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幸田露伴の随筆「折々草32」

三十二 夜半の鐘

 栗の落ち葉がカサコソと霜を飛ばし風にささやき、炉の埋火(うずみび)も弱々しくなってゆく頃、ひとり小机に対(むか)って静かに世の状(さま)のおかしなこと、人の振る舞いのあやしいこと、そして我が心の甲斐なく暗愚(おろか)なことなどを思いめぐらす時、かねて好んだ「山家集」をとって読み進めば、ある時は凍りつくような心地がし、ある時は雲を捉えたような心地がして、嬉しいとか悲しいとか云うような言葉も無いほどおもしろく思われた。まことに西行の歌は夜半(よわ)の鐘のように大層さびしく身に沁みる、と人の云ったことが少しも偽りなく感じられた。そこで私の耳に入り心に響いた歌を抜き書きし、思いついたことを記し添えて「夜半の鐘」と名付けた。(一月二十三日の夜)

  (一)
  あらしのみ時々窓に音づれて明けぬる名残りをぞ思う

 夜嵐だけが訪れた夜明けの空はどうだろう、心の塵も吹き払われて三度吟じれば、私の胸は清々(すがすが)しさを感じる。

  (二)
  雲にただ今宵の月をまかせてん厭うとてしも晴れぬ物故

 月を愛(め)でる心は、恨みの風情に含まれて、しかも雲を憎まない様子のやさしさ、世の中の辛いことに逢ってもこのようでありたいとしみじみ思う。

  (三)
  曇りなき鏡の上に居る塵を眼にたてて見る世と思わばや

 世をそのようなものとあきらめて我が身を顧みれば、世は恨むようなものでも無く、おそろしい人の眼は我が鏡の塵を払って呉れるものになるだろう。(注解、眼にたてて見る:咎め立てする。)

  (四)
  捨てやらで命を終る人はみな父のこがねをもて帰るなり

 この世の執着を捨て切れずに命を終る人は范蠡(はんれい)の息子のようだと云うこの歌は、范蠡の長男の心を詠んだものである。小賢しい心を働かせて小欲を捨てないのであれば、范蠡の長男が黄金を惜しんだのと変わりが無い。

  (五)
  雲雀立つ荒野に生うるひめゆりの何につくとも無き心哉

 精神も定まらず永い世を短い夢と過ごす、自分の身の上や人の身の上をなげいて詠んだものであろう、歌のようすも優にやさしくあわれ深く、静かに十度も吟じれば誰でも涙がこぼれるであろう。

  (六)
  有ればとて頼まれぬ哉明日はまた昨日と今日の云わるべければ

 明日があるからと云って頼みには出来ない。無常迅速刹那刹那(瞬時瞬時迅速に変化する)の世の転変をよく云い表している。

  (七)
  渚ちかく引き寄せらるる大網にいくせのものの命こもれり

 まことに大網の中も一ツの世界であろう、このような歌は西行でなければ詠めない、しみじみとした趣のある歌である。誰が大網の中の魚で無い者があろうか。

  (八)
  霞しく波の初花をりかけてさくら鯛つる沖の海女(あま)舟(ふね)

 よい俳諧体の歌である。和歌と云えばいつも決まった詩材を用いるようで不満だが、西行上人だけは他の歌詠みのような狭い心を持たないので、桜鯛なども詩材にし、鷽(うそ)や小雀(こがら)も詩材にし、鳥貝や雀貝も詩材にし、興をいつわらず情をかくさずに詠み出されるのはおもしろいが、ある人が歌詠みを嘲(あざけ)って、「歌詠みはひねくれ者なり孔雀さえ見つけてさがす稲負(いなおほせ)鳥(とり)」と笑ったが、上人はひねくれ者の歌詠みではない。(注解、稲負鳥:古歌に詠まれた秋の鳥。 稲刈り時に飛来するという。)

