとても複雑な気持ちになりました。
父はわたしたちに何があったのかすら聞こうともしませんでした。当時のわたしにはショックでした。
おとーさんはなんにもしてくれない…
もしかするとその後に父が母に何か言って比較的早く家の中に入れてもらえるのではないかという期待もありましたが、結局家の中に入れてもらえたのはそれから1時間ほど後でした。

家の中に戻った時、父はビールを飲みながらテレビをのんびりと見ていて、わたしやむむを見ることもしません。
その父の姿を見て、父は帰ってから本当に何もしていないんだと理解しました。
わたしやむむに話を聞くこともなければ、母に何か言うことも聞くこともしていないんだ、父にとってわたしたちのことは本当にどうでもいいことなんだ…
わたしは父との間に見えない壁のような、絶対に埋まらない溝のようなものを感じました。
父にはわたしが母の暴言や暴力にさらされてどんな風に感じているのかを聞いてほしかったですし、何よりその暴言や暴力から守って欲しかったのです。
しかし父はわたしやむむに心配の言葉一つさえかけることはありませんでした。
わたしは父までわたしやむむに興味を持っていないことがわかってしまいとても悲しく、そして失望しました。


父はずっと見て見ぬフリをしていました。母の機嫌が悪くなり家庭内の空気が悪くなると、父はまったく何もしませんでした。
わたしやむむが怒鳴られている間も殴られている間も、父は見ているのに知っているのに知らないフリ、気が付かないフリをして何もしてきませんでした。父は無視を決め込むのです。
わたしが思うに、母の機嫌が悪くなった時に父が間に入ると、母の矛先が父に向くのでしょう。それが父にとっては面倒だった、嫌だったのだと思います。
だからわたしやむむを母に差し出したのです。自分が嫌な思いをしたくないから、間に入ってかばうことをせず母より弱い存在であるわたしとむむを母の暴力の的のままにすることで、父は面倒事から逃げられたのです。
父はそうやって知らないフリ、気が付かないフリをすることで直接ではなくとも間接的に母の味方をしているのです。
でも自分が直接手を下したわけではないから、母の味方じゃないという顔をしているのです。
こういう父の立ち位置は大変卑怯だと思います。
わたしはこうして見て見ぬフリをしてきた父に対して怒りを持っています。いまだにこの怒りは昇華できていません。
この怒りは「わたしやむむを守ってくれなかった」「わたしの気持ちに寄り添ってくれなかった」「母よりも強いはずの父がわたしたちを身代わりにした」「父は卑怯な人だ」という失望と悲しみから来ているものだということは理解しています。
母と同じで父を許せる日が来るとは今は到底思えません。


今回のお話は以上になります。
父が帰ってきた時にわたしから「おかーさんに外に出された、意味がわからない」「おとーさんからも何とか言ってくれ」と言えたらよかったのですが、言えませんでした。
何と言えばいいのかわからなかったのもありますし、そもそも母の日常的な「言わなくてもわかれ、察しろ」というスタンスに侵されていて、人に物を頼む方法を知りませんでした。
これが言えたらまた結果は違ったのかなとも思いますが、父のことですから「あいつ(母)はどうしようもない(だから無理)」と一蹴されて終わっていたような気もします。
そう思えるくらい、父は家族間のいざこざについてまったく頼りになりませんでした。
みなさんどうぞこの後はいちごが一粒まるまる入ってちょっと贅沢な気分も味わえる…いちごの甘酸っぱさとあんこの優しい甘さがよく合ういちご大福でも食べて楽しくお過ごしください!
最後までご覧くださり、ありがとうございました。
ではみなさん、良い1日を~!

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