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アクセンチュアを辞め、SDGsコンサル入社時のエッセイ

下記は私の前職、サステナビリティに関するコンサルティングを行う「SDGパートナーズ有限会社」に入社する際に入社課題として提出したエッセイです。『SDGs思考』※という同社が出版したベストセラー作品を読んでの感想と思考をまとめたものです。

自分の社会に対する課題意識、過去から現在に至るまでの世界や歴史の捉え方、そして今後の世界について想像を巡らせています。特に<力の原理>の部分からが自分の伝えたいエッセンスです。

高評価をしてもらい無事入社することができたので、せっかくなので共有し、できれば感想、ご意見、反論等もらいながら議論したり、思考をブラッシュアップできればと思います。

※同書は「SDGsとは何か」「どういった考え方を持ってSDGs取り組めばいいのか」など本質的な内容が詰まっているので、初心者から実際にビジネスで取り組まれている方まで読みやすくてオススメです。

7000文字もありますが、かいつまんで読んでくれたら嬉しいです。



『SDGs思考』を読んで
2020/12/18
松本洋一
 

自分のこれまでの課題感とモチベーション

私が貴社で仕事がしたいと思う理由は私が学生時代に抱えていた矛盾と課題について、正面から解決しようとしている会社であるからである。私は学生時代に考えた以下の事項により、SDGsを企業へ本質的な部分から改革していくビジネスに関わりたいと考えている。
①  NGO職員の収入の低さを目の当たりにして、「人を幸せにしようとしている人がなぜ報われないのだろうか」と強く感じた。一方多くの企業ではCSR活動等を推進するものの、PRのための活動に過ぎず、本質的なものになっていないこと、むしろ企業活動は世界の歴史で見ると搾取の構造の上に成り立って来た事実に苛立ちを感じていた。自分は自己犠牲ではなく、お金を稼ぎ自分の幸せを叶えながら世の中のために生きていきたいと思った。なので、まずはビジネスを学びお金を稼ぐ仕組みを知り、お金を稼ぎながら世界へ貢献していく方法を模索しようと思った。
②  ピースボートをはじめとした多様な経験を経て、「自分一人では無力であるが、世界は隅々までつながっており、消費行動をはじめとして、一人一人の行動の変化の連鎖で世界はよくできる。」という確信を得た。とりわけ資本主義社会の中で企業の果たす役割は大きく、企業の変化が世界を変えていくことは明白だった。そういった事実を伝えていく人になりたいと思った。
 
①、②の経験からビジネスを学びお金の回し方を習得し、メッセージの伝え方を学ぶためにサラリーマンになる事を決めた。また、世界中の人は経済活動やビジネスを行っており、また日本人の大半はサラリーマンであるのだから、その人々の価値観を理解した上で伝えていく事が必要と考え、そのためにもサラリーマンになるのがベストだと思った。
やはりサラリーマンになると日々の業務に忙殺され、国際協力に対する意識は遠のく。2年目には市民活動PJT(CSR業務)に100%稼働で半年間かかわり、興味深い経験や、社内外含め多くの素晴らしい方々に出会う事ができたが、実際には会社の大半のリーダー層の意識としては、まだまだそのような活動はコストセンタ(利益を直接生まない活動、補助的な要素)であり、評価をしてもらえていない様子を感じた。結果的には就職活動時の狙いには沿っているが、サラリーマンの価値観を垣間見る事ができ、社会活動とビジネスが繋がっていくイメージと可能性を学んだ反面、その困難さを感じる事ができた。
 
そのような自分自身の現状の中、今回本書を読み、今後の世界への希望と、私が抱えていた課題の解決への道しるべを示していただいたように思う。
利益の最大化と社会善という企業の大義とSDGsをつなげ、「六方よし(「売り手よし、買い手よし、作り手よし」という三方よしに加え、「世間よし、地球よし、未来よし」を加えた、同書著者田瀬和夫氏が創作した概念)」という言葉で表現したのは理に適いつつも、日本的でとても素敵な概念だと思った。そしてSDGsは新市場と捉え、その新党圧力がサプライチェーン全体へ行き渡る事、ESG投資をはじめ社会の仕組みがSDGs達成に向けて動き、企業は戦略的にSDGsを取り入れる必要がある世界が形成され始めている潮流に期待を持つことができた。著者はSDGsを経営理念やコアコンピタンスのという深い部分から捉えなおす本質的な企業変革と向き合い、それを「時間的逆算志向」「論理的逆算志向」「リンケージ志向」というとても明確で実用的な3つの思考法で戦略を示している点に感銘を受けた。無力ながらにも自分が向かいたいと考えてきた方向には、先人達がいてくれて、そういう世界を既に創り始めていることに希望を感じ、また自分もそこへ早く関わりたいというもどかしさを感じた。

