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[77]春の坂道 三句

坂登るスミレの列に励まされ
坂道や初音登りて花ひらく
九十九つづら折り登りゆくほど開く春


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観光客で溢れる駅を背に山側へしばらく歩くと、駅前の喧騒が嘘のように静かな坂道に出た。斜面にへばりつくような細く蛇行する坂道だ。
平日の午前中のせいだろうか、それとも不便な道のせいだろうか、人も自動車もめったに通らない。それでも自動車がすれ違う時には片方が止まって待たなければならないかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら、坂道を歩き始めてしばらくすると、後悔が微かに滲んだ。はじめはゆるゆるとした上り坂だったが、じわじわとその傾斜は急になっていった。
一時間程度なら問題なく歩く自信があったけれど、五分もしないうちに呼吸が荒くなってきた。ジグザグの坂道の折り返し辺りでは、目の前に道が迫るようだ。手で膝を押すようにして、勢いをつけて一歩一歩進んでいく。

ここは古くからの温泉地だ。
海に面し山が迫るこの地域は、その景色の美しさと山海の幸と湧き出る温泉とで有名だ。この、建物を建てるには不便そうな急な斜面にも、様々な宿泊施設や別荘がひしめいている。若者向けのカジュアルなホテルから石垣に侘びた風情の数寄屋門が迎える奥ゆかしい温泉宿まで。

迫るような斜面をにらみながら手で膝を押してカーブを登っていくと、そのカーブした歩道沿いにスミレが列を成して咲いているのが目に入った。沿道でランナーを応援するようなその可憐な様子にふと笑みがこぼれる。地面ばかり見ていたことに気が付いて顔を上げると、少し先の側溝のふたの隙間から湯気が上がっている。よく見ると、山側の建物と建物の間に人が一人通れる程度の薄暗く急な坂道が奥に続いている。その先に小さな火の見櫓のような塔が見えた。温泉塔だろうか。その小さな塔のてっぺんから湯けむりがのぼっていた。地元の方のための共同浴場のようだった。私はなにやらこの温泉街の日常を垣間見たような親密な気持ちになって元気が湧いてくる。

カーブを登り切って折り返すと、一気に視界が開けた。
春ののどかな午前中だ。ところどころに咲き始めた桜を配した温泉街の建物と、その向こうに春霞に霞んだ空と海が柔らかな光を湛えている。山側に目をやれば、やはり咲き始めた桜が枝を山の深い緑を彩っている。その枝先とその先の山と空の鮮やかさに目を細めていると、どこかでウグイスが鳴いた。それは軽やかに鮮やかにそれでいて柔らかく、あたりに響き渡り、そして山に沿って天へ昇って行った。
その景色を吸い込むように、私はしばらくそこに佇んで、深くため息をつき光を空気を味わった。

顔をあげて、私は歩き始めた。
相変わらず傾斜は厳しい。特に折り返しのカーブでは顔をあげる余裕はない。しかし、足元にはスミレやタンポポが咲いている。顔をあげれば、温泉宿の庭先に遅咲きの紅梅がモクレンがコデマリが咲いている。さらに、見上げれば桜がミモザが咲いている。その先には、春霞のやわらかい光を湛えた青空が広がっている。この坂道の春は、登るほどに開いていくようだ。

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