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幸田露伴の随筆「潮待ち草21~23」

二十一 煙草
 煙草をやめようと思うが止めることの出来ない人は多い。酒をやめようと思うが止めることの出来ない人も多い。そして皆自分の意志の弱さを隠そうとして、煙草の力や酒の力を甚だ大きいように云うが、刑務所の中にいて煙草や酒を止められない人はいない。

二十二 酒
 世の中には長生きするために禁酒する人がいる。また世間を気にして酒をやめる人がいる。共に愚かである。古い詩に「存生不可言、衛生毎苦拙。(生を存するを言う不可(べからず)、生を衛(まも)るすら毎(つね)に拙に苦しむ。)」と云う句がある。唾をのみ舌をなめながら飲みたい酒を飲まないで、頼りない身を百年二百年も保とうと思う心の中の何と汚いことか。又、「有酒不肯飲、但顧世間名。(酒有れども肯(あ)へて飮まず、但(ただ)世間の名を顧(かえりみ)る。)」と云う句がある。妙齢の女児が誰の思惑を気にするというわけでは無いが、無邪気な心を捨てて焼きいもから遠ざかるようなことで、その気持ちもまた憐れでほほえましいが、ただ酒を飲んで爛酔して親類縁者に迷惑をかける者などは、飲まないに越したことはない。それさえ他人の口から「オマエ、酒を止めろ」と云うのは、少し気の毒である。しかし、「道理の正しいことを勧めるのだから、酷(ひど)いようだが私は彼の酒を止める」と云うのなら、それはその人の自由に任せれば宜しい。傍から「君が他人の酒を止めさせようとするのは酷い」と論争するにもあたらない。酒を飲む飲まない、煙草を吸う吸わないと云うような些細な事で、その人の価値が上がったり下がったりするのであれば、その人の価値もソモソモ小さいと云うべきで、実に悲しむべきことである。禁酒するのも可(よい)だろう。煙草を止すのも宜(よ)いだろう。酒や煙草などの為に我が身をアレコレ言われないように自分の価値を高めようと励むのも宜いだろう。
 煙草のことはサテ置いて、世には酒を飲むと極めて健康に害があるように思って、非常に難しく論じる人があるが、大笑いである。智者大師の言葉に、「身あるは即ち病である」とある。身体がある以上病気もあるだろう。生まれた以上は死ぬこともあるだろう。その本(もと)を云えば酒のためではない。聚楽第(じゅらくだい)が落成した時に、「奢る者は久しからず」と貼り紙をして嘲った者があったが、その時秀吉は笑って、「奢らない者も久しからず」と云ったと云う。豪傑の一語、実に鉄の鏃(やじり)で鉄の的(まと)を貫くようである。酒を飲む者も病気になり、酒を飲まない者も病気になる。伊達者(だてもの)の薄着も風邪をひき、野暮漢(やぼかん)の厚着も風邪をひく。悟った人は酒を飲んでも可(よ)く、飲まなくても可い。それ以下の人は、餅好きならば餅を食い、酒好きなら酒を飲めばよい。一室の中にクズ籠が在れば却って紙くずなどの散り乱れも無く、一家の裏(うち)にゴミ箱が在れば却ってゴミなどの狼藉が無い。クズ籠やゴミ箱は汚いものであるが、これが無ければ一室一家の清潔は、王侯富豪でも無い限り保ちがたい。酒を飲んで太平楽を云うのは実にクダラナイ事であるが、酒を飲むくらいの些細なことさえも無しにしようとするのは、クズ籠やゴミ箱を無くそうとするようなことである。また家々の細君や子供の皆が紹鴎や利休のように清潔好きというわけでなく、権兵衛や八兵衛の悉くが律僧というわけでもないので、その望むところは高すぎ、その得るところはさぞかし思いの外のものとなろう。道理は正しくても人情に遠いことは好い結果をたらさないものである。それでなくとも凡人に禁酒を強制することは難しいだけでなく、自分もまた無理に酒を止めようとしてはいけない。煙突は気抜きである。煙突を設置しなければ黒煙がモウモウと舞って火は良く燃えない。娯楽は人の気抜きである。気抜きを無駄のように思って酒の一合さえも我慢するのは、煙突を塞ぐようなことで、鬱気(うつき)が胸を燻(くす)べて悶え愁えて、黒煙が舞って火が良く燃えないようになって、活力もやがて衰えよう。嫁の噂の捨て所には六阿弥陀詣(ろくあみだまい)りも宜いだろう。一日の疲れを抜くのに酒の一二合の何が悪かろう。生を衛(まも)ろうとして飲まない、世を顧みて飲まないなどは迷いに近い。長生きしようと思えば飲むが善い。能く働こうと思えば飲むが善い。王侯でも無い分際でゴミ箱を無くそうとするのは愚かである。石炭を能く燃やして機関を能く働かそうとするなら煙突を塞いではいけない。ただし、飲まなくても酔うことを知る者は飲まなくても可である。酒の力を借りて酔うようなことは不自由な事である。冷水(ひやみず)を飲んで、酔って快く眠るが善い。

注解
・存生不可言、衛生毎苦拙。:長生きしようなど言ってはいけない、命の維持の拙さに常に苦しんでいるのに。陶淵明の「形影神」。
・有酒不肯飲、但顧世間名。:酒があっても飲もうとせず、ただ世間を気にしている。
・智者大師:中国・南北朝末期、天台宗の僧。
・聚楽第:豊臣秀吉が京都に建てた建物。
・紹鴎:武野紹鷗、戦国時代の堺の豪商で茶人。
・利休:千利休、戦国時代から安土桃山時代にかけての茶人。
・権兵衛や八兵衛:庶民。

二十三 子
 酒飲みの子、多くは才能なく品格がない。酒はその本来の特性を適度に用いれば、人の血行を良くし気分を爽やかにする。随って聡明を増すのであるが、これを過度に用いると人の精気を減らし尽す。随って聡明を奪うのでもあるので、日夜酒に耽(ふけ)り乱酔して精気を減らし尽せば、舌はもつれ手足の筋もゆるみ、或いは心も上ずり話す声もキチガイ調子になるほどまで飲む酒飲みの子が、自然と酒の影響を受けて生まれて来るのも仕方ないことである。それほど酒を嗜むほどでもない聡明で善良な人の子に意外と好くない子があるのは、多くはその母が容貌だけは美しいが資質が劣ることによる。男の子は母の気質才徳を享(う)けて生まれ、女の子は父の気質才徳を享けて生まれると決まっていないが、十に六七までは男の子は母に似て女の子は父に似るものである。そこで、世の中の有名な人達の母を見ると多くは勝気甚だしく、夫を圧迫しかねないほどの気性の人が多く、優しくて淑やかな人は十の三四に過ぎない。験(ため)して見るが善い。好い子を得ようと思うなら、昔から云い伝わることではあるが賢い女性を妻にするべきである。しかし聡明の父と聡明の母なのに愚かな子が生まれる例も少なくない。結局のところ人間の浅はかな知恵で、美しい子を得ようと願い、賢い子を得ようと願い、貴き子を得ようと願い、徳の高い子を得ようと願うようなことは、朝顔の種を播いて思い通りの花が咲くのを願うようなことで、その中には願いが叶う道理もあり、願いの叶わない道理もあるというわけである。好い事は叶わなくとも願うが善い。願っても叶わないとして願わないのは、小賢しい分別によって自分の本当の気持ちを損なうもので、知恵があるようだが、却って愚も甚だしい。


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