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幸田露伴の随筆「折々草2~15」

二 土屋安親
 土屋弥五八安親(やすちか)は後(のち)に入道して東雨(とうう)と云う。彫工に優れて宗珉と並び称される。当時において最優者とは成らなかったが、百年に誇る腕前を持った英雄肌の男である。その人が或る人に与えた書中で云う、
 「何事も技を好くしたいのであれば、心中に見苦しいことの無いようにすることが第一である。細工人の一生は貧乏と心得て恒(つね)に心が汚れないようにしたいと思う」と。アアこれが東雨が東雨である所以(ゆえん)のものでは無いか。貧苦も富貴も東雨の鉄桶(てっとう)のような胸郭(きょうかく)を穿(うが)つことも切ることも出来ない。その鉄桶の中に蓄えられているものは、真に美術国に住む人だけが採って醸(かも)すことのできる美術国の花の蜜のみである。富を欲するのも心が見苦しいからである。名を欲するのも心が見苦しいからである。道に適(かな)おう善に与(くみ)しようと欲するのも心が見苦しいからである。或る人のように胸郭が海綿のよう孔が多く何でもよく浸透通過させるようでは、決して最良のものは醸し出せないのである。
 (注解、入道:頭を剃り仏門に入ること、東雨は法名。)

三 治工と仏師
 美術家も人である。なので、美術家だからと云って勝手な振舞いや恥知らずな行いをすることは許されない。しかし、人間の一人として飽くまで人間でなくてはならないのと同様に、美術家の一人としては飽くまで美術家でなくてはならないのである。それなのに美術家の一人として持つべき覚悟にまで、人間の一人として持つべき覚悟を闖入(ちんにゅう)させ雑居させて、或いは内の覚悟を追い払い外の覚悟に代えようとする者が在る。このような者は、人間一般の上から見れば毒を流すことがないので善いようであるが、実は全と片との区別がつかず、統と偏との違いが分からない者であり、美術界にとっては甚だ弊害となる者である。ましてチマチマした小笠原流のような礼式をもって、正宗や貞宗の膝をなおそうとしたり、運慶や湛慶の居ずまいを正そうとするに至っては、心得違いも甚だしい。治工は治工の膝の立てよう、仏師は仏師の座(すわ)りようがあり、たとえ神の前や仏の傍(かたわ)らであっても、槌(つち)を執り鑿(のみ)を持つ時には諸肌(もろはだ)脱ぎや大胡坐(おおあぐら)をかいて何の憚(はば)りかるところがあろう。詩人などは出来ればキリストにも教え瞿曇(くどん)にも教えるようなものである。彼等は煙草入れをブラ下げて、「不死の神丹はこの中に在り」と云って売り歩く「千金丹(売薬)」の売り子のような輩に教えられるような者ではない。
(注解、正宗や貞宗:共に鎌倉時代の刀工。運慶や湛慶:共に鎌倉時代の仏師で親子。瞿曇:釈迦の出家前の本姓。)

四 李伯時
 李伯時は初期に馬を画き後には観音を画いた。これを褒めるバカ者がいる。悲しいではないか、馬を画いた時と観音を画いた時を比較して、前の技が下手で後の技が上手なら褒めてもよいが、ただ前には畜生を画き後には菩薩を画いた画題そのものの卑高小大でもって、貶(けな)したり褒めたりするのは、馬を鋳(い)った黄金と菩薩を鋳った黄金が同じ黄金であるのを知らないで、片方を真鍮と卑(いや)しみ片方を真金と尊む女子供の分別と違いが無い。今の多数の批評家は全て李伯時に菩薩を画かそうとする人であるようだ。
(注解、李伯時:中国・北宋の文人で画家、古物収集家。名は公麟、伯時は字(あざな)、号は龍民居士。「五馬図巻」「長帯観音」「石上臥観音」などがある。)

五 心赤髪愈白

   心は一腔(いっこう)の火に似て髪は数茎(すうけい)の雪の如し
   利害相摩鑽(あいまさん)し心赤くして髪愈々(かみいよいよ)白し
   冉々(ぜんぜん)歳暮(せいぼ)の人忽ち為る行路の客。
 (心は一腔の火に似て髪は数茎の雪のようである。利害は摩擦し合い心は赤く髪は愈々白い。次々と老人は黄泉の客となる)