<力の原理>


著者はSDGsが想起する未来の社会像について、「世代を超えて、すべての人が、自分らしく、よく生きられる社会」と表している。人々の「Wellbeing(よりよく生きる)」が達成される世界とは、いいかえれば「よりよく生きようとしている人間がよりよく生きられる世界」だと思う。ではなぜ今までその世界が実現しなかったのだろうか。これは冒頭の①で述べた学生の時に感じた「人を幸せにしようとしている人がなぜ報われないのだろうか」という問いと重なる。
 
歴史を振り返ると、生物は生存のために常に「力の原理」に従ってきたと言える。「力の原理」とは生物の生存戦略の中核をなす力、つまり他に打ち勝ち、生き残るための力の物差しの種類を現しており、それぞれの生物の関係性を決めるものと定義する。
「力の原理」のうち、最も古くから存在しているものは「暴力の原理」だと言える。生態系はよく「弱肉強食」と表されるが、物理的に大きな肉食動物が草食動物を捕食するという以外にも、毒を使ったり、威嚇をしたりして、厳しい自然界を生き延びようとする原理は「暴力の原理」と捉える事ができるだろう。人間が頂点となって以降も、人類の歴史では、人間は「暴力の原理」(武力)によって階級や、権利・権力、所有、幸福の基準を定めてきた。
その一方で貨幣の登場により、「暴力の原理」に追従する形で、「金の原理」も古代から支配的になってきた。
人類が文明を築き上げて以降の長い歴史ではこの「暴力」と「金」との2つが中心的、支配的な力の原理であったと言えるだろう。
20世紀の原爆の登場により、“それを使ったら使用した双方を滅ぼしかねない”ある種の「暴力の原理」の限界に到達したのだと思う。その「核の傘の下」で冷戦終結後以降、人々は徐々に傘の存在すら半ば意識しなくなり「金の原理」が支配的になっているのが現代社会だと言えると思う。
更には20世紀末~21世紀には情報革命が起こり、情報やデータが大きな力を持つ「情報の原理」が台頭し、GAFAを代表とするようなビッグデータを持つ企業が優位に立ち、「情報の原理」が「金の原理」をも飲み込んでいくような社会になりつつある。
 
これら一連の変化は素晴らしい発展の歴史であり、『暴力と人類史』の著者であるスティーブン・ピンカーが「長い歳月のあいだに人間の暴力は減少し、今日、私たちは人類が地上に出現して以来、最も平和な時代に暮らしているかもしれない」と言っているように、物理的な暴力ではなく、お金や情報という力が支配的になったことによって人間の苦しみはどんな時代より少なくなっていると考える事ができるであろう(その他家畜や自然界の生物を視野に入れ始めると別のことが言えるが)。
しかし、人間の理想は更に上を行き、満足はしない。改良化されてきた力の原理の下でもやはり、著者がP290でトマ・ピケティの『21世紀の資本』を例示する通り、「富める者はより富み、貧しい者はさらに貧しくなっていく」という格差の問題が存在し、人間の苦しみは続いており、最大多数の最大幸福のために、人類は次のステップへと向かう。
ではなぜ人間はその方向へ向かおうとするのか。その理由には歴史の中でずっと横たわってきたが支配的になれなかった「愛の原理」の存在があると思う。ここで定義する愛というものは思いやりや慈しみであり、人間に道徳や、倫理を与えてきた。「与えよ、さらば与えられん」とするプラスサムの原理である。歴史的には他の力の原理と癒着しながらも主には宗教のようなものが支えてきた力の原理であると思われる。
 
そしてSDGsの「世代を超えて、すべての人が、自分らしく、よく生きられる社会」という理想はまさに「愛の原理」を表したものであると言えるが、なぜその社会が達成されてこなかったのかという冒頭の問いの答えとしては、この「愛の原理」はこれまで人に希望を与えてきたものの、目に見えず数値化もできないこの力は、他の現実的な力の原理に打ち勝つことができなかったからであろう。人類は「愛の原理」に期待し、信じては、裏切られ、また信じては――。というような歴史を繰り返してきたと見える。
「愛の原理」は著者の本書冒頭の言葉も借りると、人類が長い年月を超えて「つなげてきた普遍的な価値」であると言える。そしてSDGsは紡がれた人々の思いが明文化されたものであり、まさに「人類の生存戦略の一つの到達点」であり、現代にきて「愛の原理」が世界の中ではっきりと頭角を現し始めている証拠だと考える。社会がSDGsを目指す事は、人類の積年の夢へ近づく偉大な一歩であると捉える事もできるし、人類の発展の流れとして当然の事と捉える事もできる。
 

