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2022.05.07 SEVENTEEN「HANABI」日記

その日、確かに13人のSEVENTEENと3万人のCARATが、さいたまスーパーアリーナで言葉にならない時間と空間を作り上げ、共有していた。

5月7日の朝。飛行機で東京に向かう。コロナ以降、本当に久しぶりの東京。相変わらず景色はごちゃついていて、なんだか懐かしくて愛おしかった。
自分がこれからSEVENTEENに会いに行く実感はなかった。自分が東京へと発った目的がなんなのかよく分からない状態だった。

Twitterで仲良くなったCARATのやっかさんと上野で待ち合わせ、喫茶店で腹ごしらえしながらお喋りをした。SEVENTEENが居なかったら出会っていなかったであろう、住む場所も環境も何もかも違う目の前のやっかさんとの出会いにまず感動した。Twitterのアイコンの向こう側にはちゃんと実存があった。

上野の雨を避けるように、早めにさいたまスーパーアリーナ行きの電車に乗った。電車は乗客の9割がCARATだった。
さっきまで全く実感がなかったけど、なんだかゾクゾクした。

さいたまスーパーアリーナの最寄駅に着く。
そこには数えきれないほどの人、人、人。北は北海道から南は沖縄まで、日本全国から一同にCARATが会する約2年半ぶりのSEVENTEENの来日公演。「CARAT LANDってこういうこと?!冗談抜きでCARATで国1つ作れるのでは?!」と思うほどの人の多さただただ圧倒された。
初めて見る文化、地べたにファイリングされた大きなトレカフォルダーを広げた、トレカの交換会なんかが至るところで行われていた。
「こ………これが…………現場………………」
ここに居る全員があの13人に会いに来ているのかと考えると、しかもここに居る人だけが全てではない、彼らが抱えているファンダムの大きさに目眩がした。
いいねの数字では測れない、目の前に実際に人々がいる光景。あぁ、彼らはいつもこの人たちを見ていて、この人たちとの思い出をなぞっていたのか……

フォロワーさんや、面識のなかった人にも次々に出会う。「はじめまして」の会話。
アイコン同士、テキストのやりとりではない、心と身体を持った人と人が言葉を交わす。それぞれが持ってきた各地のお菓子なんかを交換する。
“SEVENTEENのファン”であるという共通項だけでこんなに心が開くのかと、全ての邂逅が喜びだった。
全てがあたたかい空気につつまれていた。小雨で肌寒かったがファンダムの一体感が少しだけ気温を上げているようだった。

入場の時間になる。一番人が多いゲートから入場してしまったせいか、人の波に押されてちょっと具合が悪かった。やっとの思いで会場に入ると既に入場している人たちのCARAT棒が一斉に光を放っているのが見えた。

着席する。
SEVENTEENの曲が小さく流れて、サイドの画面にはMVが映し出されている。
開演時間になる。客席の明かりが消え、曲の音量が上がる。
会場中のCARAT棒の光と手拍子を拡張されるハリセンの音が曲に合わせて熱気を増していく。今か今かと待ち侘びて、ついに幕が上がった。

遠くに見える13人が言葉通り、花になっていた。
その瞬間、涙で視界が歪んだ。

ああ、これがSEVENTEENなのか。
曲名通り彼らが『舞い落ちる花びら』だった。
人間が作り上げる美しい花。
それは初めて感じた“美しさ”だった。
マスクの中で開いた口が塞がらなかった。涙がマスクの中を流れ落ちていた。

私はスタンド席200レベル、ステージ向かって右側の方の席だった。
デバイスで彼らのパフォーマンスを見ている時には、適切な画角で彼らが画面いっぱいに映し出される。
会場ではそんな適切なトリミングはない。CARAT棒の光を背景に、当たり前に人間サイズの等身大の彼らがフォーメーションを変えながら舞い踊る。
その距離が作る彼らの小ささは、まるで遠くから打ち上げ花火を見ているような感覚だった。人間が相互に作り出すまばゆい光だった。