  (九)
  同じくばかきをぞさして干しもすべき蛤よりは名もたよりあり

 かき(牡蠣)を干し柿にかけた西行の駄洒落はさすがに可笑しい、諧謔もこれくらいなら悪くはない、よい狂歌と云える。

  (十)
  心から心に物をおもわせて身をくるむ我が身なりけり

  このようなことも実際にある、偽りない歌といえる。

  (十一)
  いくほどもながろうまじき世の中に物を思わでふるよしもかな
  我のみぞ我が心をばいとおしむあわれむ人の無きにつけても

 ともに恋の歌であるが、好い述懐の歌とも云える。恨みはこのようであってこそ憐れ深い、「嵐磯の岩にくだくる浪なれやつれなき人にかえる心は」という歌などは、好い歌ではあるが浅ましくて真(まこと)の恨みでないように聞える。

  (十二)
  世の中をそむくたよりやなからまし憂き折りふしに君があらずば
  (辛い時期に君がいなければ、仏門に入る機縁は無かった)

 もし人が怒りに打たれなければ何を以って忍辱を修めることあろうということを能く詠んでいる、思えば辛いことに逢うのは目出度いことに逢うより目出度い。

  (十三)
  よようとも竹の柱の一筋にたてたる節はかわらざらなん
  (世々を経ようとも竹の柱の真直ぐ一筋なように、一筋に立てた仏道修行の志は変わらない。)

 おもしろい、西行がこのような諫言(かんげん)を私にくれたと思えば。

  (十四)
  月すめば谷にぞ雲はしずむめる嶺ふき払う風にしかれて

 山の中に住んだことが無いので、この歌の佳(よ)さは分からない。

  (十五)
  あらし吹く嶺の木の葉に友ないて何地(いずち)うかるる心なるらん
  (嵐吹く嶺の木の葉に伴ってどの地をさまよう心であろう)

 巨霊は虚空に躍る。

  (十六)
  玉みがく露ぞ枕に散りかかる夢おどろかす竹のあらしに
  (磨いた玉のような露が枕に散りかかり夢を覚ます竹の嵐)

 夢で富士の雪を噛んで明石の浦で足を濯いだか。

  (十七)
  ませにさく花に睦(むつ)れて飛ぶ蝶の浦山しきもはかなかりけり
(籬垣(ませかき)に咲く花に親しみ飛ぶ蝶ほどうらやましいものはない)

 何かを感じた歌と思うのは間違いである。ただこういう歌である。こういう景色である。おもしろい。

  (十八)
  わずらわで月には夜も通いけりとなりへつたう蛙の細道
  (煩わしいと思わずに月夜には通った隣に伝う蛙の細道)
  夕されや檜原の嶺を越し行けばすごく聞こゆる山鳩の声
  (夕方に檜原の峰を越して行けば凄く聞こえる山鳩の声)

 隣へ伝う畦道も可笑しければ、凄く聞こえる山鳩も可笑しい。西行は荒れ鼠が何でも咬むようにどんなものでも歌にした。すずのまがき苅田のひつじなどは、笏を持って殿上で賢顔(かしこがお)する公卿達には詠めないであろう、荒れ鼠ならば猫を捨てたのも道理である。

  (十九)
  夕露を払えば袖に玉消えて道分けかぬる小野の萩原
 (小野の萩原では袖が触れると玉露が消えてしまうので道を行き兼ねる)

 情で景を写したものである。これだけではない上人の歌にはこういう類は大層多い。

  (二十)
  中々に心つくすもくるしきに曇らば没(い)りぬ秋の夜の月
(雲がかかると消えてしまうのではと気になって苦しいので、曇ったら早く山の端に没してくれないか夜の月よ)

 前に出した「厭うとてしも晴れぬ物故」というのは、雲について想(おもい)を起こしたものなので恨みながらも雲を赦し、又こちらは月を愛賞する故の愚痴なので、罪の無いものにも罪を負わせるのも可笑しい。ただし上人は反動的に強く情が働くような人であったようで、この歌の意(こころ)と同じような傾向を持つ歌は多い。修業のため遠くへ出る人が旅立ちの時、人と思いが隔たるのを感じて「いざさば幾重ともなく山こえてやがても人にへだてられなむ」と云われたことなどは、争いの状態こそ無いが恐ろしい情の動きかたが明らかに現れていると云える。