<ジブンゴト化と企業・テクノロジーの役割>


しかしながら、地球の様々な課題やSDGsについて、自分の人生の重要な課題として捉えられている人間はごくわずかであり、人々がいかに主体的に課題や目標を意識し、ジブンゴト化できるかは大きな課題である。
そこで資本主義経済の中で、最も人々を動かしうる企業というアクターが大きな役割を果たす。企業はヒト・モノ・カネといったリソースを効率化させることが得意である。人々は企業を作り、属し、それを通して経済活動をしている。著者の示すESGの潮流、SDGsの浸透圧によって、否応なく人々は経済活動する中でSDGsや地球課題と触れ、始めは半強制的にその課題・目標への努力を受け入れる。しかしやがて思想は揺るぎない道徳や倫理となりうる。まさにP209で挙げている「社会課題の評価プロセス」のような順序で、人々はSDGsをジブンゴトにしていくことができそうである。
 企業活動のこれまでの仕組みでは企業の成果は主に資本家に還元されてきたが、その還元先が資本家から全てのリソースへと展開されていく時代といえる。
企業は「金の原理」の中で最も効率よく力をつけるための機能、NGO等の非営利組織はその他の原理を利用しながらも「愛の原理」を実践してきた機能と考えると、ESGなど、起業が社会的責任を果たす事が当たり前になる世界では、企業とNGOの境界線は曖昧となり、「金の原理」と「愛の原理」がより融合していくことが期待できる。
 
更には、近年の目覚ましい技術革新は、「自分らしく、よりよく生きる」ための補助や、なかなか地球課題をジブンゴト化できない人間を補助する役割を大いに果たしうるだろう。
例を一つ上げれば、ブロックチェーンによる、お金と経済の在り方の変容と、情報の安全性の向上が挙げられる。暗号通貨が社会に浸透すれば、地域や企業、または個人は自らの通貨を生み出し、個人は自分の属する経済圏を選択できるようになり、自律分散型の経済が生まれる。そこには基軸通貨に支えられた日本の政治・経済・世間といったものに囚われない、自分の趣向にあったコミュニティをオフラインで、またはオンラインで形成し、その中の人々と生きる事ができるようになる。
 私がCSR活動でお世話になった団体に「Peace Coin」あるが、この企業は簡潔に言えば「使わないと減るが、使うと増える」暗号通貨のアルゴリズムを開発している。国家が発行する言わば中央集権的で、蓄積することができる(r>g が成り立つ)基軸通貨に対して、この「減るお金」は、蓄積できず、逆にお金を有意義に使えばお金が少し返ってくるため、経済の活性化が見込める。これは「ありがとう」という感謝の気持ちのような心理・感情といった今までは評価されてこなかった価値を可視化するための試みである。お金が心や感情に近いものになり、「与えれば、自分も与えられる」プラスサムの経済が成り立ち、意識せずとも格差が生まれづらい社会の仕組みができる可能性を秘めている。
また、ブロックチェーンは情報のセキュリティを強固にし、情報の改ざん等、多くの犯罪を減少させる可能性がある。AIも言わずもがなきっと人間の過ちを指摘し、最適解を与えてくれる。
このようにテクノロジーは、石器から始まったとされる動的な作用に加えて、記憶やメンタルなどの精神的作用、つまり道徳や倫理の面も助けてくれるようになる。人類は人類すべてが地球課題をジブンゴト化する前に、テクノロジーの助けよって世界を「よりよく生きようとする人がよりよく生きる事ができる世界」へ変化させていくことができそうである。
 