正直ゲームやMCでのかわいいやり取りや発言は、今はほとんど覚えていない。ただただSEVENTEENの実存を見た感動だけが心にずっと残っている。
.jpgでも.mp3でも.mp4でもない。
何の拡張子越しでもない、そこに13人の人間がいた。
無数の画像や動画やトレカで彼らの存在はどこまでも増幅して、もしかして身長5mくらいあるのでは?なんて思ったりもしていたけど、どこまでも等身大の人間だった。私達に見せてくれるさまざまな姿は、成人男性の、たった一人×13の身体に全て集約されていた。改めて、その存在の大きさ、その人間が背負う規模の大きさに打ちひしがれた。

S.COUPS
トロッコに乗って近くまできてくれた時の、ただ眺めるではない、CARAT一人一人と心を交わすように見つめる彼の愛を宿した眼差しがずっと目に焼き付いている。私は目は合わなかったけど、合っていないのにまるで心を抱擁されているようだった。こんな愛に溢れた人が統括リーダーなの、もう推す以外の選択肢はないでしょう。。

ジョンハン
意外と一番心に残っているのは声だった。マイク越しに聞いた彼の声は低くて優しくて柔らかかった。ほとんど日本語で話してくれていたので、その語感にもあるかもしれない。「シンギパンギ」「プンプンバンギ」のコールアンドレスポンスでいたずらっぽく笑う彼を見て、ああ、早く叫んでこの掛け声を完成させたいと思った。

ジョシュア
ゲームでの奇天烈な輪投げのやり方と、慈愛に満ちた笑顔が印象に残っている。ユーモアに溢れつつもやはり「ジェントル、紳士」本当にこの言葉が似合う、姿勢が真摯な人だった。ジョンハンと共にトロッコに乗って手を振ってくれた彼の笑顔は心からこの瞬間を楽しんでいるような、幸せな表情に見えた。

ジュン
もう、なんか、存在が宝石としか……トロッコに乗って来てくれた時に肉眼で捉えたあまりの美しさ。ステージからの光を右側に受けた目の煌めき。それはもう宝石としか言いようがない。同じ人間であることは確かだが、彼はどこまでも違う世界に棲む人であることを突きつけられて最高だった。

ホシ
星だった。その存在感にひたすら圧倒された。パフォーマンスでの身のこなしが凄まじかった。アンコールで花道を燃え上がるように駆けていく姿に涙が出てきた。トロッコでホランへポーズをしながら通り過ぎていく彼の姿がどこまでもかっこよかった。

ウォヌ
なんと言葉にすべきか分からない。ただやはり「休む」という選択ではなく12人と共にこの隣国に降り立ち、共にステージに立つ選択を選んだその決意にただただ涙が止まらなかった。心からの拍手を送った。
いつまでも会場中のCARAT棒の光を見つめていた彼のまなざしの美しさが何度も心に蘇る。彼にあの日の光はどう見えていたのだろうか。大滝詠一の『君は天然色』の「思い出はモノクローム 色をつけてくれ」というフレーズが浮かぶ。私達は少しでも彼の心に再び色をつけることができただろうか。

ウジ
立ち姿、佇まいがとにかくかっこよかった。覚悟の大きさからくる、どっしりとした誇りを感じた。改めて、ウジが作った曲で13人が踊り、この会場中を感動の渦に巻き込むことができるというその存在感に訳が分からなくなった。ウジの姿とその背景を一致させていく過程でめまいがするほど感動した。

DK(ドギョム)
コメントの時の一番元気な声。「”ハッピーウイルス”と言われている理由はここにあったのか」と感じるほどのまばゆい光だった。存在がどこまでも明るくて、会場中を照らす太陽のような笑顔があたたかかった。トロッコで来てくれたときの後ろ姿。その背中は大きくて、SEVENTEENを、歌を背負った、かっこいい背中だった。

ミンギュ
思わず小さく「かっけえ……」と声が漏れてしまうくらいに、とにかくその立ち姿がひたすらにかっこよかった。そして眼差しがとても誠実だった。SNSなどで見せてくれる魅惑の姿とはまた印象が違った。25歳の一人の青年、この人から様々な拡張子を通して多様で魅力的な姿が引き出されているのかという実存の実感を一番感じた。

