幸田露伴の随筆「蝸牛庵聯話 白磁・音楽」
唐の人で青瓷を論じた者に陸羽がいる。羽は秘色と云わなかったが、羽もまた越州の青磁を上と見て、邢州の白磁を下と見る。しかしながら、邢州の白磁もまた世に重んじられたことは明らかで、そのため杜甫にたまたま邢磁を賞する詩がある。しかし越磁を詠む詩は無い。ただし青磁や白磁が重んじられた唐の世に在って、惜しげもなく箸でもって越や邢の器を叩いて楽器とした者も在った。唐の段安節の「楽府雑録」に、「武家の朝、郭道源、よく瓯(かめ)を打つ、おおむね邢や越の瓯十二個を用いて、水をその中に加減して入れて、箸でもってこれを打つ」とある。思うに音を発する用途で器に水を入れる例は甚だ稀である。ただ古(いにしえ)に錞于(じゅんう)と云うものがあり、郭はこれによって考え付いたものか、又思うに十二個は十三個の間違いか、十二個より十三個の方が便がよいのである。我が国では下品な人などが酔って皿小鉢を叩いて、歌い騒ぐことも稀ではないが、それは音楽に成らずに終わる。郭道源は水を加減して器に入れるというのであるから、器の材質と水量と空間の比によってその瓯の発する音を定めて、十二個であればこれを音の高低順に列べ置いて、木琴などのように箸で叩いて曲を奏でたのである。悪く云えば大道芸の類であるが、郭道源がこれでもって名を遺したのであれば、さぞかし浅はかな拙いものでは無かったのであろう。道源が打ち叩いた邢瓯や越瓯が、たとえひびの入った破片などでも今の世に遺っていれば、人はみな眼を瞠って驚き視るものを、緩急強弱、意のままに音を立てて瓯を叩くとは、道源もいささか豪快な気性を持った人である。そのため飛卿詩集第一に「郭処子撃瓯歌」一篇がある。郭処子が道源であるのは間違いない。飛卿もまた善く琴を鳴らし笛を吹く。容貌甚だ醜陋で温鐘馗と呼ばれたほどであるが、自ら誇って、「糸あれば即ち鳴らし、孔あれば即ち吹く、必ずしも柯亭爨桐であることを要しない」と云ったという。柯亭や爨桐は古の有名な楽器で、語の意味はどのような笛や琴でも我が吹き鳴らせば、曲に成らないものはないというのである。傲慢もまた甚だしい。この鐘馗に撃瓯歌の一長篇を作らせたのを見れば、郭道源の音楽もまた、楽器で無いものを楽器にしたその道の古今唯一の人であるが、思うに一代の絶芸であったことであろう。詩は長いのでその中の数句を記して済ます。
湘君宝馬神雲に上り、
砕佩叢鈴煙雨満つ。
湘君は女神、宝馬は「楚辞」の湘夫人に「朝に余が馬を江皋(こうこう)の馳す」とあるのに基づき、この一句は女神の神あがりするを云い、次の句でその佩玉の金鈴が煙雨の中でささやかな音をたてることを云うことで、「楚辞」の湘君に「余が佩(はい)を澧浦(れいほ)に遺す」とあるのに基づいて、曲の初めの大層しずかに起こるところを述べたのである。
吾聞く 三十六宮 花離離(りり)として、
軟風 春に吹き 星斗稀(まれ)なり。
玉晨(ぎょくしん) 冷声 夢昏(くら)く破れて、
天露 乾かず 香り著(つ)く衣。
すべて天宮の清らかな趣きとして書き述べる。玉晨も仙界の言葉、天露も特に天の字を置く。
蘭釵(らんじょ) 委墜(いい)として雲髪(うんはつ)を垂れ、
小響(しょうきょう) 丁当(ちんつん)と雪を回(めぐ)り逐(お)う。
委墜は委蛇(るい)と同じ、即ちここは蘭の釵(かんざし)を挿した普通の顔であって、倭堕髻に関連させて説くのは却って行き過ぎであろう。雲髪は美しい髪。丁当は器を叩いチンツンという音を云うのである。飄颻(ひょうよう)として流風が雪を回らすようであるとは、曹植の「洛神賦」の語である。この詩の末には乱珠触続して正に跳蕩すなどと音を写す句もあるが、すべて象徴的な表現で句を引き立てて意(おもい)を伝えようとしているが、易しくない。今は少々このような珍しい、音楽についての詩のあることを語るだけである。
注解
・陸羽:中国・唐の文人。茶の知識をまとめた『茶経』3巻などを著述した。
・杜少陵:杜甫。中国・唐の詩人。少陵は号(名乗り)。
・段安節:中国・唐後期の人。音楽についての書「楽府雑録」の著者。
・飛卿詩集:中国・中唐の詩人である温庭筠の詩集。
・爨桐:琴の名器。
・柯亭:笛の名器。
・江皋:岸辺。
・佩玉:腰におびた玉
・玉晨:玉のような朝。
・倭堕髻:女性の髪形の一種。頭頂に髪を集めて髻を作って引張り、片側へ髻を垂らした髪形。
・縹縹:空中に軽く上がるさま。
・曹植:中国・三国時代の魏の詩人。曹操の子。
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