<アルゴリズムに飲み込まれずに、内なる声に従う>


上記のように、人類は企業を地球課題解決・SDGs取り組みへの大船団として活用でき、テクノロジーをエンジンとし、AIに舵取りを任せてSDGs達成やその後の地球の課題解決を自動推進できるかもしれない。
ただここで懸念しなければいけないのが、テクノロジーのアルゴリズムに飲み込まれないようにする事である。向かう先を設定した後はテクノロジーに任せ、思考を停止してしまっては、意図してか意図せずとも、<AIと人権>の章で語られているように、アルゴリズムの中にそれを創造した特定の人間のアンコンシャスバイアスが含まれてしまったり、思想を反映したりする可能性がある。そのようにして感情や思考もアルゴリズムによって支配されかねない。これでは結局特定のアルゴリズムを所有する人々と、それ以外の人々との格差を生み出してしまうだろう。
テクノロジーはあくまで補助であり、一人一人の人間が主人公であるべきで、いくら外の世界に答えを求めようとも、一人一人の意識の変容なしには真のSDGs達成は見えてこない。
一人一人が自己の内面と向き合い、内なる声を聴き、自分の中にある思いやりや慈しみの心といった「愛の原理」に基づき行動をしようとすれば、それは結果的に外面的な世界の出来事への関心となり、それらをジブンゴト化することにも繋がるのだと思う。自然界の生物たちは「力の原理」の中で生きつつも、殺しすぎる事はないし、求めすぎる事もない。そこには生態系の「愛の原理」が働いているように見える。彼らは世界と調和しバランスを取る力を持っており、それこそが「愛の原理」の本質だと考える。その力は一人一人の人間にも備わっており、だからこそSDGsという人類の統一目標ができるところまで発展できたのだ。
 

<意識、魂の時代>


スピリチュアルな世界の話では2020年冬至を境に、“風の時代”というものに入るらしい。今までの“土の時代”では物質的なものが象徴的だったが、これからは人の意識や感情、情報など、目に見えないものが大きな意味を持ってくるそうだ。言われてみればあながち間違っているとは言えない。情報社会で情報は嵐のように氾濫し、お金も電子化、暗号化し、人はネットワークを使いリモートワークをし、オンラインで過ごす時間が長くなっている。
そのような情報と価値が氾濫する時代では、いよいよ特定の価値観に寄りかかる事が難しくなり、テクノロジーや世界の雑音に流されずに、一人一人が自分や世界をまっすぐ見つめ、意識を変容させていく事がとても大切であると感じる。
現在ではヨガや瞑想などマインドフルネスが流行り始めているが、それらは今ここにある現実と向き合い、自分の感情や思考を客観的に見つめることを推奨する。「自分の感じる欲望や幸福は誰から植え付けられたものか、画面から得た、アルゴリズムに基づいたマーケティング戦略ではないのか」、はたまた、「隣人に湧いてくるこの怒りは何か。なぜ自分は怒りを感じているのか」こういった問いを日々自分自身に課すこと、そのような至って個人的な意識のコントロールが非常に重要になってくる気がする。
 

<ポストコロナとSDGs>


COVID-19によって、格差が拡大し、―環境が破壊されるという因果関係がありつつも、一方、経済が滞るのだから環境破壊の要因が減り、環境にとっては良い事と捉える事もできる。しかしこれがよしとされないのは、せっかくSDGsの理念によって統一されつつあった人類の目標軸が再度分離されてはいけないからである。
人間の「安全保障か、環境問題か」、「人類の未来か、地球の未来か」という「あれかこれか」の視点ではなく、実際には「あれもこれも」の視点で見るべきで、SDGsを叶える方向、つまり目標軸が統一されている世界を見つめ続けていたいわけである。
「世代を超えて、すべての人が、自分らしく、よく生きられる社会」はつまり「誰もかれも、あれもこれも」であり、ある意味欲張りとさえ言えるかもしれない。でもそれが理想であるはずなのだ。人間は常に外の世界の事柄に意識を囚われ、幸福の意味も規定され、「そんなことは叶わない、不可能だ」「どうせこうだ」と限界を決めてしまう。だが、魂の声はいつも可能性を見つめている。
 

<最後に>


私の憧れの人に中田英寿氏がいる。彼は2006年ワールドカップ終了後引退し、世界中を旅した。そして「Take A Action」という財団を作り、日本でチャリティーマッチを開催し、そこで集まった資金を使い、アフリカ等で地域の人々が参加できるようなサッカー大会を開いた。そこでボールを配ったり、集まってきた子どもの保護者にHIVについての知識等を伝えたりする活動をした。テーマは「なにかできることひとつ」。楽しみながらみんなが一つ行動を起こすことで世界は少しずつ変えられることを彼は示してくれた。SDGs達成への道のりはせっかく平和な世界へと向かうのだから、楽しい旅にしたい。
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極めて個人的な思考であり、長文となってしまいましたことお詫び致します。
どうぞよろしくお願い致します。
松本洋一


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SDGsへの向き合い方

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