 この詩には何の巧処も奇処もない、却って拙処や凡処があるようだ。しかしながら私はこの詩を愛する。だが何故なのかは分からない。技量から論じれば無論価値はない。詩想から論じても別に異(かわり)は無い。なのに、漫然とこの詩を愛すのは、つまり赤子(あかご)が或る人を見て泣き、或る人を見て笑うような不思議な感情が我が胸中を充たすためか、或いはまた詩の効果が好いためか。この詩は「濬元」に出ていた。

六 当成仏巳成仏
 「汝(なんじ)はこれ当成仏(とうじょうぶつ・これから仏に成る人)、我はこれ巳成仏(みじょうぶつ・既に仏に成った人)」と菩薩戒経(ぼさつかいきょう)に説かれている。露伴はこれ当成仏、瞿曇(くどん)はこれ巳成仏、露伴はこれ当成聖人、孔子はこれ巳成聖人、シェイクスピアやゲーテはこれ巳成詩人、アア、愉快ではないか。ただ賢明な人は忍慧(にんえ・ジッと堪えて物事を見分ける力)強く、よく如是法(にょぜほう)を持つことで初めて仏にも成れよう聖人にも詩人にも成れよう、惜しいことに私は忍慧弱く如是法も持たない、羊はこれ巳成畜生、露伴はこれ当成畜生、炎口餓鬼(えんくがき・痩せ細った身体をして口から炎を吹き出す餓鬼)はこれ巳成餓鬼、露伴はこれ当成餓鬼である。男子満身の血が順流逆流半順流半逆流し、又は鬱滞して流れず、潰裂(かいれつ)して奔放飛散すべきところは、コレはこれから自分が偉くなると思う愉快と下等なものに成ると思う腹立ちが一ツになって身体の中を流れているのだ。

七 おたつ
 「皮籠摺(かわごずり)」や「七部集」その他に「たつ」と云う者の句が散見する。私がかつて作った作品の中に用いた女性の名はこれから思いついたものである。

  見るも憂しひとり住居(すまい)のたままつり
  あの中へまろびて見たき青田哉

 共に同じ人の句で私が面白いと感じたものである。それは句の面白さよりも作者の風流を解する温かい人柄を想像して面白いと思うのである。

八 同巧同曲

  戯(たわ)ぶるる蝶の重さよけしの花      尾谷
  蝶も自(おの)が重みを知らむけしの花     第楓

 共に罌粟(けし)の花を題にして同じように蝶を扱って、共にその軽いところから罌粟の花の極めて美しく極めて弱々しい何とも云えないところを表して覚らせようとする。同巧同趣であるが前後が相異なる。アア、どちらを好いと人は云うだろう、私は分からない。しかし何れも上々の句ではないだろう。

九 偶然鳥声を聞く
 無事兀坐(ぶじこつざ・何事もない中でジッと坐り)、身に病(やまい)なく胸に何物も無い時、偶然窓の外に鳥声を聞けば、その鳥の何であるかに関係なく、極めて愛らしく感じて自然と微笑が浮かぶ。このあたりの消息を考えると、鳥は人に喜ばれようとの意(こころ)もなく歌い、人は鳥の声を聞いて意味も無く笑う。詩文もまたこの場合のように人に喜ばれることがある。審美の霊感を真に具えた人以外は大抵は自己の影を詩文に重ねるだけである。それなので胃腸病者が甘いものを愛するように、遊治郎(ゆやろう・放蕩者)は色恋沙汰の光景が書かれたものを称賛し、熱のある者が塩気を苦いとするように不平家は和気藹々(わきあいあい)の光景が書かれたものを冷視する。壮士が血を愛し婦女が涙を愛するのも、つまりは詩文の裏(うち)にある真の血や真の涙を見て愛するのでは無く、自己の悪血(おけつ)や痴涙(ちるい)でもって偶々(たまたま)手にした詩文を掩(おお)って、そして独りよろこぶようなことである。そして読者は適意の文字を得、そして作者は不当の称賛を受ける。このようなことは順境の時はよいがモシ一転すれば、読者は不適意の文字を厭い、作者は不当に悪評を被る逆境になる。アア苦しいではないか。忍月や不知庵等は自己の影を基準に批評する者か、私は両氏の批評が両氏自身の境涯の影が影響している、即ち両氏の生活の有様を証拠立てる物でないことを望む。私が第一流の文学に望むところもまたそうである。ただ、批評家には最も強くこれを望まない訳にはいかない。
 (注解、忍月や不知庵:石橋忍月と内田不知庵、共に明治期の文芸評論家。)

