見出し画像

仲良しきょうだい?‐暴力と暴言がなければ「仲が良い」と思い込んでいた話‐

画像1

画像2

むむです。

今回は自分むむのきょうだい…兄のににと姉のねねとの現在の関係について、認識し直したことを漫画にしました。

「仲が良い」は人による

兄のににや姉のねねとは、幼い頃は時々は喧嘩をしたものの、思春期頃からは若干の文句(ステレオの音が大きい、とか電気がまぶしい、といった苦情みたいなものです)はしばしばありましたが、あまり盛大な喧嘩をすることなく過ごしました。

特に害もなく干渉もお互いにそこまでしなかったので、自分はこれを「仲が良い」と思い込んでいました。

どこから「仲が良い」と言えて、どこから「仲が悪い」と言えるのか、自分でもよくわかっていません。
これはとてもあいまいで、人によって差があることだと思います。

「喧嘩をせずに干渉しない」=「仲が良い」?

自分は「喧嘩をしない」「お互いにそんなに干渉しない」ことを「仲が良い」のボーダーラインだと考えていたようです。

けれども、実家を出てよく考えてみれば、「喧嘩をせずに干渉しない」は「仲が良い」とは言えるのでしょうか…?
人によっては言えるでしょうが、実家を出て母の束縛、干渉から逃れた現在の自分から見ると、それはいわゆる「普通」「通常」…わかりにくいですね。
つまり「まったく見知らぬ他人と変わらない」ということです。

「仲が良い」という感覚はぼんやりしたものですが、一体何をもって仲が良いと言えるのか、この時まで細分化して考えたことがありませんでした。

十年近くお互いに音信不通

そしてさらに、もう十年近く連絡も取らず会っていないのは、自分むむが動かなかったからだけではありません。
兄のににや姉のねねもまた、自分むむと同じように連絡をせずにいたのです。
十年近く接触がないのは、自分むむも、兄のににや姉のねねも、その必要を感じていなかったからです。
この、お互いの無関心をもってしても、「仲が良い」と言えるのか?
現在の自分は疑問に思いました。

思わないことが表している

極めつけに、自分むむが兄のににや姉のねねについて「今頃どうしているだろうか…」と思いをはせることもまったくありません。

もちろん、兄のににや姉のねねが、自分むむのことをどう考えているかはわかりません。
けれども、少なくとも、自分は兄のににや姉のねねについて、まったくと言っていいほど心配や興味がありませんでした。
それこそ、ななに対して持つような、「元気かな」「大丈夫かな」「どうしてるかな」というような気持ちには、みじんにもなりません。

ここまでに出てきた、「十年近く会っていない」「連絡を『お互いに』取っていない」だけでは、「仲が良いとは言えない」と断じるのはまだ早いです。
それは、人によって心地よい距離が違うからです。
けれども、自分自身が、自分むむが「どうしてるかな」と思わない、ということが、きょうだいとの心の距離を何よりも表していると悟りました。

その自分の心境を自覚した時に、ようやく自分むむの「うちのきょうだいは仲が良い」という思い込みを捨てることができました。
そして、代わりに「うちのきょうだいはお互いに無関心」という、「仲良し」とは真逆の認識をし直しました。

他人の話だったら?で客観視する

認識し直すことができたのは、主観から一歩ひいて、客観視することができたためです。

ずっと「喧嘩しないし干渉しないから仲が良い」と思っていたのは、母という過干渉で暴力と暴言、劣等感と卑屈の塊のような人が家の中にいて、その人間と比べていたからかも知れません。

母と比べれば、それはもう兄のににや姉のねねの方がよほど話がわかるし、干渉はしてこないし、暴力や暴言も少なかった(出るとしたら喧嘩する時ぐらい)ので、一緒に過ごしていて平和でした。
その平和を「仲が良い」と勘違いしていたのかも知れません。

けれど、そういった生まれ育った環境で根付いた思い込みは、機会がなければなかなか捨てることができません。

今回の時は、「わが家とは違う家庭で育った」パートナーから
「十年ぐらい会ってなくて『仲良し』って言うの…?」
「『お互いに』連絡とらないんでしょう?」
「どうしてるかな~と思ったりしない?」
と質問を投げられたことで、「これ、他人の家の話だったら『仲良い』って言うのか?」と客観視することができたのです。

(パートナーは、ななとは頻繁に連絡を取るのに他のきょうだいとまったく連絡を取っていない自分むむの様子を見ていて、「仲が良い」という言葉に違和感を覚えたようです)

「十年近く会ってなくて、その間もお互いに連絡を一切とっておらず、何より相手のことをどうしてるかな?とすら思ってない」…これで「仲が良い」と言うには、かなり無理があると、この件から少し経った今でも思います。

今回使った「他人の家の話だったら?」という自分への問いかけは、自分の認識を見直すときにとても役立ちます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?