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幸田露伴の随筆「折々草35」

三十五  将棋

 人の心は動いて止(や)まないものなので、「冷静にならなくてはいけないぞ」と云われても土台(どだい)無理な話である。しかし動くに任せては、小人閑居(しょうじんかんきょ)して飲みたくなり、三人寄って三分を失う知恵(大岡裁き・三方一両損)を出すハメになる。そこを見越して馬鹿な子を持たれた聖人が碁と云うものを工夫されて、「コレ三太郎、ちょっと来な、毎日毎日クダラン遊びをするよりも爺ちゃんが面白いことを教えてやろう。」と四ツ目殺しの方法ぐらいから教えて、それから段々とコウやシチョウやセキなど難しいが難しいだけに面白いことを吹き込まれ、三太郎も大いに面白がって、今までの悪い遊びも何時しか忘れて、「お爺さん一番やりましょう。もう昨日のような手には乗せられませんよ」と二十五目風鈴(ふうりん)つきで挑戦すれば、「この頃のように凝(こ)られては、これはちょっと薬が効き過ぎて、遊びに溺れる心配も出て来た」、と頭をかきながら相手になると云う始末で月日を過ごしたが、このため三太郎の一生は後の歴史家にほじくり出されるほどの悪事も無く、ただ足りなかったようだと伝えられて済んだと云う。桀(けつ)や紂(ちゅう)なども碁などを知っていたら、盤に対(むか)っている間だけでも人の命の五ツ六ツは助かって飛んだ陰徳になったのに、悲しいことに五目並べも知らなかったようで、酒池肉林(しゅちにくりん・豪奢な酒宴遊び)などと云うクダラヌ遊びをした結果、あたら身代を棒に振って仕舞ったが、また一説には桀や紂は共に碁は案外強かったが、賭け事を好み、心のいら立ちひどく無慈悲になって、遂に天狗道(堕落した者が陥る廃道)に陥って、残忍不徳の振る舞いを重ねて天下を亡(うしな)うことになったのだと伝わる。何れにしても碁の道に正しく遊ばなかったために大難に逢ったものと見える。
 我が国の将棋は誰が考え出したものかよく分からないが、理屈は碁と同様に人心の妄動を制して途方もない人欲を治め、八十一マスの盤上に八万四千の煩悩を封じ込めるのを本来の効果(はたらき)とする。であれば、湿めやかな雨の日や静かな雪の夜などの時々に二人が対座して、勝負の瀬戸際に肝胆を砕いて先手や後手に思案の底を叩く時には、食い気も無くなり菓子皿の羊羹(ようかん)よりも秘中の田楽刺しに秘蔵の香車を摘まみ。相手は渋茶を飲みながら冷えるのも忘れて握った桂から烟(けむ)りを立たせるという有様で、風流と云うには度が過ぎる。この時の二人の心中にはただ四十の駒がそれぞれの働きを尽くし、よく仕事をして、あるいは睨みあるいは打ち、あるいは飛びあるいは突き、あるいは突然に変化して時の運を得て力を発揮し、あるいは悠然として自陣を固めて攻め駒は既に成ったと誇り、盤上入り乱れて蓮花が天から堕ち神将が雲間を駆け走る様相を見るだけで、外(おもて)を美人が通っても出て見てみようとも思わなければ、恋人から手紙が来たからといって粂(くめ)の平内(へいない)が蚊に刺されたようにも思わず、モシも大金を失っても今ここに歩が一ツ有れば、宗桂(そうけい・将棋名人の大橋宗桂)も気づかないような妙手を出してこの将棋に勝てるものを、と取引先から来た電報も脇に置いたまま封を切らず、極楽も願わず、地獄も避けず、名利や安養などの浮世の戦(いくさ)もスッカリ忘れ捨てて、蚤に食われても構わずにいる心の内は王猛(おうもう)に比べ一段と余裕があり、火の消えたキセルを咥えている趣(おもむき)は、無絃の琴を奏でるよりも可笑し味に勝ると云える。この境界の楽しさは卑しい欲の満足で得る楽しさなどとは比べられない。
 「念仏は眠気のささない時にしなさい」と尊い僧は教え、「付き合いは用事を済ませてから行うのが当然」と良師が云われたとか、人は職務の無い人は居ない。職務を済まさないで戦えば将棋に勝っても風流の謗り免れないだろう。
 盤も借り物、駒も借り物、結局は心と心の争いである。実際の戦争よりも遥かに抽象的な戦争である。ルールはあるが実は全く純抽象の争いである。確実な知の働きによる勝敗の争いである。ビリヤードのような腕前が介入する遊びではなく、甲と乙との間に差が出る人工物が勝負の一ツの要素となる遊びでは無く、即ちビリヤードや弓術のようなものでは無く、天運のような人の知慮の及ばないものの介入によって勝負が決まるような不正確なものでも無い。腕力や権力や想像力や世間力などの混入など少しも容(ゆる)さない遊びである。純粋に一ツの勝ちを目指す、考えの正確・不正確によって勝負が決まる至高至純の遊びである。ただその欠点は、考える学問が不健康なように碁やチェスと同様に不健康なことは免れず、また全くの遊びなので、或る時の交際の一助になる他はこれと云って我々に実利をもたらす点のないことである。
 碁と将棋とどちらの趣味が深いかとの問いは、琴と三味線とどちらが面白いかと訊くような愚かな質問で、将棋の趣味を深く知る人は将棋が深いと云うだろうし、碁の趣味を深く理解する人は碁が深いと云うだろう。ただし趣味の性質は大同小異なので比較してこれを説明するのは困難で、少なくとも将棋も碁も共に能くする者でなくてはこれを云うことは困難であろう。ある人が「碁の趣味は寛にして長く、将棋の趣味は烈にして深し」と云ったが、どうであろうか。
 将棋と碁はどちらの手数(てかず)が多いかとの問いもよく人がするところであるが、これもまた容易に決まることではない。伊藤看寿と云う将棋家がこの問いに対して考え出したと云い伝わる詰将棋は六百手を越えて終に敵を詰ます。私はこの頃これを試みたが半分にも至らないで眼はチラチラ頭はボンヤリとなって、眼を見開いて自失する有様であった。
 夏休みが来ようとしている。風通しの良い小部屋で主客が対座して静かに軍略を戦わせ、やまとの神仙はこうしたものと勝負を争うのも趣(おもむき)があるではないか。

注解
・二十五目風鈴つき:ここでは初心者の三太郎が先手で二十五の黒石を盤面に予め配置して爺さんと対戦しようとしている。
・桀:中国・夏王朝最後の帝。
・紂:中国・殷王朝最後の王。
・粂の平内:浅草寺の境内にある坐像、江戸の剣豪平内が人斬りの罪業消滅を願って、人々に踏みつけて貰うことを願って刻んだ石の坐像。この「踏みつけ」を「文付け」に解して、縁結びの神様にされている。ここでは石像が蚊に刺されたほどにも、恋人から付文(恋文)が来ても意に介さない・・ということか。
・王猛:中国・五胡十六国時代の前秦の宰相。皇帝の苻堅に仕え前秦の覇業を達成した賢臣。


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