十 芭蕉西鶴
 芭蕉は四十才前後でようやく芭蕉に成り、西鶴もまたほとんど同様。これを思えば昨今の作家の概して取るに足らないのも無理は無い。四十才より先の事だ、四十才より先の事だ。

十一 
 去る十二月二十九日、猛然と思い立つことがあって汽車に乗って直ちに名古屋に行き、年を越して家に帰ると机の上に多くの書簡がある。これ皆恭賀新年の郵便はがきである。義理は則ち尽きて情の更に汲むべきところは無い。郵便受けの中に多くの名刺を見る。彩色文藻を施した極めて美麗な、まるで芸者の用いるようなものがある。礼儀は既に足りて尚も才を名刺に衒(てら)う。ソレ年が改まるのは月が改まるようなこと、月が移るは日が移るようなこと、日が遷(うつ)るのは時が遷るようなこと、私は年賀のはがきや名刺によって辛うじて継(つな)ぐほどの薄弱な交際を快(こころい)とはしない。時にたまたま訪れる客あって、少しの酒気なく来て、何時もの通り放談細話する快とする。

十二 不読書と読書と
 今年の二月頃からは多く文も作らず書も読まず、家にいる時には花を育て竹を洗い、或いは生活に遊び、或いは樹を攀じて、半分は老人を真似て、半分は子供のようでいて、外では即ち妄りに舌鼓を打ち妄りに新知己を求めて、しばしば宴席に連なって屡々(しばしば)他の閑事に関わり、大工左官の輩や乞食貧民の徒に親しみ、髪結いを業とする男女らの雑談を聞き、職業斡旋宿、居酒屋、不潔な割烹料理店などにも入り込んだが、身体が丈夫なことと、ホンの少し人間の愚かで悲しく悪賢くて憎むべきを窺い知った他(ほか)は、何一ツ得るところが無かった。とはいえども、七月に入ってからは再び書物を取って努めてこれに親しめば、身体の倦み疲れることも無く、また以前は知ることの出来なかった趣味が、古人の文章詩賦の中から湧き出して来て、私を襲うように感じた。

十三 善人多くは孩児
 孩児(がいじ・幼児のような人)は善人に似ていると云えども善人ではない。それなので孩児は、僅かに愛するに足るだけで敬するに足りない。またもちろん学ぶに足りない。であるのに、村里の間で称えられる善人の多くは孩児だけ、無知識なだけ、無思慮なだけ、これが知識があって思慮がある悪漢が笑うところ、軽んじるところである。オモチャにするところ、コキツカウところである。そして尚、自分が知らず知らずのうちに悪を行う手助けをする者となって仕舞ったのも分からずに、自分は善を行っていると思っている者が極めて多い。悲しいではないか未だ鍛えられていない鉄のような善人、未だ煮られていない水のような善人の末路よ、一ツは使用に堪えずに捨てられ、もう一ツは自ら腐って捨てられるだけである。

十四 利休の語
 かつて隠棲する某君を訪れて閑談して時を過ごしたが、主人の彼も客の私も飾らず憚らず思いのままに、或いは笑い或いは歎きするうちに、茶碗半分の茶や一篭(かご)の果物にも甚だ味わいを感じて、小室空庭ではあるが口蜜腹剣の徒(付き合い酒の酔っ払い)がヨロケ立ちしたり足を投げ出して座ったりするようなことも無く、しかも、知って教えず思って露(あらわ)さない礼儀正しく情に乏しい交際を行う高堂広園(社交会場)よりも、大いに喜ぶべきものを感じる。因みに千利休の語に、「客と亭主、たがいの心に適(かな)うは可(よし)、協(かな)い違(たが)うは悪(あし)し、また寂(さび)たのは可(よし)、寂させたのは悪(あし)、風流でないところ却って風流、求めて風流なのは風流でない」とあるのは、流石に一道の宗匠であって面白い言葉であると云える。

十五 人を議(批評)する愚
 甲の人が乙の人を批評する、批評された者は批評されても少しも増したり減ったりしない。ただ憐れむだけである。批評した者はその人を増しも減らしも出来ずに、却って自分の学問見識の高低深浅や抱負襟懐の広狭大小を露出し、そしてまた丙の人の批評の的になる。アア、重い鼎(かなえ)を持ち上げて却って臑(すね)の骨を折るのはまだ良いとしても、一日議論して自分の愚を証明することの、また甚だしくはないか。


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