THE8(ミンハオ)
身体が泳いでいるような、自由に会場を描きまわるような、そのまま宙に浮かびそうな、音楽を身体の動きに変える人。CARAT棒の光をキラキラの眼差しで受けて自由に身体を動かす様は、心からこの瞬間を共に”感じよう”とするような、そんな体の動きがとても印象に残っている。ミンハオはどこまでも表現者だった。

スングァン
まばゆいほどの光、はじけるような可愛さ、正真正銘の“アイドル性”を感じた。話してくれた日本語がほとんど食べ物の名前だったところから彼の素直さを感じて微笑みとともになんだか愛おしさで涙が出そうになった。自然とメンバーや古家さんをフォローするような心遣いも、いつも見ている彼の姿そのままだった。ゲーム中必死にジェスチャーする姿に「彼こそが光」を感じた。

バーノン
花道を一人で歩きながらずっとずっと手を振っていた姿が何度も思い出される。言葉では多く語らないが、CARATと共にあるこの時間を心から喜んでいると感じるような彼の愛情表現が胸を打った。そしてパフォーマンスでのダンスと声は異彩を放っていて、世界にはこんなにかっこいい存在感をもった人がいるのかと、世界の広さを感じたようだった。

ディノ
もう、とにかくスーパーダンサーだった。ホシと共に、でもホシとは違う、ディノの魅力をダンスの端々から感じた。ステージ上での輝きは際立っていて、その美しい身体の流れに目を奪われた。トロッコで来てくれた時に見た、彼の後ろ姿、Tシャツから覗く腕のたくましさに“プロ根性”を感じた。


実際に見たSEVENTEEN。
それはどこまでも私の、私たちの心の深い部分に寄り添ってくれる、どこまでも遠い存在だった。
その存在の遠さを実感すると共に、愛があれば距離が・存在が遠くてもここまで人の心に入ってくることが可能なのかと知らしめる存在でもあった。

コロナ禍でファンになった新参者の私は、これまで「でも実際に彼らを見たことがないから…」と、自分が彼らの実存を知らないことで、語る上でもどこか現実味に欠いたような感覚があった。でも実際に見て思う、彼らはいつも見ている彼らとなんの遜色もない、ありのままの彼らだった。


SEVENTEENとCARATが作り上げる会場の空気感を感じながら「ああ、本当に嘘がない人たちなんだな」と感じた。
それは単に“ギャップがなかった”以上の、言葉では言い表せない感覚的な絆の強さを見たからだ。メンバー同士の絆の強さからにじみ出る、誰にも真似できないような特別な空気感。それがCARATにも伝染し会場中がどこまでも感動的な魂の光に包まれていた。

一言で言うと、SEVENTEENとCARATは「相互関係の愛」だと思う。
オンラインでもこれまで私はずっとそう思ってきたし言ってきた。オンラインでも十分すぎるほど「愛」は伝わっていた。
ただ、それを自分も会場で体験することで、その「相互関係の愛」が目に見えたような、確認できたような時間だった。

3万個のCARAT棒を持つ手には、3万人分の人生があり、SEVENTEENがSEVENTEENとして生きる人生との交差点が3万人分あるという2022年5月7日の目前の光景。
それが綺麗な光の海を作り上げる。
それはただの光ではない。3万人分の人生の輝きだ。
でも光の数は3万には見えなかった。どこまでも拡張して、300万、3000万……もっともっとたくさんの光に見えた。
それは席数の限りによって今回行けなかったCARAT、様々な都合で行くことを諦めたCARAT……そんな、今日この場にはいないCARATとも共にある魂のようにも見えた。
ああ、多分彼らには伝わっているな、と思った。
ここにいないCARATの思いまでちゃんと、ちゃんと伝わっていたと思う。

今回様々な偶然により会場に行くことができた私だが、やっぱりSEVENTEENを目の当たりにすることは何にも敵わない特別な時間だった。
なんだか悟りの境地にきたような、そのくらい多幸感に溢れた時間だった。
自分の周りには「HANABI」に行くことを「ご本尊を拝みに行って参ります」と話していたのだが、本当にご本尊だなと思った。
これ以上望むことがない状態。もう私はなにか彼らに望むものはなく、到達点にきてしまったかもしれない。
代わりに、彼らについて語る言葉を棄てた。彼らの尊さはもう、私の言葉では語り得ないなと思った。
そのくらい大きな体験だった。
(そんな言うとるけどまたTwitterでうるさく喋りよるやないかい)

