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[78]起雲閣の春 三句

豆桜ゆがみガラスに映す古今ここん
赤青の棟に連なる豆桜
花びらを追って水面に春揺れる


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久しぶりの遠出だ。海沿いの美しい景観と温泉で有名なこの駅を訪れたのは何年ぶりだろうか。朝の通勤時間帯を少し過ぎていたが、大きなスーツケースや旅行鞄を携えた人々でにぎわっている。改札を出て目的の美術館に足を向けると、人も車もほとんど見かけなくなった。朝の清々しい空気が、穏やかな春の日差しを浴びて徐々に緩み始めている。こじんまりした温泉宿やカジュアルなホテルが肩を寄せ合う細い路地を歩く。咲き始めた桜やスミレを眺めながらの散歩は心地よい。
午前中は、国宝を多数含む貴重な美術品の展覧会をたっぷりと楽しんだ。静かで清潔で整った空間で時空を超え作品の世界に浸る。満足のため息とともに美術館のエントランスを出た時には、すっかりお昼を過ぎていた。
空は春霞にけむり柔らかい光を湛えている。なんだか頭がぼんやりしている。少し、こちらの世界に自分を馴染ませたほうがいいかもしれない。ランチタイムには間に合うだろう。目的のレストランまで散策を楽しむことにした。

今朝降りた駅に戻る。旅行者と思われる人々で朝より更に賑わっている。駅からのびるアーケード街の手前で、私は少々気持ちを引き締める。私は人混みがあまり得意ではない。人混みを滑らかに進むことは、私にとって非常に難易度の高い課題だ。高い集中力をもって物と人の配置を観察し状況を把握する。そこから人々の動きを洞察して最適なルートを想定、それに対応した指示を脳が身体へと発する。その指示に従って必要十分でかつその場に相応しい自然な運動を行い進行方向及び歩行速度を変える。私には、私以外の人々がとても器用に見える。彼らは家族や友人と談笑し飲み食いしながら、呼吸をするようにごく自然にそれを行っている。
観光客は多い。ゆるゆると下るアーケード街は、その入り口から出口まで見渡せたが、容易なルートは見いだせなかった。随時開拓するしかない。現実に馴染まない心身のままぼんやり歩くわけにはいかなかった。お昼時の活気もひと段落し、通り全体が心なしかのんびりとくつろいでいるようではあった。おかげで人々の動きは緩やかで、予測しやすく急な対応も不要だった。自分の生活圏にはない光景を楽しむ余裕さえもって通り抜けることができた。私は徐々に現実に馴染んでいった。そして微かな達成感に満たされた。
いや、もしかしたら。
あるアイディアがよぎった。現実に馴染み切らない状態だったからこそ、そこに馴染めたのかもしれない。

華やかな駅前商店街を抜けてしばらく歩くと、商店街は地元の方も多く利用する昔ながらの懐かしい雰囲気に変わる。古い街燈や看板がかえって新鮮で目新しい。再開発の及んでいない変則的な道路や地名も興味深い。疲労で重くなり始めていた足も軽やかになってくる。

せっかくなので、昼食の後行く予定の美術館の位置も確認しておこう。そう思って脇道に逸れると、通りの雰囲気が変わった。道の右手に、武家屋敷を思わせる重厚な瓦屋根の架かった門とそれに続く土塀が現れた。その向こうには歴史のありそうな日本家屋の一部と手入れの行き届いた庭木が垣間見えた。手前の道の先は海に向かって開けている。さっきまで歩いていた雑然とした商店街がまるで嘘のような、急に落ち着きと解放感のある優雅な別荘地の顔を見せる。

その門に掲げられた扁額には「起雲閣」という文字が浮かんでいた。大正時代、海運王と呼ばれ政財界で活躍した名士の別荘として建築されたそうだ。その後、持ち主を変え増改築を経て、旅館として文豪たちに愛された。今は歴史的建造物として保存され、一般に公開されている。私は予定を変えた。

