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「祇園祭 3年ぶりに鉾に乗る」-若旦さんの単純な散文#15

歴史上、数えるほどの巡行中止を経て3年ぶりに再開された「祇園祭」
その前祭巡行の先頭を行くのが長刀鉾で、私は当日その上に囃子方として乗り込んでいた。

7月17日は前日までの予報が嘘のように晴れ渡っていて、鉾を彩る金細工は日に照らされて、まるで3年間の憂さを晴らすように、これでもかと言うほどに煌めいていた。

梯子をつたって、まず囃子方が鉾に乗り込み、その後、強力さんに担がれたお稚児さんが鉾に乗り込む。頃合いで「ポンッポンッ」と言う太鼓の音を合図に囃子が始まり、掛け声に合わせて鉾が動き始める。
昔から何一つ変わらない祭りの風景がそこにはあって、3年やっていないと言う事実が嘘のようにも感じられた。

幸い、巡行中は一粒も雨は降らず。
時折心地よい風も吹き、まさに巡行日和の天気であった。
「お稚児さんのおかげやなぁ」と皆、口々にそう言っていた。

思うにこの3年間は、「祭りの本質」を見直す上で、必要な時間だったのかもしれない。囃子の練習も今年は例年より非常に厳しかった。
しかし、それはただ厳しいだけでなく「囃子を美しく正しい形で後世に残す」その義務感に由来するもに他ならない。

2年間という期間は短いようにも感じるかもしれないが、普段、囃子に触れる機会が少ない人間にとって、忘れるには十分な時間がある。

長刀鉾には現在20曲ほどの祇園囃子が伝わっているが、そのうち数曲は近年復興された曲、そして未だに復興されていない曲も数曲残されている。

今年、復興された"鷹山"は200年かかった。
山鉾を復興すると言うのは単に鉾を建てるだけではなく、囃子はもちろん、儀礼の何から何までを寸分違わず再興しなければならない。
そのご苦労と復興の喜びは如何ばかりか。
一度失ったものを取り戻すのは、失う以上に時間がかかる。

祭りにご縁をいただいて21年。囃子方に入って20年目という、個人的には結構節目の年で、囃子方も人事で代替わりが起こり、いろいろなところで時代の変わり目にいる。そんな風に思うと同時に、未来永劫続く祭りの歴史から見ればほんの刹那でしかない。
それでも、その刹那がなければ、祭りは徐々に変質し、そっくり違うものに変わってしまう。

預からせてもらっている身としての緊張感と誇りを持って、各々がその時その時の役回りをしっかり果たし、また来年も、そして、そのまた次の年も。後世に祭りがより良い形で伝わるように。祈りながら。

出発前の長刀鉾を正面から望む_筆者撮影R4.07.17


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