大きいライブも、小さいライブも、コロナ前まで私は幾度となく様々なライブに行った。もう数え切れないが、全部合わせると300回以上は行ったんではないだろうか。
なぜそんなにまでライブに通っていたのか。それは現実逃避のためだった。
だからこそ毎回ライブの翌日からの日常は絶望で、その絶望から抜け出すためにまた次のライブの予定を入れていた。その結果ほぼ毎週何かしらのライブに足繁く通っていたような時期があった。ハレの日がほぼ日常化していた状態だった。
今回のSEVENTEENの「HANABI」は今までのそれらとは全く違った。
「HANABI」後の日常へ向かう勇気を、元気を貰った。
これまでの様々なライブが現実逃避だとしたら、SEVENTEENは現実をまた頑張るためのハレの日、だった。

先日ワールドツアー並びに日本のドームツアーの情報が解禁された。
もちろん彼らの音楽を、パフォーマンスを、実存を、再び己の身体で体験しに行きたい。
でもなんだか、あのたった6万人しか入れなかった彼らの2年半ぶりのオフライン公演はもっともっと沢山の、今回行けなかったCARATにまず行ってほしい、そんな願いが真っ先に芽生えた。
ありあまるSEVENTEENのエナジーを、もっともっと沢山のCARATと共有してほしい。
そんな充足感とともに、また私も応募をするのだけど、今回お会いできなかったCARATとの邂逅を、まだ見ぬCARATとの出逢いを、そしてその全員と共にSEVENTEENとの相互関係の愛をまた会場で築けたらと考えるだけで日々を頑張れる。
そう思わせてくれる、かけがえのない体験だった。

人生の中でとても強く思い出に残っているライブはそう多くはない。狂ったように様々なライブに行っていた人間だが、それでも本当に心に残っている瞬間は片手で数えられるくらいかもしれない。
でもこの「HANABI」は私の人生においてとても大切な、思い出に残った日になった。

改めてSEVENTEENの皆様、隔離期間もまだあるような状況の中でもこうして日本に会いに来てくれて本当にありがとうございます。
CARATの皆様、私と出会ってくださって本当にありがとうございます。
SEVENTEENを好きになってからのこのご縁を全て抱きしめてまた日常を頑張っています。
そしてまた現場でお会いしましょう。


最後に。
5月7日、私の住む街福岡では「さらけだすzineピクニック」というイベントが行われていた。私も参加予定だった。
「ピクニック」という名前の通り公園の芝生でzineを広げて読み合って販売し合うイベントなので天候に左右される。もともと4月に行われるはずだったこのイベントは、天候によって5月7日に順延された。
私は、友人の世菜さんと共に「推しとは?」という問いに向き合うzine『推察』を作っていた。今回はこのイベントでその2作目『推察の推察』を出した。前作では世菜さんは全く別界隈だったが、今回私の布教が実を結び、2人ともSEVENTEENという共通の対象を通じた自分の内面について向き合ったzineを作った。
そんな大切な機会を、世菜さんに任せてしまった申し訳なさがある。
そしてイベントでは沢山の人に私達のzineを届けられたという報告を受け、本当に感謝しています。
ドーム、一緒に行こう。
そしてその反射でまた私達は何かを生み出すかもしれないね。

SEVENTEENにハマってから約1年。まさが自分が彼らについて何万字も言葉を綴りzineを2冊も出し、そして落ち着く兆しが見えないような状態からまさかこんなにはやくオフラインが実現してしまうなんて、思ってもみなかった。
SEVENTEENは、「推し」は、そして世菜さんをはじめとする友人たちは、「さらけだすzineピクニック」は、この1年で私をどこまでも変え、成長させてくれた。
ありがとうみなさん。愛しています。


Twitter @mahua6_oishi

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