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かくして床屋通いは続く

なんということだ、この記事を書いてから早3年半が経とうとしている。
連載として書こうと意気込んでいたものの、当時の私は文章を書く気になれず、あっという間に月日が流れてしまった。(他のことは書いていたものの……)

あの記事のその後はというと、福岡では本当に床屋に通い詰めていた。
「真心込めたカットの店 ドリー夢」にも実際に何回か足を運んだ。


最初は“女性のショートカットヘアー”の容貌で床屋の戸を叩いていたが、快く受け入れてくれるお店は決して多くなかった。
「うちは男性の髪しかやってないんです」と断られることも多々あった。理容室なので当たり前のことだった。
そんな中「ドリー夢」の理容師さんはガチガチに緊張しながら、人生3回目だという女性客の私の髪をなんと3時間かけて切ってくれた。
申し訳なかった。。

そんなこともありながら、どうしても床屋で髪を切りたい気持ちと、全てをまっさらにしたい気持ちが合わさって坊主という髪型をするようになった。
床屋の戸を叩き「丸刈りでお願いします!」と元気よくお願いすると、時に動揺しながらも散髪してくれるようになった。
「本当にいいの?」「こんな若いお嬢さんが坊主なんて」と言われることも多々あったが「いや、丸刈がいいんです」と頼みこむ。
女性であっても丸刈りであれば床屋はお手のもの、つまり断れない。
そうして何人かの理容師さんにとって私は初めての女性客となった。なんと厄介な客であろう。


福岡では最終的に家の近所の床屋と、前の記事にも書いていた美容室の2箇所に通うことで落ち着いた。
髪を染めたい時は美容室に、それ以外の「髪も伸びてきたしさっぱりさせたい」という気持ちの時は近所の床屋に。
最初は怪訝な表情で丸刈にしてくれた理容師のおじちゃんは通い詰めると次第に「おお、またきたね」と迎えてくれるようになり、少しだけ世間話もするようになった。
順番待ちのソファーではおじさんに混じって、ちょこんと座って本を読んでいた。店内のどこかから聴こえていたAMラジオの音はまだ耳に記憶されている。
ノーメイクで向かう床屋で、丸刈になってさっぱりした後におばちゃんが顔に当ててくれるタオルの温かさは、美容室では味わえない爽快感でとても心地よかった。

さて、そんな福岡での床屋通い生活は今年の6月末に幕を閉じた。
ワーキングホリデービザの期限が迫る中、ドタバタと8月下旬から台湾での新生活が始まった。

新しい土地に来るたびに立ちはだかる問題。
しかもここは日本ではなく海外。

髪、どこで切ろう?

バイトなどの都合で丸刈もやめていたので改めて台北での美容室探しに挑戦してみる。
ホットペッパービューティーのようなサイトは(おそらく)ない台湾、美容室だけでなくあらゆる情報源がInstagramに集中している。
インスタのハッシュタグを漁っては良さそうな美容室をブックマークし、一時期インスタ広告が全て台北の美容室になった。
だけどもベリーショートを得意とする美容室は少なくて、「良さそう!」と思ったところはカットだけで日本円約15,000円という目玉が飛び出るような金額だった。
ではGoogleMapではどうだろう。いくつかよさそうな美容室を見つけはしたものの、やっぱりなんだか気が乗らなかった。

床屋通いが日常化していた自分には、やっぱりお洒落な美容室に行く気になれなかった。

ふと思う、髪を切るというのはどういうことだろう。
生理現象として人間の髪は伸びる。伸びたら邪魔なので切る。
だけど人間は生理現象だけではなく、情緒をもっている。美意識がある。
より良く見える髪型の自分、今までの印象と違った新しい自分、髪型は自己の表層として現れるからこそ自己表現として髪を切るという体験があるように思う。
そして紛れもなく、床屋に通いつめ坊主にしていた私もそれはひとつの自己表現なのである。
そんなことを悶々と考えながら、台北という新たな土地でも生きていれば日々鬱陶しく髪は伸びていく。

ある日ふと、昔ながらの理髪店の前を通りかかった。見た目に30年以上は続いてそうな年季の入った外観。

ここだ!と思った。
やっぱり私にはこれだった。

そして台湾で初めての床屋を体験することになる。

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