遅い昼食の後、再び私は門の前に立った。
風格を感じさせるその門の先には涼し気な銀青色の石畳が続いている。その緩やかな曲線の先に誘われるように一歩踏み入れると、通りの喧騒と暑さが遠退いた。自然と話声をひそめたくなるような、静かで落ち着いた空気が満ちている。私は入り口で靴を脱ぎ荷物を預けた。
本館は伝統的な和風建築だ。まず、中庭に面した二間続きの座敷に入る。三方を畳廊下と窓ガラスに囲まれたその座敷には明るい陽射しが溢れ、はっとするほどの解放感に満ちている。枠の細い大ぶりのガラス窓の連なりとその窓越しに見える美しい中庭は、一幅の屏風を思わせる。それが絵のように見えるのは、そのガラスの微かな屈折のせいかもしれない。当時の職人が一枚一枚手作りしたそのガラスは「大正ガラス」、別名「ゆがみガラス」と呼ばれるそうだ。手作りゆえに現代のガラスには見られない微妙なゆがみが生まれる。その表面のゆがみが微かな陰影を与え、その向こうに見える庭園の美しさと相まって独特の魅力をみせている。
中庭を何組かの見学者が散策している。学生だろうか、パーカーにジーンズといったカジュアルな服装の若者数人が、ちょうど見頃を迎えた豆桜を背景に、ポーズを微妙に変えながら熱心にスマートフォンで撮影し続けている。その手前には彫刻のように隙なく美しく剪定された赤松が枝を広げる。枝の赤と葉の緑の対比が鮮やかだ。その枝の向こうには、優しくつつむように柔らかく霞む春の空が輝いている。それらすべてが、一枚のガラスの中で微かに歪みながら春風に揺れているのだった。

座敷を出て廊下を奥へ進むと、少々ぎこちなく屈折した一画を経て別館に入る。別館は洋館だ。ローマ風浴室、アールデコ調の美しいサンルーム、英国チューダー朝をイメージした石造りの暖炉が静かに存在感を放つ居間。多種多彩な様式の部屋が隣り合っているのに展示会場のような白々とした違和感を感じさせないのは、見せかけでない本物の素材と細部にまで行き届いた美しい細工と装飾の本物の技術の存在感がそうさせるのだろう。また、ところどころに垣間見える和風の意匠や様式が、すべてをゆるやかに取りまとめているからなのかもしれない。文化も技術も宗教もおおらかに受け入れながら自分の一部にしてしまう、そんな日本らしい包容力と闊達な個性が、大正ロマンのエキゾチックな雰囲気を感じさせ独特の魅力になっているのだろう。

中庭を散策する。先ほどまで見学していた本館や別館などの複数の建物や渡り廊下がぐるりと取り囲んでいる。ゆるゆると登る飛石を踏んで築山の頂上に至ると庭と建物が一望できる。池の水はこの裾野をなぞり棟々の窓の下を巡っている。こうして外から見ても、代表的な形式の日本庭園を前に日本家屋と洋館が混在している様は、雑多のようでいて独特の活気と調和を感じさせる。
庭の多くを占めるまだ若い芝生の早緑色をツツジや赤松の濃緑色が縁取る。目を上に転じれば青灰色の瓦が葺かれた棟の向こうに赤茶色の洋瓦を葺いた棟が連なる。その軒下には更に、淡紅色の豆桜が連なる。

ところで、この庭に植えられている桜が「豆桜」という品種だということは後で知ったことだ。
花の色はソメイヨシノよりわずかに赤みを帯びているだろうか。少々枝垂れて池にかかる風情のある枝ぶりは、若木のようには見えないが全体的に小ぶりで可憐な様子だ。豆桜というらしい。あまり大きく成長しないので、当時、このような庭園に好んで使われたそうだ。職人の美意識を感じる。
見頃の豆桜を見上げていると、花びらが枝から離れた。軽やかに空気の滑り台を乗り換えながら、やがて足元の飛石や苔の上にそっと着地した。そして池の水面にも。水面が微かに揺れ、映していた景色が歪んだ。そしてまた景色が戻った。その面は池の端の庭石を、赤松を、豆桜を、和洋の棟を、そして春霞の空を何度でも何度でも映していた。

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