  (二十一)
  清見潟沖の岩こす白波に光を交わす秋の夜の月

 画の中の歌である。この歌に画は無い。画のようだと云ってはこの歌を貶すことになる。

  中々に時々雲のかかるこそ月もてなすかざりなりけり

 子供の口から上人の夢を語らせたような歌である。「雲おりおり人をやすむる月見哉」という芭蕉の句はこれから考え出されたものか。

  (二十二)
  雲消ゆる那智の高嶺に月たけて光をぬける瀧のしらいと
  雲晴るるおとは松にあれや月もみどりの色にはえつつ

 この二首では前のが優れている、後のは時代の臭みがある。

  秋風に穂末波よる刈茅の下葉に虫の声乱るなり
  秋ふかみ弱るは虫の声のみか聴く我とても頼みやは有る

 前のが凄い、後のは悲しい。

  (二十三)
  霜冴えて汀ふけ行く浦風をおもい知りげに鳴く千鳥かな

 西行の歌である。西行の歌と云うより他に云うべき言葉が無い。

  風冴えて寄すればやがて氷りつつ還る波なき志賀の辛崎

 かえる波なきと云う表現は巧妙である。

  (二十四)
  ひとり住む片山蔭の友なれや嵐に晴るる冬の夜の月

 月は未だ妙(みょう)でない、寒月は妙である、寒月は未だ妙でない、嵐に晴れる冬の夜の月は妙である、嵐に晴れる冬の夜の月は未だ妙でない、ただ臭気(くさみ)ある人が少なく、無心の雲が軒をめぐって、不断の楽声が渓(たに)にあるというような山蔭の庵(いおり)で、荒涼凄絶な寒夜の月を友とするに至って初めて妙である。西行の歌である。歌は佳(よ)くは無いが、私はただその風情を想いやって何となく心が浮いて、風情に惹かれ酒も忘れて、岩峙(そばだ)ち風怒る荒山(あらやま)の中に入りたい思いに駆られる。深山の冬の景色はおおよそ知っているが、籠り住んだことが無いので冬の夜の風情はいまだ知らないし、どれほど悲しいものかも知らないが、獣の檻のような都会の俗人の家よりも侘しくないと昔の人(西行)は思ったのだろう、大層おもしろい。西行などの眼から見れば咸陽の阿房宮などは、ただ念の入った獣の檻なのだろう。
(注解、咸陽の阿房宮:秦の始皇帝が首都の咸陽に建設した宮殿)

  (二十五)
  あうことを夢なりけりと思いわく心の今朝は恨めしき哉
 (逢うことは夢だと分った今朝の気持ちはただ恨めしく思うだけ)

 愚痴の極み、情の極みを云い表している。

  つらくとも逢わずば何の慣例(ならい)にか身の程知らず人を恨みん

 恨みの極み、情の極みである。

  つれなき人に見せばや桜花風に従う心よわさを

 実に優しく恨んだものである。

  一方(ひとかた)に乱るともなき我が恋や風定まらぬ野辺の刈萱(かるかや)

 美しく思い乱れたものである。

  (二十六)
  物思う心の隈(くま)を拭(ぬご)い捨てて曇らぬ月を見る由(よし)も哉
  
 よい述懐の歌である。このように思って世を過ごせば、我々は青空のように美しく一生を終わることが出来よう、神秀(じんしゅう)禅師の偈の意(こころ)か。(注解、神秀禅師:中国禅宗・北宗の開祖、その禅は「漸悟」の思想は、その偈「身は是れ菩提樹、心は是れ明鏡台の如し、時時に勤めて払拭せよ、塵埃を惹かしむること勿れ」にしめされている。)

  (二十七)
  中々に思い知るてう言の葉は問わぬに過ぎて恨めしき哉
  
 そうであれば思い知ることも無く、恨めしく思うこともないだろうが、それもまた恨めしいというのだろう、可笑しい。


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